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創作メモ(2020/6/22):作品にビターなテイストや地味な整合性を持ちこむ悪癖が俺にある

思うところあって、昔の自作小説や、他の方のまだ読めてない作品を読んでいたんですよ。

んで、分かったことがあり、「作品にビターなテイストや地味な整合性を持ちこむ悪癖が俺にある」ということです。

ビターなテイストや地味な整合性を万人が好む訳ではなく、これを入れた時点で「そういう味」になるし、好事家しか食わなくなる。

「そういう好事家の好む味付けを、自分も好むから、やる」のはまあいいが、「好事家しか食わなくなったことに文句を言いたくなる」のは、それは無理な話でしょう。

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ビターなテイスト地味な整合性を好むのは、たいていそういうある種のリアル志向のためです。

リアル志向しか認めない人、かなりいるのですが、これ、『小説神髄』写実主義を主張し、戯作勧善懲悪否定した、坪内雄蔵、号して坪内逍遙のゾンビですからね。

これが刊行されたの、1885-1886というから、もう1世紀跨いだ過去の遺物ですよ。

だから、そういうこと言うと、そういうのにうんざりしてその後のシーンを創った人たちや、その流れを知っている人たちに、完全に指差して笑われてしまいます。

気を付けねばなりませんね。

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というか、もし、ビターなテイストや、地味な整合性が、戯作的なところに由来するのなら、じゃあ写実主義戯作のどちらに寄せたいのか、立ち止まって考えてみた方がいいですよ。

最悪、超昔のアリストテレス『詩学』で既に言ったことを、今さら掘るのと同じくらい、猛烈に非効率的な営みになってしまいます。

そんな感じですね。

(いじょうです)

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