国からの命令で身体を使うことを嫌う日本人は、自主的に寄付した人を称賛する国民性がある。

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 ※ただの感想に過ぎません
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 2023年5月26日(金)。21時28分。五連勤が終わりました。明日は休みの日。

 こんにちは。井上和音です。

 有斐閣ゆうひかく社が出している雑誌「法学教室2023 2月号」を電車の中でちょろっと読んだのですが面白いですね。帰りの電車でまた目の前の席がたまたま空いたりして。「昨日は川端康成をちょろっと読んだけれど、今日は法学教室をちょろと開いてみるか」くらいの気持ちで読みました。ありとあらゆる分野の活字をちょろっとだけ読んでいくのが私の読書術です。まあ贅沢な読書の仕方なこと! と思われますが、この読書の仕方は本当に楽しいです。これ以上の趣味は無いのではないかと思うほど楽しいです。

 読んでいた雑誌の正式名称は「法学教室2023 2月号 戦争と法学」なのですが、もちろんこのご時世、ウクライナ戦争を法学の視点から見ていこうという記事になっています。電子書籍をぽちっと買いました。法学の知識は全く無くとも、そもそもの法学が立てれられる基盤となるのは哲学なので、ルソーとかホッブスとか、まあ哲学でも有名どころの思想家のお話なのですらすらと読めました。

 面白かったのは徴兵制を倫理的に考えてみようというコーナーでした。中身の引用はしてはいけないような気がしますので少しずつ単語はあえて変えていますし、あえて文体も私に寄せたもので書いていきます。日本はそもそもが軍隊を持っていませんので、自衛隊に志願する際も志願兵と言っていいのかは分かりませんが、志願兵とします。日本では志願兵だけであり、平和憲法の元で徴兵制度はありません。なので、日本国内で「徴兵制度を導入します」と例えば政治家が言ったとしたら「絶対反対だ!」と国民感情は一致するかと思います。私も「絶対嫌だ!」と言ってしまうと思います。第二次世界大戦が終戦した後の日本。はだしのゲンなどでは「赤紙が送られてきたぞ! 遂にお国のために戦う時が来たんだ。ばんざーい! ばんざーい!」と地域総出で若い男子を見送っていく姿が強く描かれています。こういう、はだしのゲンなどの描写では、軍国主義の日本に国民のほぼ全てが洗脳されているかのように描かれており、現代の私たちへの教育として「輝かしい未来があったはずの若者を戦場へと送り、戦死させてしまうようなことは二度とあってはならない」と教わります。そういう教育の根本的な教えがあるので、私もまた「徴兵制なんて絶対にあってはならない」と常識で考えています。

 ところが、先ほど読んだ「法学教室」の中では、志願兵だけで軍を造ることは緊急時にはあってはならないとの主張がありました。どうやって「徴兵制度は悪」の理論を崩すのだろうと読んでみましたが、そもそもの土台が「公平」の観点からでした。

 志願兵だけで軍隊を造るとなると、志願してくる国民は大抵が低所得者など弱い立場にある人が多く志願することになります。これは緊急性のある時の軍の編成を考えていますが、緊急性のある際には最悪死ぬことになる軍に入隊するということを出来るだけ避けようとするのが人間の特性ではあります。ということは、志願制度だけでは、お金の持っている若者はまず入隊することはありません。この観点でいくと、生まれたそのときの資産だったり家系だったりで、誰もが死ぬ可能性のある入隊に対して不公平が生じてしまうという主張です。誰だって死にたくはないのは同じなので、志願制度を用いるよりかは徴兵制度を用いたほうがより公平性を高めた、国に対する奉仕として成り立つとした論調でした。

 納得。

 緊急時は徴兵制度のほうがいいんじゃないのとか思ってしまいましたよ。

 特に調べてはないですが、韓国の徴兵制度などはこのような論調で国民皆に浸透しているのでしょうか。お金持ちも貧しい人も同じように国のために身体を張るという論調。同志社大学に来ていた韓国からの留学生は「日本の人は自衛隊に入るのを嫌うけれど、いざとなったときどうするのさ?」と言っていたような気がします。「国は自分で守るんだ」という意識が日本人の大学生とは圧倒的に違いました。圧倒的にという言葉を使うよりかは、根本的に。常識として軍に対する考え方が違いました。

 それを聞いて私は「韓国の人は大変だなあ」とか日本の常識でとらえてしまっていましたが、韓国の留学生から見たら、私のような人間を《《羨ましいと思うのではなく、ずるい人間だ、もしくは国民だ。》》と捉えていたのかなと今になったら思います。

 日本は平和憲法が存在しています。私はこれを守りたいです。

 ただ、平和憲法が存在している分、不思議なことだと思うのですが、災害時などでは、お金持ちの人は《《ただ多額の寄付をするだけで》》、ニュースで大きく取り上げられ、「行動が早い」「良いことをした人間」と称賛の嵐になります。「やらない善よりやる偽善」という言葉もありますね。やらないよりかは寄付をしたほうが称賛に値することは間違いが無いでしょう。

 でも例えば、お金をあげるだけで何か命が助かるのかとか言われればそれは直接的には関係ありません。お金の効果が一番発揮するのは、嵐のような現場が治まった後の、「さあこれから復興していこう」という時に一番お金の力が働きます。その災害時の「緊急で、今助けが必要な場合」に関して言えば、寄付金が回りくどいお金渡しのルートを辿るよりかは、人的資源の確保のほうが何倍、どころか、もはやお金は必要ないから人手をとにかく集めてくれ、というのが緊急時に必要な本心からの願いだと思われます。「避難した子供のために玩具おもちゃを送ろう」とか「もう使わないから余っている布団を送ろう」とか、逆に迷惑なのかなと思います。

 じゃあ、やっぱり緊急時に何が必要になってくるかと言われれば、徴兵制度の公平性に見る人的資源で間違いないです。「災害が起きたので、他県の皆さんは人的支援を行うために派遣されます」というのは今のところ地方公務員などでしか見当たりませんが、国民全体で行う未来がやってくるのかと言われれば多分やってきません。徴兵制度を嫌うように、自分の身体を以てして何か国からの命令で義務的に行わなければいけない事を日本人は嫌います。日本の国民意識として自主性を求める精神が根底にあることが日本の制度のあらゆる面で見られます。税金の納税だって申告制ですし。国からの義務として強制的に行うことを拒否する文化性が日本人の根底にあるのかなと、「法学教室2023 2月号 戦争と法学」を読んでみて思いました。

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