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ゲーム等のアカウント名を「inouekazune」っぽい名前から変えました

 2023年4月23日(日)。15時24分。

 こんにちは。井上和音です。

 車の安心メンテナンスに行っていました。これは車検と言うのでしょうか。詳しいことは分かりません。

 整備士の方から「全然乗っていませんね」と言われました。走行距離1万km未満どころか、5000km未満ですからね。通勤に自動車を一切使わなければそんなもんですよね。自動車を能動的に使うことがあるとすれば、近くの公園にPokémonGOのコミュニティデイで遊び行ったり、精神科まで自動車で行ったり。そのくらいしか使うことが無いので、こんなもんですよ。

 多分、自動車を購入して2年くらい経ちますが、走行距離1万kmは程遠いですね。田舎なのだから、駐車場の代金が無料とかならばばりばり自動車を使うとは思いますけれどね。駐車場代が高すぎます。24時間300円もします。……そう、関東、関西圏の大都会に住んでいる方からすると、「駐車料金24時間300円……夢の国かどこかですか」と驚かれそうな気がいたしますが。もっと驚かれそうなのは「24時間300円をケチってまで雨の中などは合羽かっぱを着て自転車で行っているのか」と呆れられそうな気がします。

 自動車を乗り回すのは大人の特権のような気がしますが、大人になったところでお金が自動的に入ってくるわけでもないので節約が必要です。子どもがこんなことを知ったら「大人になるのが怖いのん」とか言って駄々をこねそうな気がします。一番良いのは子どものうちにお金をじゃんじゃん使って、子どものうちにゲームなど色々なことに対して「もう充分やった」と満足することです。子どものくせにお金をじゃんじゃん使うなんて! という家庭に生まれ育ってしまったら、子どもの時にお金を使えなかった反動として、大人になってから余計なものにお金を使ってしまうどうしようもない大人になってしまいます。私のように。

 ポケモンカードなんてもう買わない! 馬鹿! 資本主義の馬鹿! 値上がり値下がりが乱高下過ぎてもう買うの嫌になったよ。

 注意。別に投資の為だけにポケモンカードを買っているわけではありません。ただ飾るのが好きなだけです。こういう大人になってもいけないような気はします。

 ナンジャモSARが300,000円で売られたことにより世間のポケモンカードへの投資熱がようやく冷めたような気がします。ナンジャモSARは今では200,000円くらいで売られています。2週間待てば、ナンジャモSARは100,000円安く手に入れることが出来たみたいです。なんだこの世界は。怖すぎでしょう。やだなあもう。

 ポケモンカードClassicも予約抽選に参加してしまいましたが、もう一個でいいや。二個とも当たってしまったらまた70,000円が吹っ飛ぶのん。そんなの嫌や! 嫌や! 放せや! ……手放したいのは私の方なのです。スカーレットとヴァイオレットのゲームをやっていないので、ポケモンカードに興味は無くなって来ています。PokémonGOしかしていませんから。それよりも世間様が遂にPokémonに対して懐疑心でも持ってしまったのかなと不安にはなります。

 私が買ってきたポケモンカードたちは紙くずになっちゃったってコト!? とまで思いませんが。思っているのかもしれません。しかしながら、ポケモンカード以外に何かお金なり、何か消費するものがあったかと言われれば何も無かったかのように思われます。本音を言えば、コイキングARを飾るためのフレームスタンドを買いたいのですが、2,000円を出す気にすら今はなっていません。だって70,000円が無条件で吹っ飛んでしまう可能性があるもの。収入に不釣り合いな消費の仕方をしてしまって申し訳ないですね。

 「古いポケモンカードはもはや骨董品こっとうひんのように扱われている」というニュースが流れたりしましたが、ニュースが流れた時点で骨董品のように扱われることは無いのかなと思ってしまいます。所詮は時代の流れのほんの一部に過ぎなかっただけだったのかなと思います。

 ただ、人の行動ってそう簡単に変わるものでもないので、ポケモンカード売場に徹夜で並ぶ人の光景はまだまだ見られるのかなとか思います。多くの人がお金持ちなので。なんでそんなに皆さんはお金を持っているのでしょうか。

 障害者では無いから。普通に生きていけるから。障害年金って勝ち組でもなんでもなくて、福祉という観点から見れば「救わなければ死んでしまうから、助け合いが必要なんだ」という側面があります。言い方を俗の言い方をすれば、「仕方なく、どうしようもなく障害者になってしまったあなたに少しでも救済を」という負けてしまった……というわけではなく、「なかなか勝つのが難しいよね」という人が貰える救済制度なのかなとか思います。

 月20万円くらい貰える人で、10時間くらい働いても大丈夫な人は……。とかは人次第ですね。私が基準を設けるべきではありません。貰えるものは貰っておけという考えのほうが健全なのかもしれません。偶数月には障害年金を合わせて50万円くらい手取で貰っている若者もいるとか聞いています。

 私が障害年金の受給に関してあれやこれや言う資格も必要性もありませんね。ただ私が貧乏というだけであって。稼いでいる人であれ障害の有無とは関係ないと思いますから。

 私は障害はありますよ。保身に走るようですが、この「とうおこ」を読んでくださっている人は、私の躁鬱や疲れやすさや、鬱の時の鬱々とした文章など。目に留まるほど精神障害がにじみ出ていると感じて頂けると思われます。

 自分はどうやって生きていけばいいのでしょうかね。誰かアドバイスなりナビゲーションなりして欲しいものですが。一人では越えられない壁も、誰かからのアドバイス一つで簡単に越えられるという事象には今までいくつも経験をしてきました。

 とまあ。

 ポケモンカードとか障害年金とか、月の手取りの話はいいとして。

 自分のことを話すと、今まで #コンパス戦闘摂理解析システム とか PokémonGO などでは「inouekazune」っぽい名前でやっていたのですが、ようやくゲーム上のアカウント名を変えることが出来ました。初めは「少しでも認知度を上げよう」とか思ってゲーム上のアカウント名も「inouekazune」っぽい名前を使っていたのですが2年くらい使ってみた結果、特に認知度も上がることも無く、何事も無く2年間は過ぎていきました。

 逆に PokémonGO とかでは住んでいる地域とかバレるんじゃないのとか危険性はあったかのように思われますが、まあ、自分は弱小で有名でもなんでもないということで、ただの惰性で「inouekazune」という名前を使っていました。逆に使わなくなってしまうと「『自分はどこかで有名になっている』と妄想してしまっているのではないか」と自分の行動が統合失調症に苛まれて行われてしまっているのではないかと危惧してしまう面もありました。

 とにかく。

 どちらが良いのかは分かりませんが、「inouekazune」という名前は、カクヨムか note かツイッターか、読書メーターか。その4つの、「とうおこ」に関する発信元だけに限定することにしました。#コンパス戦闘摂理解析システムはツイッターの連携も外しました。私が有名になるとかそういう妄想から来る行動ではありません。だからと言って、名前を変えた他の理由も特にはありません。ただ生きやすいように生きていこうね、と思っただけに過ぎないのかなと思います。

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