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【エッセイ】百人一首に染まった7日間。

こんばんは。


皆さんは百人一首、やったことありますか?

厳かで熱い戦いが繰り広げられる。
少しの遅れが命取り。
競技ならばなおさら。

そんな世界に、私は7日間だけ のめり込んだ ことがある。


・・・


中学生のある日。
ちょうど「百人一首大会」まであと7日であった。

私は百人一首をやろうか迷っていた。

大会とはいっても、ただの学校行事。
1つのグループに各クラス1人が割り振られ、百人一首をするだけ。

勝っても負けても、なにかが起こるわけではない。

また、この行事の1週間後、期末テストが控えていた。

中学のテストなので、1週間しっかりとやればそこそこ点はとれる。
でも、不安だから少し早めにやっておきたい。

そんなことを考えていると、あるプリントが黒板に張られた。
グループのメンバー表だ。

((私はどこだろう。誰と一緒だろう…。))

小さな文字の羅列をすみずみまで見る。

やっと自分の名前を見つけた。
他のメンバーは…

((???))

なんと、私が嫌いな人が3人もいたのだ。

いや、嫌いは言い過ぎかもしれない。
「面倒な2人」と「腹黒い1人」というのが正しい。

面倒な2人は、よくトラブルを起こす。
先生が手を焼くタイプの人。
とはいえ、関わらなければ何もしてこない。

その2人が、百人一首なんてわざわざ練習してくるとは思えない。

しかし、腹黒い1人はどうだろう?
とはいえ、この人は賢かった。
成績も良く、仕事もこなせる。
ただ、人をけなす言動をたまにする。
何度か喋ることはあったが、仲良くなる まではいかなかったハラグロさん(仮称)。

((大会までに百人一首を練習する…?いや、そもそもやったことあるんじゃ…?))

そう考えると、どこからか百人一首をする気力が湧いてきた。

その人に負けたくなかった。
ただそれだけが 動機 になった。


・・・


家に帰るとすぐに、百人一首の一覧をコピー。
下の句に これでもか とラインマーカーを引く。
赤シートで隠し、上の句をみて言えるかチェック。

これを覚えるまでずーっと続ける。
勉強時間を減らしてまで、百人一首を覚えようとした。

ある程度覚えられたら、札を使ってやってみる。
幸いにも、母が百人一首を持っていたので、練習に困らなかった。

音声を流して、文字が書かれた札とにらめっこ。

こうして7日間、練習を続けた。


・・・


大会の日。
体育館に生徒が寄せ集められ、グループごと封筒が渡された。
中には、厚紙にコピーされた百人一首の札。
白黒で、味気ない。

そんな札をぐちゃぐちゃに並べる。

合図と共に、ラジカセからの音が響き渡る。

風情などどこにもない 百人一首大会 が始まった。


例の3人は、予想通りという感じ。
ハラグロさん(仮称)は、やはり慣れていた。

負けたくなかった。

反響する音声を頼りに、偽物の札を淡々と取る。


60句 詠まれたあたりで、大会は終わりを迎えた。

取った札は、私は25枚、その人は20枚くらい。
まあ、グループ内では優勝というわけだ。

((だからなんだ?勝ってもなにもない。))

そう思いつつも、内心うれしかったのだ。

ちょっとしたことでも、成果につながる。
たかが学校行事のちっぽけな戦いであっても。


・・・


それ以降、百人一首はやっていない。
頑張って覚えた100の詩も、忘れてしまった。
今や『ちはやぶる…』の下の句すらさっぱりだ。

「高校で百人一首大会やりますよ!」
こう言われても、私はかつてのようにできないと思う。


中学の頃の私と、高校生になってから今の私は、まったく別物になってしまったような気がする。

過去の私は、エネルギーをたくさん使い、なくなったら自家発電。
そんな風に生きていた。
今の私は、どうだろう。
心のブレーカーをいくつも落としてしまったように感じる。


そのブレーカーの1つに「負けず嫌い」があった。

「負けたくない。」
そのために努力して、目的を勝ち取る。
ちょっとしたことでも、私はこうしていた。

それが今はできなくなってしまった。

高校では、集まる人も有象無象ではないし、模試などでは全国の人間と比べられる。
比較対象が高くて、広い。

そこで「負けず嫌い」でいるのは、厳しい。
とはいえ、何もしなければ置いていかれる。

どうすればいいのだろうか。


目の前にあることに「ちょっとした動機」を与えて、やるだけやる。
勝ち負けではなく、「この前から成長したかどうか」を見るのがいいのかもしれない。

例えば、勉強も「これならできそうだから」とはじめてみる。
しばらく続けて、できるようになったなら次へ。

目に見える成果も大事だけれど、成果を出すまでの 目に見えないもの を意識していなかった。

とはいえ、この「目に見えないもの」を保つのは難しい。
意識しても、比較 の波に打たれて 目的 が流されてしまう。

なにかに 染まってしまう くらいの努力を、またできるようになりたい。





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