SFヘッダー20191007

トマトは星の海を歩く


 そのトマトが意識を持ったのは、陽の眩しいある夏の午後のことでした。
 はじまりは、小さな小さな問いかけ、からです。

 見渡す限りのトマトの森が世界をぐるりと覆って、反転した地平線のどこまでもどこまでも広がっています。大空がゆるやかな凹曲線をえがく地平線の奥へ奥へと吸いこまれて、その果てにある収束点が、はるか遠くもやのなかに霞んでいます。
 さわやかな音を立てて飛び立つのは、水撒き鳥の群れ。透明な翼からは霧雨がこぼれ落ちて、珠虫色に光っています。細やかな水の粒がトマトの柔らかな曲線を優しくつたいます。
 水のつぶつぶは、ビードロの豆レンズのように、トマトの表面を行き交う粒子を美しく映しだしました。時折、粒子の描くパターンが周囲のトマトと同期して、森のなかを光のさざ波が広がっていきます。

 トマトの意識は、問いかけから始まります。小さな問いがトマトのへたから一筋の光となって、表面をつと走ります。すると、それに答えようと別の光が幾筋か問いかけのあった方へ向かっていきます。光が現れては消え、消えては現れて、試行錯誤が重ねられます。そうしているうちに、問いかけの種類も答えの種類もだんだんと増えて、光の往来が目まぐるしく複雑になってゆきます。

 この世界を照らすのは、中空をつらぬく《太陽の筒》。トマトたちが活発なのは昼のあいだで、《太陽の筒》の明かりがゆっくりと消えて、夕暮れが近づくと、トマトたちの活動も落ち着いてきます。
 トマトの森が、橙いろから紫いろに染まって、昼のあたたかさをほっかりと包みながら、闇に溶けていきます。
 水撒き鳥も、薄い霧のカーテンを描いて空を去り、夜が訪れます。
 トマトの光はまばらになって、星のようにまたたいています。聞こえてくるのは、トマトから滴り落ちる水滴の音、かすかな葉ずれの音。

 トマトには、問いかけが始まるT極と答えが発されるO極があります。T極がへたのところ、O極はおしりのところです。
 問いかけや答えの光は、真珠母いろのトマトン粒子の結晶体で組み合わされていて、ふつうは、極と極とのあいだをスムーズに行き来しています。結晶体はトマトの表面を忙しく動き回って、それぞれがぶつかったり、重なり合ったり、通り過ごしたりしています。
 でも、ぜんぶのトマトがうまく育つわけではありません。トマトのなかには、表面が窪んで《えくぼ》ができてしまうトマトもありました。

 あなたがそのトマトの異変に気付いたのは、その夜更け。《えくぼ》からこぼれてくる結晶体のかけらを食べるヒカリムシが二匹、ちかちかと点滅していたのを見つけたのです。
 あなたは、そのトマトを手にとって、《えくぼ》ができてしまったほかのトマトたちと同じように、ちいさな六角形のうつわに収めました。
 うつわには『ジャック』と液晶ラベルが貼られていました。

 うつわは、液体のアルゴンで満たされています。一つのうつわに、一つのトマト。あなたは、やさしくジャックをうつわに入れると、夜空へそっと放ちました。
 森のあちらこちらから、青紫に光るアルゴンのうつわが闇にゆらめきながら、もうまっくらになってしまった空へ、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と浮かんでゆきます。

 見上げると、いくつもの光りのうつわが、《太陽の筒》に沿うように、一つの方向へ流れていきます。
 いつかみた、天空の灯籠流しのようです。

 ジャックと名付けられたトマトのうつわも、夢みるようにその光る川に吸い寄せられてゆくのでした。









このSF小説はこれでおしまい、プロローグで終わりです。SFのプロローグばかりをじゃんじゃん書いていくというマイ・プロジェクト『PROLOGUE-ONLY』、詳細はこちらをご覧ください。


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