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【論考:人生哲学】良い一日を送る人はWinner。良い人生を送る人はVictory。毎日がLoserであっても人生には勝てる。

──『Winners love winning a lot.』──
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 2023年9月4日(月)。21時59分。

 こんにちは。井上和音です。

 巻頭言は──『書くことが無いときは、人は黙るべきだ』──に迷いましたが、上のようになりました。意味は「勝った者達は更に勝つことを求める」とかそういう意味でしょうか。ある有名な言葉ですね。

 書くことが特に無いですね。どれくらいないかをツイッターでも見て感じてみてください。

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 「カモシカは鴨でもなく鹿でもなくヤギらしい」
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 くだらない。カモシカが鴨なわけがないでしょう。鹿でもありませんよ。山羊やぎに決まっているでしょう。「めー」って鳴きますし。

 それは羊や。

 熊本にもカモシカが生息しているという謎の情報をゲットしました。出会ったことがありませんね。九州にもカモシカはいるのですね。野生の山羊がいることにまず驚きです。

 月極駐車場に初めて停めることが出来ましたね。お金を払わずに自分の駐車場があるというのは新鮮です。今まで自転車通勤が常識だった自分の生活が一変しました。

 自動車通勤が当たり前になってしまいました。

 暑かろうと寒かろうと。雨が降ろうと雪が降ろうと。通勤が快適になりました。進化論(?)で言うと怠けた人間に進化しました。怠けるために人間は技術を進歩させてきました。筆算なんか使わずに電卓を使えばいいんですよ。しょうもないことに時間を使わずにもっと高度なことをしましょうよ。九九を覚えなくても電卓を使えば誰でも計算できるでしょう。なんで記憶能力が高い人だけが高度な教育を受けられるシステムになっているのでしょうか。記憶能力以外の能力が高い人間もやってみたら、意外なところで能力を発揮することがあるでしょう。絵の才能とか。論理的に考えて未来を予測する才能とか。「運が良い人」とか「何となく予想が当たる人」というのは、知らず知らずのうちに物事を論理的に考えていて、論理的に考えてみたら世間はこうなっていくだろうみたいなことを事前に思い付いたりして、そこから逆算して「今何をするべきか」を、色々な助言を参考にしながら選び取っていくのでしょう。

 論理的に考えることの最も大事な実用法、未来を予測する。

 未来を予測しておいて、自然と前準備を整えておく。

 他人には何をしているのか分からないレベルでの、論理的な思考が出来る人は、他人から見るとよく分からないこと、無駄なことをしているとしか思えないことから、あっと驚く完成物を手に入れることがあります。

 お前、運良いなと言われることがあるのかもしれませんが、それは着々と準備してきた結果でしかないわけで。その人にとっては必然の未来。必至の未来。人生は戦争に似ていますが、戦争が終わった後にみんなから称賛を浴びる、そういう人間もなかにはいるでしょう。

 「こんにちは。年賀いやがらせです。巻頭言、もとい冒頭言の伏線回収と言いますか。Winner と Victory の違いでしょうか。井上さんは Loser で間違いないとは思いますが、Winner にはなれなくても、Victory にはなりたいとそういうことですよね。自分に酔っているとか言われたら嫌ですが」

 最後の台詞は私が言いたかった台詞だけれども。

 私は Loser です。多分、間違いなく。勝ったことがありません。毎日負けています。Loser というか、Winner ではないだけか。淡々とした一日が過ぎていきます。「今日はこの仕事をやり終えたぜ」「今日はこいつを論破したぜ」「今日はせどりで数万円儲けたぜ」。一切ありません。

 ただのパートタイマーを延々とやっています。

 しかしながら、いつの間にか自動車通勤になっていたりします。もう月極駐車場を払ってもいいじゃないか。自分を楽にしてやってもいいじゃないか。これはレベルアップと言うのかは分かりませんが、楽になりたいという人生の目標の一つを不思議とクリアしたことになります。

 そういえば、昔はスマートフォンも親近者が選んだちゃちなスマホで。音楽なんて聴けたものではありませんでした。

 今はXperia1Ⅳです。自分を許してやりました。

 イヤホンも無線になりました。SONY。多分最高峰。自分を許してやりました。

 パートしながら、「自分の持っているポケモンカードをPSAに出してみたいな」と思いました。帰ってからすぐに、Card Saver1を購入しました。と思いましたが、Amazonで不評が多かったのでキャンセルしました。腕時計で失敗しましたからね。

 ただ、PSAには出すことになるでしょう。毎日の人生が負けていても、徐々に徐々に、自分の人生を良い方向へと曲げていこうとしている。

 Card Saver1は友人と相談して買った。それはいいとして。

 自分の人生を、納得のいく方向へと少しずつ変えようとしている。Loser であれども。

 そもそも Win or Lose の考え方は、クラウゼヴィッツの戦争論で言えば、戦闘にて勝つかどうかの話である。戦争とは違う。人生を戦争に例えるならば、毎日毎日生きていくのを戦闘と呼ぶことが出来るだろう。

 少しずつ少しずつ、人生の環境を変えていって。少しずつ人生を楽にしていって。人生のレベルを上げていく行為は、戦術では無くて戦略である。人生という名の戦争に勝つこと、Win ではなくて Victory を目標とした人生の下地を整えていっているような感じはする。

 安定した職業とか、やりたい仕事なのかは分からない。いつもきつい。幻聴だってする。居ても居なくても変わらないような職場での存在。

 それでも、私は年金受給者だったりする。これは、Winner ではなくて Victory なのだと思う。日々負けていても人生に勝利している。お金が無条件で入ってくることは確かだ。謎のルートで入ってきた。日々頑張って勝ち取ったお金ではない。ただ、敗れ去ったその償いとして補填される年金だ。

 自由に使っていいらしい。どう使うかで、Victory を保ち続けることが出来るか、せっかく流れに乗って手に入れた Victory を手放すことになるのか。貯めていただけでは Victory にはならない。例えば、衝動的に旅行とかに年金の全額を使ってしまったりしたら、使い道として人それぞれだとは思うが、自分に関して言えば、「まだそういう使い道をする場面ではない。そういう使い道をする年齢ではない」と判断してしまう。

 半分貯金して、半分投資をする。若いうちに自由にお金を使えて、投資に、自己投資も含めて、何でも。やりたいように投資をすることが自分なりの Victory なのかなと感じてしまう。

 例えば、仕事中に喉が渇いて、「お金がもったいないから水を買うのはやめておこう」と考えるのは、家に帰ってみてその判断で我慢が出来ていたと思えたら、それは Winner で間違いない。自分に勝ったのだ。

 我慢するのが嫌だからがんがん買おうかと思ったら、Loser で間違いない。しかしながら、「我慢するほどならばお金を使おう。お金は入ってくるから、我慢というストレスから解放された毎日を送ろう。私には年金があるし。将来的にお金になりそうな情報も集めておこう」と思えること。それが毎日続けば、一時的な Loser であっても、人生全体で言えば Victory な人生だったと思えるだろう。一時的に Winner になって、自分を褒め称えたとしても、その喜びは一瞬だけで、また次の日も喉が渇くが我慢をするだろう。我慢する苦痛は長く続くが、我慢し終えた自分を褒め称える喜びは、ただ一瞬だけのもので、それは実は虚無感へといざなわれていく。

 我慢するのではなくて、どうやったら水を飲む生活を続けることが出来るか。その工夫を凝らし続ける人生こそが Victory だと言える人生なのかなと思ってしまう。

 金持ち父さん貧乏父さんみたいな話になってしまいましたね。

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