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「生きること」が挑戦だなんて笑ってしまうけれど

突然だけど、懺悔させてほしい。

実はこれまでかなりのバトンを止めてきた。2002年日韓W杯のオリバー・カーンぐらには止めることに定評がある。「井上によるバトン停止に抗議する被害者の会」が僕の知らないところでできていそうで怖いぐらいだ。

「バトンなんて嫌だ!ママー!助けて!」とバトンを地面に叩きつけて、べそをかきながら逃走すればよかったんだろうけど、せっかくの機会だし、やってみようかなと思って今に至る。

※バトンを回したアルマジロ武田さんは「バトン回していいですか?」ってわざわざ聞いてくれました。やさしい…


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すいません、ただの茶番です。茶番はさておき、アルマジロ武田さんから回ってきたバトンのテーマは「挑戦」。
挑戦と聞いてすぐに思い浮かんだのは、この2つ。


「ずっと探してたー理想の自分ってーもうちょっとかっこよかったけれどー」と歌う葉加瀬太郎が見える。あれ、なんかおかしい気がする。

「教育格差という問題を解決するために、法人をつくったことが僕の中では一番の挑戦でした。挑戦はまだまだ続いて行きますけどね。」


なんて言いたいところだし、情熱大陸とかプロフェッショナルみたくドヤ顔しながらカメラ目線でカッコよく決めたいところだけど、実は違う。

もちろん子どもたちと関わることも、法人を経営することも、僕にとっては挑戦だし、間違いはない。でも、いざ「挑戦」というテーマで文を書こうと思って思い浮かんだのはまったく別のものだった。

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約2年前、適応障害になった。「いつまでわしたちをこき使うつもりじゃ!」と細胞が農民一揆よろしく武装蜂起した。おかげさまで自分の心身のコントロールを奪われてしまった。

朝起きること、夜寝ること、外に出ること、駅まで歩くこと、仕事をすること、人と話すこと。とりとめもない日常の一場面でしかないはずのことが、つらく、大変なものになった。

生きることも日常も当たり前すぎて気にも留めていなかった。生まれた時には生きているわけで、物心ついた頃にも生きているわけで、「生きること」は当たり前のものだった。

でも、適応障害は生きることや日常は当たり前のものではないのだと容赦なく突きつけてきた。それから「生きること」を最優先にしてなんとかサバイブしてきた。

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かつての僕が思い描いた「挑戦」なんて28歳現在の僕の前には存在しない。とても地味な挑戦を日々続けている。

朝起きること、夜寝ること、外に出ること、駅まで歩くこと、仕事をすること、人と話すこと。どれもとりとめのない日常でしかなくて、気にも留めないようなものばかりだ。

けれど、多くの人が気にも留めないものを取り戻すことが挑戦だったように思う。『情熱大陸』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』で語られるような挑戦ではないかもしれないし、みんなが思うようなカッコいい挑戦ではないかもしれない。

カッコよくないかもしれないけれど、自分の身の丈にあったささやかな挑戦を続けていく。「生きること」が挑戦だなんて変な話だけど、とりとめのない日々が続いていくことを願いながら今日も床に就くだろう。

あ、最後に大事なこと言い忘れてた。バトンを止めなかったからとりあえずほめて。

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前走者はアルマジロ武田さん

大学一年生のわたしへ』というマガジンにnoteを書きませんかと誘ってもらったのがアルマジロ武田さんとの出会いのきっかけです。
出会いといってもまだ直接あったことはありませんが、コロナちゃんが滅殺された暁には、なんばで酒を酌み交わしましょう。
アルマジロ武田さんの地元の話とか聞かせてください!どんなところなのか気になってます。

さてさてさーて、弊社ことクレイシュのスタッフ濱田航平にバトンを回します!渡すバトンは【恋】です。いろんなことに悩める21歳は、恋ってどんなものだと思ってるのか聞かせてください。


sakuさん! #noteリレー 企画してくださってありがとうございました!
おかげさまでバトンを止めるマンから脱却できました!


いただいたサポートは我が家の愛猫のおやつにして英気をやしないます!