見出し画像

都会の波止場としての東京海上ビル③ (終)

半地下で吹き抜けとなった庭園に降り立つと、その小さな面積の割に頭上に広がる視界の広さに驚く。周囲のビルがなかった時代はもっと美しい場所だったのであろう。

「敷地に公共的なスペースを確保すること。それが唯一、超高層が許される条件だ」

とは反対派と闘い、着工へこぎつけた前川の言葉だった。

(前回投稿の続き)

前川は都市建築おける高層ビルの在り方を模索し実現した。
彼はこのビルの敷地に緑生い茂る開放空間、都市に光を取り入れ人々が集う場を作った。マルセイユのユニテ・ダビタシオンのような高層建築における共用施設のアイデアを日本のコミュニティへと応用しようとした。


彼はこうも言っている。
ビル、建築は「歴史的な遺産だ」 と。

僕は東京がとても好きだ。
根無し草として各地を転々とする中で、僕の20代をこの場所で過ごせたことをとても誇りに思う。
かつて恐れ、身構えるような対象であったこの場所を僕が好意的に捉えているのは、あの希望の匂いのする波止場があったからなのかもしれないと思うことがある。
生活や思想の土台としてこの街で僕が育んだものは、かつて世界の何処かで誰かが抱いた「思い」が確かに存在し、今を生きる矮小な個にもたらした恩恵なのではないかと思うことがある。

東京海上ビルを創造した前川國男という男の思いは、困難な時代に都市を生きる人々の暮らしに向けられた。そして現代を生きる僕の背中を確かに押した。

東京海上日動ビルは確かに、世界の端っこで暮らす僕というひとりの人間にとっての特別な人生の波止場であった。

スイス人建築家、コルビジェが生涯かけて目指した「光の都市」への精神は異国の建築家へと引き継がれ、そして、時代を越えて今ここにいる僕にも注がれている。

それは遠い昔にクリエイションを爆発させたある建築家の情熱、あるいは愛の形だった。それはまだ薄暗い目覚めの東京駅に優しく佇んでいる。

ビル、建築は「歴史的な遺産だ」 


デジタルやバーチャルといった新しい世界の台頭で僕達の地平が広がることへの興奮・不安と同じくらいに、僕はアナログでハードな歴史的遺産の持つ原始的な温かみ、エネルギーを信じたい。

友人の幸福に笑い、隣人の不幸に涙を流すような純粋な思いから始まる「行動」「創造」が世界を変えると信じたい。

あるビルの解体にあたって、ひとつの個人的な経験を通して、改めて建物の価値を考えたい。