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【映画評論】「すずめの戸締まり」を観に行きました。(※ネタバレ注意)

 2022年11月23日(水)。14時36分。勤労感謝の日。

 タイトルから書いています。ずれていったらすみません。また、時流に乗った記事なのでnoteにも早出しするかと思います。

 はい。こんにちは。新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」を劇場で観てきました。

 あまり、ネタバレしないように注意して書くつもりですが、一部ネタバレするところがあるかもしれません。グーグル検索で「すずめの戸締まり」と検索すると、あれよあれよと詳しくネタバレ、というか筋書きをそのまま文章に写しているだけのサイトとかもあったので、「それって大丈夫なの?」とか思いましたが、まあ、それで儲けている人や生活を成り立たせている人がいると考えると、仕方のないことなのかもしれません。

 この記事では筋書きを書くようなことはしません。この記事を読んで、「劇場に観に行きたい」と思ってくだされば幸いだと思われます。

 さて、前置きはいいとして、本編に入ります。一言でもネタバレされたくないという方はここで読むのをやめてもらって構いません。そのために行間を大きく空けようと思います。





 はい。では書きます。

 新海誠監督の作品は、一度観ただけではストーリーの展開を理解するのは難しいことが多いですが、「すずめの戸締まり」も例外ではなく、ストーリーの論理性などで「ん? どういうこと」となることが多かったです。

 一言で言えば「東日本大震災という絶望を経験しても、これから先希望のある人生だから、悲観することはしないで、前向きに生きていこう」というそれだけのメッセージがあります。

 そもそも戸締まりって何? という話なのですが、とこの世と現実の世界を結び付ける扉を戸締まりしていくことです。テレビ放送であった、最初の12分程度を見せる番組を観た人は、なんとなく分かるかと思います。

 インターネットで検索しても、冒頭の12分は観れるようなので、まあ、誰でも観れるというわけですね。

 主人公のすずめさんが、常の世と現世との扉を開けてしまうことで物語は始まりますが、それで、日本各地の扉がどんどんと開いていってしまうのですね。重要なカギを握るのは要石かなめいしという、扉の門番のような置物です。それをすずめさんが、序盤に引っこ抜いてしまい、猫に変わるのが、最初の事件であり、それが原因で、日本各地の扉がどんどん開いていってしまいます。

 それを、すずめさんが、長髪のイケメンさんと、どんどんと閉めていくだけの物語です。

 実は、物語はそれだけなのですね。全国各地で扉を閉めていく。それだけです。

 先ほど「東日本大震災」というワードを出しましたが、その扉を開けっぱなしにしておくと、地震を発生してしまうミミズという名の霊のような群衆が大勢現世へと向かって行ってしまいます。それが地上に落ちると、地震が起こるというメカニズムなのです。

 一度、扉を開けてしまい、要石も外してしまったすずめさんは、長髪のイケメンさんと共に、ぼろぼろになりながら全国を旅していきます。

 ちなみに、テレビのCMで長髪のイケメンさんが三本足の椅子に変身していたと思われますが、なぜ、長髪のイケメンさんが三本足の椅子になったのか。そこらへんは劇場でお楽しみください。

 ところで、長髪のイケメンさんが三本足の椅子になったことで、不思議な恋愛の形というか、不思議な性癖というか、そういう新海誠監督らしい描写もいくつもあります。面白いので探してみるといいです。「そうか! 人間が椅子になったらこういう事態が起こってしまうのか!」みたいな、不思議な感心を覚えてしまいます。

 しかし、ストーリーが扉を閉めていくだけなので、途中のなかだるみ感はどうしても拭えません。毎回扉を閉めていくだけなので、どうしても同じ展開になってしまいます。そして、何より、扉を閉めていくストーリーから、徐々にすずめ自身の、過去の話へと流れが変わっていきます。

 ヒントは、すずめさんはおばさんと二人で宮崎で暮らしていました。それ以上は言えません。ぜひ劇場でお楽しみください。

 とはいえ。じゃあ、メインテーマが「東日本大震災という絶望を経験しても、これから先希望のある人生だから、悲観することはしないで、前向きに生きていこう」なんじゃい。宮崎県は何か関係があるんかい。ということになりますが、すずめさんが冒険を進めていくうちに、徐々に明らかになっていきます。そしてクライマックスの描写などでは、津波で石油タンクが流れ出し、真夜中の気仙沼が火の海になった、あの東日本大震災を完全に彷彿ほうふつとさせます。

 なんで椅子が三本足なのか?
 そもそもなんで椅子が重要なのか?

 映画の序盤では、すずめさんが、たまたま、扉を開けてしまうことでストーリーが始まりますが、終盤、ないしは、映画を観終わった後では、最初に扉を開けてしまったのが《《すずめさんでなくてはいけなかった》》、と結論付けることができます。ここらへんは、「ご都合主義では? たまたま開けたのがすずめさんだったけど、すずめさんでは無かったらこのお話は破綻するのでは?」みたいな感想も観終わった後には残ってしまいますが、そこは、まあ、映画ということで、すずめさんはこういう人生を歩まなければいけなかった《《運命だった》》、で解決すると思います。少しご都合主義的すぎるストーリー展開だったので、私自身は、感動の涙とかはありませんでした。

 最終的には全てが丸く収まって、全員がハッピーエンドで終わるわけですが、「それならば、すずめさんが扉を開けなければ、そもそも物語というか、長髪のイケメンさんも困ることは無かったのでは」みたいな、マッチポンプを見たかのような気分になってしましたが、そこもまあ、運命だったということで。

 とにかく、メッセージ性を伝えたかった。そういう物語だったかと思われます。

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