見出し画像

動きたいけど動けないときに、どうするか

「魔女の宅急便」の原作者の映画『カラフルな魔女』が1月26日から公開されたようで、そのインタビュー記事を読んでいたら、村上春樹さんとも共通する「やりたいと思ってるんだけど、できない…」を解決するヒントのようなものが見えてきました。


「やりたいとは思ってるんだけど…」

年始に立てた目標、ダイエット、筋トレ、積ん読している本、他にもありそうですが、まぁいろいろと「やりたいけど、やれてないもの」が、僕らの人生には出てきます。

こうやって記事を書くことに関しても、「書きたいけど、書けない。」なんてことになったり、「SNSの投稿を続けたいけど、続けられない」なんてことがあったりもします。

ところが春樹さんは、そんなことがこれまで無いらしい。

僕は三十五年くらいずっと小説を書き続けていますが、英語で言う「ライターズ・ブロック」、つまり小説が書けなくなるスランプの時期を一度も経験していません。書きたいのに書けないという経験は一度もないということです。

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P102

「さすが、才能のある人は違う…」と片付けてしまって、僕らにはできない話だと思ってしまいそうですが、実際はそうではないようです。

僕の場合、小説を書きたくないときには、あるいは書きたいという気持が湧いてこないときには、まったく書かないからです。書きたいと思ったときにだけ、「さあ、書こう」と決意して小説を書きます。

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P103

なるほど、「書きたいときにしか書かない」ということであれば、僕らにもできそうな話です。

やりたいのに、できなくなる理由

僕らが「書きたいけど、書けない…」というとき、それは本当に書きたいわけではないのかもしれません。仕事だから。締切があるから。何か発信をしないといけないと思うから。そういった外的な圧力によって書かざるを得ない状況になっている。もしくは、そう思い込んでいる。

実は「書きたいけど、書けない。」ではなく、「本当は書きたくないのに、書かないといけない。だから、書けない。」のかもしれません。仕事であれば、それでも書かなくてはならないわけですが、こういったnoteやSNSの投稿は、本来自由に自分の好きに活動できる場所のはず。ですが、自分で自分にプレッシャーをかけてしまっている場合もあります。

実際、僕が最近、そうなりました。

noteの1記事目は、ただ「書きたい欲」がムクムクと湧き上がってきて、勢いのままに書いた。そして読書会のメンバーに書いたことを伝え、記事のURLを送ってみると、思いのほか良い反応を得た。そこから2記事目を書こうとしたときに、なんだかうまく筆が進まない。これはなんだろうと思ったとき、そこにあったのは「外の期待に応えようとする自分」でした。「また、あのぐらいの記事を”書かなくては”!」となっていた自分。

ちょうど先述の春樹さんの言葉を読んでいたので、「これはいかん。よし、やめだ。」と筆を置いた。少し時間を置いて、外側へ漏れ出す感覚をもんじゃ焼きの土手のように囲い、内側へフォーカス。なんなら別に、もう書かなくたっていいじゃないかと思いながら、一旦別のことに集中。

そこから数日後、ムクムクっと湧いてきました。「あ、やっぱ、あれは書いておきたい」と。シンプルに、1記事目のように「書きたいと思うことを書こうじゃないか。」と思い直しました。そこからは簡単でした。どんどん書ける。

しばらく小説を書かないでいると、「そろそろ小説を書いてもいいかな」という気持ちになってきます。雪解けの水がダムに溜まるみたいに(というのがおそらく最良のケースです)机に向かって新しい小説を書き始めます。「今はあまり小説を書きたい気持ちじゃないんだけど、雑誌の注文を受けているからしょうがない、何か書かなくては」みたいなことはありません。約束もしないから、締切もありません。ですから、ライターズ・ブロックみたいな苦しみも、僕には無縁であるわけです。それは、あえて言うまでもないことですが、僕にとってはずいぶん精神的に楽なことです。物書きにとって、とくに何も書きたくないときに何かを書かなくてはならないというくらいストレスフルなことはありませんから

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P103

自分が"それ”をしたくなる時を待つ。自分の感覚を大切にしている。締め切りもつくらない。このあたりが、「魔女の宅急便」の原作者、角野さんの話とつながってきました。

読者受けは考えない。締め切りもつくらない。

Q.長く読んでもらえるようにと本を書かれているのでしょうか?
角野さん「そんなことはないです(笑)。自分が面白い、楽しいということしか考えてないです。読者に受ける受けないということも考えない。それを考えると失敗しますから。」

Q.出版社から、こういう風にしてくださいと言われたら?
角野さん「それも一切聞き入れません(笑)。締切も決めません。書けたら持って行きます、というスタンスです。私、怠け者じゃないから、今でもちゃんと毎日朝から夕方まで書くんです。締切がないと書かない人もいるかもしれないけど、私は自分が好きで書いているから。締切があると、自由じゃなくなるしね。「テーマは何ですか?」と聞かれても「ない」って言います(笑)。だって私が「こういうテーマです」と言ったら、読者はそういう風に読むじゃないですか。そうではなく、自由に読んでもらいたいんですよね。」

https://www.oricon.co.jp/special/66472/ 「魔女の宅急便」原作者インタビュー

「締切がないと動けない。物事は動かない。」という考え方が優勢な現代社会で、締切を決めずに心を自由に遊ばせている角野さんと春樹さんのお二人。短期的には締切をつくって、そこに向かって走り抜けることもできるかもしれませんが、長くは続けられない。さらに「読者に受ける受けないということも考えない。」と外からの視線、外発的動機からも距離を取っている。

そんな角野さんは驚きの88歳。内発的な喜びにしたがって生きているからこそのチャーミングさ。その生き方に、物事を長く続けて人生を楽しんでいくヒントがあるように感じます。

僕もこんなに明るく元気そうな88歳になっていたいものです。心を自由に遊ばせ、イメージしたものを形にしていく創作を続け、誰かに届けることで喜びを循環させていく。そんな生き方ができたらいい。

そのためには、余計なものは捨てて、身軽になっていく必要もある。ここで改めて「職業としての小説家」から引用。春樹さんは、その基準となる考えを示してくれています。

何がどうしても必要で、何がそれほど必要ないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?
 これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P98

基準はシンプル。「楽しい気持ちになれているか?」と自分を見る。そこに自然発生的な楽しさが湧いてくるものでなければ、長くは続けられない。そんな当たり前のこと。でも、なかなかそうはできていないことが多い。

そのためにやることは、得ることではなく、削ること

まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であまりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎるというか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試みるとき、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試みるとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみたいな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P98

これは前回書いた、四角さんの『自分彫刻』の言葉にもつながる話。

『自分彫刻』というのは削るだけ。
削るということは、足す必要がないということ。

四角さんの著書「超ミニマルライフ」では、こう記されています。

「増やす」「所有する」「大きくする」「成長し続ける」という足し算は多大な労力を要し、莫大なお金がかかる上に終わりがないーあなたを追い込むシステムから逃れることもできない。
 だが、引き算には必ず終わりがある。すでに手にしている物事を手放すだけだから誰にでもできる。
(中略)
ミニマル術とは、本来のあなたを取り戻すための「自分彫刻」と考えるとわかりやすい。不要な物事を徹底的に削り取った後に残るのが「あなた自身という彫刻作品」だ。
 「あなたが(他の誰でもない)あなたであり続ける」という、最もミニマルな状態で生きることができて初めて、真に豊かな人生を手にすることができる。

四角大輔著「超ミニマル・ライフ」P18

余計なものを手放して軽やかになっていくことを、春樹さんは小説を書く上でもやっていました。

頭の中から「なくてもいい」コンテンツを片端から放り出して、ものごとを「引き算」的に単純化し簡略化していくというのは、頭で考えるほど、口で言うほど簡単にはできないことだったのかもしれません。僕は「小説を書く」ということに最初からあまり思い入れがなかったので、無欲が幸いしてというか、逆にあっさりとそれができてしまったのかもしれません。
(中略)
僕は二十九歳になったときに、「小説が聞きたい」とごく単純にわけもなく思い立って、初めて小説を書きました。だから欲もなかったし、「小説とはこのように書かなくてはならない」という制約みたいなものもありませんでした。

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P100

小説をつくることに対して引き算で考え、小説を書いて評価されたいとか売れたいとか、そういった外的な動機をベースにしていない。その軽やかさと無欲さが、結果的にはオリジナリティーを生み出していった。

もし僕の書く小説にオリジナリティーと呼べるものがあるとしたら、それは「自由さ」から生じたものであるだろうと考えています。
(中略)
そのときの自分の心のあり方を映し出す自分なりの小説が書きたかったーただそれだけです。そういう率直な衝動を身のうちに強く感じたから、あとさきのことなんて考えずに、机に向かってやみくもに文章を書き始めたわけです。ひとことで言えば「肩に力が入っていなかった。」ということでしょう。そして書いている間は楽しかったし、自分が自由であるというナチュラルな感覚を持つことができました。
 僕は思うのですが(というか、そう望んでいるのですが)、そのような自由でナチュラルな感覚こそが、僕の書く小説の根本にあるものです。それが機動力になっています。車にたとえればエンジンです。あらゆる表現作業の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。

村上春樹「職業としての小説家」ハードカバー本P101

「超ミニマル・ライフ」にも、こんな一節があります。

ミニマル・ライフの強みは、「ライフワーク」でマネタイズを考えなくていい点にある。
 友人の有名起業家と対談した時、彼はこう言った。
「金儲けを考えた時点で、発想は小さくなって斬新なアイデアが出なくなる」
(中略)
自分が望むワイフワークで人や社会に貢献できれば、それほど幸せなことはない。金銭なんかよりこの喜びこそが、高いモチベーションを維持してくれることを体験的に知っていた。

「超ミニマル・ライフ」P325

共通するのは、何かを得ようとすることよりも、自分自身が「いかに自由でナチュラルであれるか」を大切にしているということ。

僕がこの流れで思い出したのは、バシャールの言葉。スピリチュアルな方向に話を持っていきたいわけではないんですが、僕にはどうにも同じことを言っているように思えて面白いな、と。

バシャールがよく言う3つのルールがあります。
①自分が一番情熱的になれるもの、ワクワクすることに従う
②自分の能力を最大限に使って、それを行動に移す
③結果に対する執着をゼロにして行う

①と②に関しては、自分がそうしようと思えばできる範囲。でも「③が無理じゃない?」と思っていた。どうしたって人間は期待をしてしまう。これをしたら、こうなるかな?こうなってほしいな、と。

でも、春樹さんの言葉が③を見事に現していました。

そのときの自分の心のあり方を映し出す自分なりの小説が書きたかったーただそれだけです。そういう率直な衝動を身のうちに強く感じたから、あとさきのことなんて考えずに、机に向かってやみくもに文章を書き始めたわけです。

これだな、と。

そういえば、僕がnoteで1記事目を書いたときもそうだった。ただ僕の中にあるものを形にしたかった。そういえ小学生の頃、夏休みの宿題として絶対にやらなくてもいい自由工作を毎年やっていたのも、自分がイメージしたものを形にしたかったから、ただ単に自分がやりたかったからだ。あとさきのことなんて考えてなかった。

動きたいのに、動けないなら

そもそも「やりたいけど、できない。」と思っていることは、本当にやりたいんだろうか。そこが出発点のようです。

「仕事だからやらないといけない」といった場面もある。しかし、自分自身がnoteで書いたり、SNSで発信したりする場合には、「この先に何かを得られるから打算的に」という考えでやるのは、長続きもしないし、何より自分自身が楽しくない。

外の視点に引っ張られたりすることもあるけど、そんなときは少し時間を空けて、フラットになる時間を持つ。自分のなかに、「あ、そろそろやりたい」と湧き上がってくるのを待つ。

周りが忙しく動き回っている現代社会で、「自分を待つ」ことはけっこうじれったい。でも、「自然発生的な楽しさや喜び」を感じることをベースに進めていったほうが、結局は長続きする。それに、そこから生み出されたものに乗っかるもののほうが、インスピレーションにあふれているはず。そして、そのほうが良い流れが生まれていくように思います。

というわけで、自分自身の振り返りで締めとします。
ありがとうございました〜。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?