あいちトリエンナーレ2019 ホー・ツーニェン《旅館アポリア》体験メモ

あいちトリエンナーレ2019
ホー・ツーニェン《旅館アポリア》体験メモ

それぞれの映像体験は「親愛なるツーニェン」という導入で始まり、部屋を取り囲む風に戸が揺れる様子のけたたましい豪音と振動で終わる。

■一ノ間「波」(12分)
八畳の和室に幅3mほどのスクリーンが設けてある。
室内は6人くらいで満員、開いた襖の外から眺める。
手紙のようなやり取りにも見える映像には、後の部屋での映像に続く重要なキーワードが出される。
・喜楽亭について
・大島康正『世界史的立場と日本』
・草薙の剣が奉られた熱田神宮
・上田閑照と京都学派
・小津安二郎とシンガポール
・横山隆一と海軍プロパガンダ
波は、これから体験するいくつかの事柄について観る者を巻き込まんとする波のことであり、初めは静かに、次第に荒々しく、観客を揺り動かし押し流す波のようであると感じた。

■二ノ間「風」(12分×2)
2-1
喜楽亭はかつて航空兵が宿泊することがあったが、全員が泊まるわけではなかった。
地理的な近さもあって愛知県岡崎海軍航空隊が訪れることがあり、草薙隊哀史という記録が残されている。
海軍特別攻撃隊 第三草薙隊 宮内栄 中尉『吾が前進』から、出撃前の遺書が読み上げられる。
回転速度を上げるプロペラ音、最後に少し回転を弱めたように聞こえた。
顔が見える全体写真の一人ひとりが、次第に文字(名前)へと変化していく。
ここでの風は、特攻隊員が感じる風のことだと思った。遺書の読み上げとプロペラ音は、言葉に尽くせない浮遊感があった。似たような体験で『ハドソン川の奇跡』を思い出したが、それは墜落の緊迫感を追体験するというリアルさが核であったと思う。それに対して、『風』はこれから出撃する宮内栄を追体験するものであったように感じる。写真を通して顔から名前へと、どちらも固有名を指し示すが、肉体的具体的なものから精神的なものへ遷移していくさまを目の当たりにし、ナレーションを通して家族へ宛てたメッセージから宮内の人柄が伝わって「最後の夢」を見たかのような錯覚に陥り、高まるプロペラ音を通してコックピットに入りまさに出撃せんとする緊張感、浮遊感に体を覆われるものであった。

2-2
神風の由来、モンゴルの元寇(蒙古襲来)
喜楽亭で軍歌を歌う、『同期の桜』
パイロット、飯沼正明
個人的に、2-1のインパクトが強すぎて内容がおぼろげになってしまった。
ここでの風は、神風のことであり、桜を散らせる風であり、英霊を靖国神社へ向かわせる風であると思った。戦友と歌いあったり、「同期の桜」がその後、同期生をあらわす意味で使われるようになったりしたことからも、2-1が個人的なものであるとすれば、2-2は集団的なものを示しているように感じた。

■三ノ間「虚無」(12分×2)
順番を勘違いし、4-1を見てから3-1に向かった。
人ひとりが通れるくらいの狭い廊下に5人ほどが並ぶ。
それまでとは違う暑さの空間で、胡坐をかいて室内をのぞき込む形での体験。
巨大扇風機の轟音とともに虚無についてのナレーションがながれる。
暗闇の中に橙や紫の明かりがにじみ、節目で閃光または熱源のように眩いほど瞬く。

3-1
京都学派、西田幾多郎
上田閑照、西谷啓治
虚無と空、色即是空

3-2
田辺元、天皇制

内容がハードでついていくのがやっとだった。その中で引っかかったのが、うろ覚えだが次のような一文だった。「あなたが肉体の目で空(そら、たしかそう発音していたと思う)を眺めているとき、空もまたあなたの心の深淵を覗いている」これを確かめたいと、後日「上田閑照集」その後「西谷啓治著作集」を読み探したが、近いものはあったが、上記のような文章は見つけることができていない。また、上田閑照さんが6月に亡くなられていることも後日知ることになった。
ここでの虚無は、文字通りの虚無であり日本の哲学者が向き合ったものであり、だれしもが感じることがあるものであり、天皇制や日本とかかわるものでもあると思った。

■四ノ間「子どもたち」(12分×2)
4-1
小津安二郎の映画作品のいくつかのシーンが引用される。
登場人物の顔は覆い隠されている。
『父ありき』、『宗方姉妹』、『秋刀魚の味』
バーテンダー、お茶漬け
軍歌「戦友の遺骨を抱いて」、「軍艦行進曲」
シンガポールから戻ってくる
墓石の一文字
軍報道の映画班員としてシンガポール入りした小津安二郎は、スバス・チャンドラ・ボースのインド独立運動を描いた映画がとりやめになり、押収したアメリカ映画を多数鑑賞した。それが小津安二郎にどう影響したのか。戦争の傷跡が1945年以降の彼の作品にみられることが示される。ただし映像の終盤に、1932年の作品にもそれはあると解説され『生れてはみたけれど』の子どもたちのシーンが引用される。サラリーマンの父親に反発した兄弟は、「軍人になりたい」と願望を述べる。十数年後、彼らは願いを叶えたのか。叶ったらどうなるのか。「風」が思い起こされる。
小津安二郎作品をつぶさに観てきたか否かで、この作品の体験の深みも変わるように感じた。自分の不勉強さを後悔。

4-2
三木清、東亜共同体
『フクちゃん』
櫻本富雄による横山隆一へのインタビュー
子どものための漫画、アニメーション作家である横山隆一が軍のプロパガンダに協力したのではないかとの問いかけに対しどう答えたのか。

以上、忘れてしまったり重要な点を捉えそこなったかもしれないが体験メモを記した。作品の構造的な連関もまだまだ気になる。戦争と哲学者と作家の関係や、最後の作品が「子どもたち」であることの意味など。知識に関して、自らの至らなさを感じたので、いろいろ調べたいし読みたいし観たいし訪れたい。体験に関しては、喜楽亭というあの場所でしか感じられないものはあったが、日本家屋というのは場所性を超える1つのキーワードになった。個人的に、普段住んでいる場所ではドアを使う方が多いけれど、数日前、実家に帰省したとき襖や障子など引き戸を使ったり、前日、四間道にある津田道子作品を体験したり、翌日、名古屋城で本丸の豪華さを見たりと質感は連続している。時々そのことも振り返りたい。

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