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【エッセイ】なかよしごっこ、もうやめない?

こんばんは。


「       」


こんばんは!


「       」


こ ん ば ん は !


「       」

・・・

知ってるよ。

しってる。


私の文章は届いてない。
フォロワーには、とどいてないんだ。


私のフォロワーは100人くらい。

でも、それは「読者」じゃない。
本当に私の文章を読んでくれるフォロワーって、30人くらい。

残りはただのお飾り。


私のフォローもフォロワーも、曇ってる。


それを曇らせたのは、「届かないあなた」と、「私」自身だ。
ものすごく後悔している。

それを引きずって1ヶ月になる。


もう嫌だ。
「1」を増やす関係としてしか、お互いを認識できていない。
そんな意味のない数字が、増えたり減ったりする。

Xで嘆くのも、もうやめよう。
(フォロワーさんいつもごめんなさい)


だから「行動」をする。

ただ、私がこれからすることに、正当性はない。
それだけは前もって伝えておく。



今日は「終わりにする」おはなし。

曲がったものさしはゴミ箱へ。
厚底のブーツは脱いで、スニーカーに履き替える。

それに至るまでの感情の揺れ動きを、ちゃんと文章にしようと思う。


・・・


この感情を抱き始めたのは、3月のこと。

当時の私は、どうにかして自分を表現したかった。
自己紹介の補足という形で、趣味のことを語った。


自己紹介を書けば、それなりに人がやってくる。

「スキのお知らせ」
「フォローのお知らせ」
通知が何件もきた。

嬉しかった。

「こんなにいっぱい。みんなありがとう!」

とたくさんフォローを返した。


・・・


私はバカだった。

ドラ○もんからタイムマシーンを拝借して、1ヶ月の自分を殴りたい。

私はこの時、誰が「スキ」をしたのか、「フォロー」したのか、ちゃんと見ていなかった。

その人が
文章を読んで「フォロー」をしたのか。
ただ、「フォロー」したのか。

私は「ちゃんと」その人を見ていなかった。
「数」に圧倒された私は、判断力が欠けていた。


・・・


その後は察しが付くだろう。

文章を書いても、全然「スキ」がつかず、ビュー数だけが伸びていく。
きっとタイムラインには流れてるんだろう。

アプローチを変えてみたが、うまくいかなかった。
「書き方」を無理に変えようとすると、文章がぼやけてしまう。


悩んだ。

「みんなフォロー数多いから、見切れてないだけだよ。」

本当にそう?
見てくれる人は、ちゃんと見てくれる。

「毎回見てくれるわけないでしょ。」

知ってるよ。
読める数には限りがある。
私も全部は見られない。

「あなたの記事、つまんないんじゃない?」

そんなことわかってる。


意地悪な心の声が、私に話しかけてくる。

それを振り切って文章を書いてみる。
何も変わらなかった。


少しずつ、フォロワーが減ってく。
フォローを返したのに、フォローを解除されてる。
先週フォローしてきた人が、もういなくなってる。

「やっぱり、おもしろくない…?」
「つまらない…?」


そんな中、1つの疑問が浮かび上がる。


「そもそも、私を書き手として見てるのかこいつらは?」


自己紹介やサイトマップから私に流れ着いた人のほとんどは、それ以降記事へのリアクションがない。
実際、私の文章の「スキ」はフォロー外の方からのが多いこともよくある。

「読者」ではないフォロワーにとって、私は「数」なんだろう。


ここでやっと気づいた。

noteを取り巻く、悪魔のサイクルに。

脈絡もなく、とりあえずフォローをする。
※サイトマップだけスキすることもある
※私がスキやフォローをしたことはない

記事を読まない。

(フォローされなかったら)
フォローを解除する。

このサイクルをすると、相互フォローで数は増える。

これを応用すれば、フォロー<<フォロワーという、パッと見綺麗な形にもできる。

で、私はその人達に加担してしまった。
フォローという、ボタン一つで。
私はサイクルの被害者で、加害者でもあるのだ。


これに気付いてから、私はnoterを信頼できなくなった。

その人間の書く文章が、薄っぺらく感じる。
きれいごとに聞こえる。

温かい文章に、なにか冷たいものが隠れている。

フォロワーが誰なのか把握できる人数だから、誰がいなくなったのか、すぐわかる。

noteに対してどう向き合えばいいのか。
私はわからなかった。


・・・


私は怖かった。

文章へのリアクションがないこと。
そして、noterそのものが。

怒りや憎しみよりも、恐怖心が募っていった。


とりあえず「怖い」って伝えたかった。

それをエッセイにしてみた。





この気持ちを拾ってくれる方もいた。
嬉しかった。

ただ、この文章は読者に伝えられても、フォロワーには伝わらない。
それは揺るがなかった。


・・・


それから、人を簡単にフォローしなくなった。

「あなたの読者になりたいです!」とドアをノックしてくれた人をおざなりにする。
信頼したいのに「フォロー」ボタンが押せない。

同じ失望感を抱きたくない。
今もそれが怖い。


だからこそ、4月は「出会い」を大事にした。

フォローについての記事を読み漁った。
中にはメンタルにも応えるものもあった。
でも、それに抗う「文章」を探し続けた。

こうして、素敵なnoterに出会えた。


正直、その人たちが羨ましい。
noteを始めてすぐに、サイクルの本質を見抜いてる。
気づけなかった自分が嫌になるほどに。

その人は、これからも素敵な文章を紡いでいくんだと思う。
そうあってほしい。
それに読者がついていく。
私もその一人でありたい。


こうして1ヶ月、フォロワーと向き合ってきた。
文章に宿る「私」を見いだしてくれる人と出会うことができた。

私にとって、意味のある「1」が増えていった。


・・・


私は、今のnoteにおける「フォロー」が嫌いだ。

今のフォローは
「自分の文章見ろよ!」
という欲求がこじれた美徳にすぎないから。

そんな風に人を扱いたくない。
これ以上、自分の利益のために薄っぺらい関係を築き上げたくない。


noteは一人一人が自分の文章に向き合っている。

あなたもそうでしょ?


だから、フォロワーを「数」としてみたくない。


私は、自分の文章を受け入れてくれる読者にフォローしてほしい。
それ以上に、誰かの読者でありたい。


そうあるために私は、「終わり」を選ぶ。
「数稼ぎ」として近づいてきたフォロワーとの関係をなくす。
私はフォローを解除して、相手側のフォローも私の手で切らせてもらう。

こうしなきゃいけなくなったのは、私の責任。

『自分の感情に素直に。』
って言ってるやつが、こんなに無知で、自らの行動理念に反したことをした結果、悩んでしまった。


「ビュー数減るよ?」
「たくさんの人に見られなくなるだけだぞ」

今までタイムラインに流れてきた「私」の断片を見る気など全くなかったのだから、関係ない。

そんな人に文章の中の私が分かるわけがない。


私は泥沼に手を入れてしまった。
手を引いたけど、左手は泥まみれ。
この泥は落ちない。

勝手に期待して、失望して。
その結果、こんな無益で醜い行動をしようとしているのだから。


・・・


私は、今の読者を大事にしたい。
これからもそうしていきたい。

だから、区切りをつける。

「読者」としての「1」を、大事にするために。
絶対に間違えたくない。


どうせ伝わらないあなたへ伝えたいこと。

「    。」





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