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「どぐら」と言われて特別扱いされているような感じがして、精神障害者の自分には合っているニックネームだと思いました。

 2022年9月11日(日)。はい。こんにちは。統合失調症だから特別な何かが起こったかと思いきや、何も起こらないここ最近の日々です。

 本当は統合失調症は様々な怪奇現象が起こり、患者が対応不能な状態におくような病気なのですが、残念ながらここに書くほどの怪奇現象やハッキングや神秘現象など毎日起こるはずもなく、ただ漫然と休日を過ごしていました。

 朝は十時に起こされました。目覚ましを使っての早起きは心臓に悪いと勝手に考えていたところ、親に「十時だからいい加減に起きろ」と言われ起きました。そのときに「どぐらは寝てばっかおる」と追加で言われました。

 「どぐら」というのは調べればわかりますが、熊本の一部の地域で「なまけもの」とかそういう意味を持つ言葉です。最近親が私に向かって「どぐら」というニックネームを付けたのですが、「悪い気はしないな。似合っているな」と思うようになりました。

 「どぐら」という認識のほうが、自分にとっても健康的でない生活や、大人になってまでゲームやカード集めに夢中になり「キダルト」な精神状態を表している反面、仕事もパートタイマーで親元から離れることもできない、もしくは離れようともしない、または離れる努力もしなくなった私に対して「どぐら」という二つ名を付けた親には、「よく私を観察してくれているな」とありのままの自分を受け止められる材料になっているのです。

 障害者になり、「特別扱い」される状態が長く続き「こいつはどぐらだから何もできない」と仕事が振られないような、ある意味で特別な接し方をされるほうが、よっぽど慣れているし、「それでいいんだよ。私はただの障害者で、寝る時間もまちまちで、パートタイマー程度でへとへとになり、人間関係も黙っておけばそのまま何も起こらずスルーされていくから何も主張しない」というような心持ちでいます。

 ガキ、と言われればその通りなのですが、パートタイマーであれ働いてみてとても思うことがあるのです。自分は普通にはなれない。安定して朝早く起きることも、10時間近く拘束されて、本当にそれが社会に役立っているかも分からない(仕事って大半はそんなもんだと思います)ことを延々と繰り返す。お金の為だけに時間を潰していく。その金は何のためかというと子供の学費のためだったりします。それが結婚して正社員になった普通の大人の人の人生なんだなあ、と遠くから眺めてしまいます。

 自分にはできそうにありません。

 今朝は十時に起きても身体がだるく、朝ご飯を食べても身体がだるく、なんでだろうなと思っていたら、コンサータを飲み忘れていました。コンサータを飲みました。身体が動くようになりましたが、布団の中であれやこれや考えていました。

 いい人生だなあ、と。

 今がピークなのかなあ、と。

 いずれは身体を張って、自分の時間も持てずに子供の世話なり、仕事に打ち込むなり、飲み会に行くなり、そういう人生になるのかなあと。

 考えていましたが、そんな未来が来るかもしれないし、来ないかもしれない。ただ、統合失調症で精神障害者。これは今までもかなり長い時間、障害者として過ごしてきたのですが、これから先はもっと長い時間、精神障害者として、ないしは統合失調症患者として過ごしていくのかなあ、なんて思ったりしました。

 結論。

 コンサータが無いと生きていくことは出来ない。

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