driveしていく現実の中で

 家の外から聞こえてくるクラクションが何かの曲のイントロに聞こえた。暴力的な正義感より健気な優しさなんかを感じながら芝生の上で春の光を浴びたいなぁ、などと考えながら冷えた足先を宙に浮かす。

 2020年のあたまあたりから自分の人生から現実味というものが失われ今日まできている、と書こうとしたがその頃起きたことは明確に現実である。それはやはり一種の現実逃避として脳が自ら別アングルのカメラを我が身に埋め込んだのだろう。

 あの頃の自分はどう考えていたっけ、どうしていたっけと今頃の自分は考えてどうかしたりなんかしている。過去なんてものは存在しないのさ、脳が見せる幻影なのさ、と言い聞かせるのもまた自分なので気を紛らせるために図書館で借りてきた宇宙に関する本をぱらぱらとめくる。

 無音の大爆発。儚さの美しさ。私は現実を取り戻したいような、しかし長い詩の中に生きていたいような、抱えながら、ずっと途中を生きていくのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?