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随筆(2021/1/21):小学校算数水準での数の掛け算の「順序」という、しばしば「数学」「教育」上有害にはたらく、公理っぽい何か(A.掛け算に順序対的な「順序」がある場合と、ない場合がある)

1.小学校算数水準での数の掛け算の「順序」議論

1_1.小学校算数水準での数の掛け算の「順序」議論

一見、非常に奇妙な議論があります。
小学校算数水準での数の掛け算の「順序」という話です。

たとえば、九九でやるように、ふつう小中高での数の掛け算には順序は関係ない。3×4も4×3も同じ12である。そういうシンプルな法則が成り立っている。

ですが、一部の派が言う訳です。
「掛け算には、かける数とかけられる数の順序がある、と教えるべきだし、そう学習するべきだ」
と。

1_2.これは、まずい

話を聞くと、意図していることは、何となくは分かるんですよ。
おそらくいくつかの利益を期待し得るのであろうということは分かる。

ですが、これは、まずい。利益より害が大きい。
やめた方がいい。

1_3.この記事を書いている自分の立ち位置は、「やめるべき」というものです

ということで、私は
「こと小学校算数水準において、数の掛け算に「順序」があるという教育は、期待し得る利益をもってしても、なおも副作用の害顕著に目立つ。
「数学」「教育」をやるつもりなら、やめるべきだ

という立場にあります。
今日から数回に分けて書く記事は、その立場で書くものです。

この時点で
「算数教育や数学教育の現場を何も見ない、頑迷な数学マニアックだ。話にならん」
と帰ってしまう人がいるでしょうが、まあ読んでください。
少なくとも
「算数教育や数学教育のことなどどうでもよく、数学的に正しいかどうかだけしか考慮しない、という訳ではない」
ということだけはお約束します。

2.「どこがどうまずいか」のより具体的な話

2_1.「どこがどうまずいか」のより具体的な話(の流れ)

「こと小学校算数水準において、数の掛け算に「順序」があるという思想と、それに基づいた教育は、期待し得る利益よりも、副作用の害の方がはるかに大きい。
「数学」「教育」をやるつもりなら、やめるべきだ」

そういう話をします。
で。
それはなぜか。
どこがどうまずいか。

その話ももちろんしなければなりません。

***

小学校算数水準における、数の掛け算の「順序」とは何か。逆に、何と混同してはならないものか。どういう場合分けが可能か。

***

それを「数学」「教育」で教えるとはどういうことか。それは「数学」そのものの都合なのか、数学そのものとは関係ない、「別の事情」における都合なのか。
平たく言うと、それが「数学」そのものの都合「でない」場合、それを「数学」「教育」でわざわざやるには、余程の事情が必要だ。
要するに、特例措置でそれをあえて行うことが正当化されるだけの意図、何らかの狙いがあるはずだ。

その狙いは、「数学」「教育」でやることであり、しかも「数学」の方の都合ではない。
つまり、「教育」の側の都合か、「数学」と「教育」が交差する時に初めて生じて来る、何らかの事情であろう、ということだ。
まあ、「数学」とは「別の事情」として扱った方が、説明の便宜上良いことでしょう。

***

では、意図しているもの何だと考えられるか。
要するに、期待し得る利益とは何か。

***

そして、ここからが本題だ。
その意図どういう時に限って成り立つのか。それ以外の時には適用すべきではないのか。どういう場合分けが可能かが、こちらの局面でも大事になってくる。

***

なぜそんな場合分けをせねばならないのか。
先に述べますと、ここの話が、「副作用の害とは何のことか」の説明そのものになるでしょう。

***

そして、その副作用の害は、期待し得る利益と並べた時に、そこまで際立つものなのか。それはなぜそう言えるのか。

だいたいこの辺の話をしようと思います。

***

この議論には、つまづくポイントがいくつかあるので、それらはキッチリ解体したい。
なので、そこに差し掛かったら、文章が容赦なく長くなります。ご了承下さい。

2_2.小学校算数水準における、数の掛け算の「順序」とは何か

小学校算数水準における、数の掛け算の「順序」とは何か。
逆に、何と混同してはならないものか。
どういう場合分けが可能か。

2_2_1.掛け算に順序対的な「順序」がある場合と、ない場合がある

2_2_1_1.順序対としての、数の掛け算の「順序」

ここの文章は、気を抜くと
「掛け算の「順序」ってどういう順序だっけ」
と混乱する、他ならぬ自分のために、念のため書いたものです。

今回の話題に直接は関係ないので、あまり気にしないでいいところですが、
「フワフワ説明しているが、その話じゃねえんだよ」
という事態だけは避けられるでしょう。
混乱の元は出来るだけなくしたい。

***

ここで想定される掛け算の「順序」とは、「かけられる数」を左に、「かける数」を右に書くことを意味します。

数学的には、これは集合のうち、集合の中にある要素並べ方意味がある、いわゆる「順序対」の話です。

2_2_1_2.(混乱の元の解体・甲)一つの集合の中についての話である順序対と、複数の集合の間の話である(広義の)順序関係の区別

複数の集合の中の要素の並べ方を無視せず、表のようにしてうまく組み合わせると、これでそれら集合の間のありとあらゆる関係が描写出来ます。

並べ方を無視すると、どのくらい重複があるかが、全部無視されてしまいます。
この辺の事情は、小6あたりでやる、順列組合せの話として現れて来るところです)

***

順序対でない、説明抜きで使われる方の(そして、今回の話題とは直接関係ない方の)順序、(広義の)順序関係とは、一つの集合の中の要素の話ではありません(それでは順序対と同じになってしまう)。
上で言うような、複数の集合の間の関係についての話です。
順序対ではない順序関係の具体例としては、「この集合の方があの集合より要素が多い」とかの話ですね。
順序対が順序関係の前提にありますが、これらは区別されます。

2_2_2.数の掛け算に順序対的な「順序」を想定する際の場合分け

2_2_2_1.単位が関係ない数や、単位が等しい数の場合

小学校算数水準における、数の掛け算の「順序」の話は、数学教育として考えた場合、場合分けが必要になってきます。

単位が関係ない数や、単位が等しい数の場合は、順序は関係ない。
平たく言うと、数学としての都合しか考えない場合の、九九面積・体積がそうですね。

2_2_2_2.複数の数に、複数の異なる単位が割り振られている場合

問題は、
「複数の数に、複数の異なる単位が割り振られている場合は、その数の掛け算には「順序」があると考えた方が都合が良い」
と考えたくなる人が、かなり多いことです。

そう考えたくなることには、一定の説得力がある。
では、その説得力は、何に起因するのか。

***

(続きは、また次回)
(しかし次回はいきなり閑話休題になっちゃうんですよ)
(なぜいきなりそんなことを、って?)
(上の二つからさらに外れる、数じゃない場合の掛け算の「順序」の話だからです)
(例えば次回やるのは行列の話ですね)
(一部の論者はこれをもって数の掛け算の「順序」の議論に適用しようとします)
(そしてそれは不適切だという話をします)
(ここは、先に述べた「つまづくポイント」の一つです)
(だから、キッチリ、解体、やっていきましょう)
(乞うご期待)

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