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作家・詩人 寮 美千子 氏 どうすれば子どもの存在そのものと向き合えるのか ~奈良少年刑務所で見出した言葉本来の目的とは~(September 2022 Vol.002)

はじめに

インタビューコンセプト

今回は、寮 美千子さんから、どうすれば子どもの存在そのものと向き合えるのかについてお話しいただき、どうすれば受容的な社会・文化がつくれるのか、という問いについて考えました。重要なのは、「関わり方」ではなく、「受けとめ方」であることが見えてきました。
 

インタビュイー紹介


作家・詩人 寮 美千子氏
 
毎日童話新人賞、泉鏡花文学賞を受賞。2007年~16年、奈良少年刑務所において行われた「社会性涵養プログラム」のなかの絵本と詩の教室(「物語の教室」)の講師を務める。同プログラムは重い罪を犯した少年受刑者に対して、彼らの情緒や社会性を取り戻すという奇蹟的な効果をあげた。
  

「社会性涵養プログラム」とは

奈良少年刑務所で受刑者を対象に行われた情操教育。3つの授業がある。
 
①SST ソーシャルスキルトレーニング。挨拶の仕方や、嫌なことを頼まれたときの失礼のない断り方など、基本的なコミュニケーションを学ぶ。
②絵画のプログラム 絵画の基本を学び、絵を描いてみる。言葉や日常から離れ、無心の時間を過ごす。
③物語の教室 詳細後述。

 記事本文

「物語の教室」とは、ありのままの自己表現を受けとめる場

遠藤: 「社会性涵養プログラム」は受刑者を対象に行われましたが、「受刑者」と聞くと「理解できない」、「怖い」というイメージが先行してしまいます。まずは受刑者の実際の姿や、「物語の教室」について概要を教えていただけますか。
 
寮: 「社会性涵養プログラム」は殺人犯やレイプ犯を含む、刑務所の中でも特に困難を抱えた子を対象として行われ、「物語の教室」は言葉を用いた情操教育としてゼロからスタートしました。手探りのなか結果的にできた型が、最初に絵本を用いて朗読劇を行い、それから詩をつくることです。

 その本質は、ありのままの自己表現と、受容です。刑務所で教室に参加した子たちは、重度の虐待などつらい背景を持つ子ばかりです。彼らは自分にふりかかるつらいことに対して「感じないようにする」ことで生きのびてきました。生きるためにそういった処世術を身につけているのですが、次第に自分の感情がわからなくなり、感情を表現する方法や「生きている感覚」を失ってしまいます。

 結果、生きることがよりつらくなっています。再び感情を取り戻すには、自分の中を覗いて、中にあるものを吐き出さないといけません。その吐き出すための心の準備体操として、まず「物語の教室」では朗読劇を行います。人の前で何かをしたことがなかった子たちが、みんなの前で絵本の朗読をし、役を演じ、心からの拍手を受けます。たったこれだけのことですが、これだけのことすらして来られなかった子たちです。

 みんなの前で台詞を読み切った、役を演じ切ったという達成感と自信が、欠けていた自己肯定感の芽生えになります。この時点で多くの子に変化が見られます。この「場」では「自分」を出しても傷つけられないのかもしれないと思い始めてくれます。

 そうやって気を許した後で詩の授業に入ります。授業前に宿題として「何でも良いから詩を書いてくること」を課し、彼らが書いてきた詩をまずは本人に読み上げてもらいます。そして、みんなからその詩に対する感想を言ってもらい、最後にみんなで詩を朗読します。

 自分がありのままに表現したものをみんなが受けとめてくれ、最後は声に出して読んでくれます。これはとても嬉しいことだと思いませんか?
 
遠藤: きっと、とても嬉しかったでしょうし、安らかな気持ちになったと思います。そしてこの取組の結果、受刑者の拒否的な態度が素直になった、今まで全く話さなかった子が堂々と話すようになった、ひどいチック症状が劇的に改善した…などの著しい効果が見られたことは著書で知りました。
 
寮: 本当にこれっぽっちのことか、と思うかもしれません。ありのままの自分をさらけ出し、それを受けとめること、言ってしまえばこれだけのことです。しかし、それが深いレベルでなされることで驚くほどの効果が見られます。
 
※   詳しくは、著書の「空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集」(新潮文庫)や、「あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室」(西日本出版社)等をご参照ください。
 

  

「物語の教室」を成功させた安心安全な場、信頼関係、文化

遠藤: この取組は奈良少年刑務所以外でも再現可能なのでしょうか。
 
寮: 奈良少年刑務所でなくとも、そして講師が私でなくても「物語の教室」は再現できると思います。
 
遠藤: 「物語の教室」が高い効果をあげた要因は何だったのでしょうか。
 
寮: ポイントは3つあります。一つ目は寄り添いと共感に溢れた「安心安 全な場」です。教室を始める前に子どもたちに目的を伝えることが重要です。「この教室では、社会に戻った時に君たちが生きやすくなるように、困ったときに「助けて」と言えるようになるために行います。ここでは点数もつけません。評価もしません」ということを伝えます。授業中寝ている子がいても、「大丈夫?具合悪いの?」と尋ねるにとどめ、非難はしません。そうすると、子どもの方で授業を受けるか寝るか、という選択ができます。この場では子どもたちの主体性を尊重します。

 二つ目は、子どもと「信頼関係」を結べる大人がいることです。信頼できる大人が傍にいることは、安全地帯から一歩を踏み出し、本音を覗かせるきっかけになり得ます。教室にきた子の多くは普段から教官と深く関わっていなかった子です。それでもうまくいったのは、刑務所そのものと受刑者の間に信頼関係があったからだと考えています。

 そして、刑務所と受刑者の信頼関係を育んでいたのが三つ目のポイントとなる「文化」です。子どもの根本存在を肯定し、その可能性を信じるという施設の「文化」です。この文化を教官が共有しているからこそ、教官は受刑者に信頼してもらうことができました。
 
遠藤: 安心安全な場、信頼関係、文化が重要ということですね…。奈良少年刑務所以外の場所では「物語の教室」はされていないのですか。
 
寮: ある自立援助ホームでやりましたが、これはうまくいきませんでした。失敗した理由は、入所者と職員の間に信頼関係が結ばれていなかったからです。

 職員は、腫れ物を扱うかのように入所者に接していました。気を遣うあまり、入所者に支配されているような状態だったと思います。そのため入所者が真剣に「物語の教室」という「場」に臨めず、心から自由な気持ちで詩を書くことができませんでした。そのため「物語の教室」に期待される効果が得られませんでした。

 一方、ある児童自立支援施設ではうまくいきました。集団劇では児童たちがすごく楽しんで、自分たちからこの劇を発表させてほしいと言ってきたほどでした。児童自立支援施設も「枠」がある生活をしている点で刑務所に似ていますが、そういう場所のほうがやりやすいというのはありますね。

 否定しないことは教室の前提として、本人たちが「きまりを守れる」ことも場の形成に重要です。

 また、知的障がいを持つ人々が通う通所施設でも行いました。質問に対して「はい」か「いいえ」でしか答えられないなど、詩に対する感想を述べることが難しい人もいましたが、うまくいきました。言葉として明確に表現できなくても、何かが伝わっていたのですね
 
遠藤: 刑務所の事例から一貫して、「同じ立場の人」に受けとめてもらうことでより大きな効果を生んでいるように思いました。
 
寮: それはすごく大きいと思います。やはり、寄り添いと共感が大切なんです。「ほめる」のは危険だと考えています。良いことを言って評価されるということを覚えたら、本当に自分が思っていることを言えなくなってしまいますから。

 ほめるのではなく、「あなたが喜んでいることが嬉しい」というように、自分が感じていることを伝え、喜びを共有してください。刑務所にいた子たちは人の顔色を窺うことにすごく長けていて、こっちが「何かしてあげよう」という気持ちでいたら即座に見抜いてきます。

 「何かしてあげよう」と思うのと、その子に「寄り添いたい」と思うのは全然違います。それだけ敏感にならないと生きてこられなかったんですね。そういう子たちとの関わりはマニュアル化できず、施設の文化に支えられるものだと思います。ちゃんとした文化があればうまくいくと思っています。

必要なのは、どう関わるかではなく、どう受けとめるか

村田: 私も過去に児童と接する仕事をしていました。そのなかで関わり方についてすごく悩んだ時期がありました。本人の主体性を尊重しつつ、ダメなことをダメと言いながら「あなたの存在を受け容れているよ」ということを示すにはどうすれば良いのでしょうか。
 
寮: まず示す前に受け容れなきゃですね。何をどう示すかではなく、自分が本音でその子の存在を受け容れているかどうかです。「この子が死なないでここ(施設・刑務所)にきてくれて良かった」というような気持ちを自分自身が持てていなかったら、それは伝わらないと思います。
 
村田: そこまでの気持ちは持てていませんでした…。
 
寮: 刑務所にいる子を見ていると、犯罪してえらかったねとはもち ろん言えないけれど、犯罪をしてでもなんでも生きのびてくれてありがとうと思いますから。
 
遠藤: 著書の「あふれでたのはやさしさだった」のなかに、「言葉本来の目的は、人と人をつなげることだ。言葉を介して、互いに理解しあい、心を受けとめあうことだ」とありましたが、僕たちはどうやって言葉というもの、感情というものに向き合えば良いのでしょうか。
 
寮: 言葉そのものに意味はなくても良いんです。言葉は「どう使うか」ではないんです。発すること自体は大事ですが、より重要なのは、発せられた言葉に対して、どれだけ全力で向き合えるかです。本当に受けとめてもらったとき、そこからコミュニケーションが生まれ、受容しあう関係性が生まれます。
 
遠藤: …それはつまり、発する言葉に関わらず「伝わっている・受けとめられている」という実感を得ることのほうが重要で、それが存在肯定となり、引いては受刑者の変化につながったということですか。
 
寮: その通りです。今回の取組で「発する・受け取る」の媒体になっているのは詩ですが、詩には何を書いても良いんです。本音を書かなくてもいい。不安を書いてもいい。本当のことじゃなくてもいい。

 ただ、書きたいことを自由に書いてほしい。今、社会に自分の心の声を自由に語り、受けとめあう場がありますか?本当はもっと、言葉をきっかけとして関係性をつくれるような場が必要なんです。

 元受刑者が集まって自由にしゃべれる場があっても良いと思っています。同じ境遇の仲間同士だからこそ、弱みを見せあい、励まし合うことができると思います。それはとても勇気をもらえることです。そういう場を見守れる大人がいれば良いですね。

弱さを開示し合えれば、ありのままの関係性がつくれる

村田: 当事者同士の語りあい・受けとめあいが大事ということですが、施設の子はそういう話し合いの場に変に慣れている部分があると思います。毎回お手本のような作文を書く子もいます。
 
寮: そういうときは提示されたものを否定せず、「膝カックン」をしながら「そんなに肩肘張るなよ~」と声をかけていましたね(笑)。前を向いて生きようとか、クヨクヨしない、とか書く子がいたら「下を向きたい日もあるよね~」と言って、支援者側が弱さを見せるような自己開示が必要だと思います。それは私たちが取り組んでいるときは必ずやりました。

 良いことしか書かない子がいると、みんなが「良いこと=評価される」という認識になる恐れがあります。そうなるとみんなが右へならえ、になります。「先生もダメならおれもダメでいいや」と、そう思えるような場づくりが必要です。

 社会性涵養プログラムの「涵養」は、人に「寛容」になることでもあるんです。 できても、できなくても、「いいじゃん!」と言えるようになることだと思います。そう言えるようになると、自分が「いかに自分に寛容でなかったか」に気づくことができます。

 できないなら「できない」と言えば良いのだと、支援者自身が気づくことができます。「物語の教室」でベテラン教官が「自分も変わった」と言われたのが印象的でした。
 
遠藤: 寮さんが言われるような受容的な社会をつくるためには、どういった認識の転換が必要だと思われますか。
 
寮: この「物語の教室」が認識の転換を起こしてくれると思っています。「自分の気持ちが伝えられない」というのはもどかしいし、イライラするし、つらいです。だからこそ「物語の教室」に効果があるんです。自分の気持ちが伝わったという実感を得られる場になるからです。

 自分の言葉が伝わっている、自分の言葉に対して何か言ってくれる、という交流が今まで誰にも理解されずに独りぼっちだった子に、ものすごく大きな癒しを与えてくれます。ぜひ、この取組がもっともっと広まってくれれば嬉しいです。

 編集者あとがき

編集者あとがき(遠藤)

 他者を受容するということがどういうことか、その本当の意味を教えていただけた気がしました。特に衝撃的だったのが、「言葉はどう使うかではない」という寮さんの発言です。どれだけ美しい言葉でも、どれだけ力強い言葉でも、伝わっていなければ意味がない。逆もまた然りで、自分に向けて発された言葉のうち、どれだけにきちんと向き合えているのだろうかと考えました。

 ちなみに寮さんが尊敬する作家は宮沢賢治だそうです。寮さんはその場で「春と修羅」を諳んじてくれました。賢治は一貫して「個人が宇宙のなかでどういう位置づけにあるか」を論じた人物だったとのことです。

 これをお読みの方も(もちろん私も)この社会のなかでは一隅を照らす「点」です。しかし点が集まって、線となり面となり、社会を動かす力になります。点と点をつなぎたいSaiが、人と人との関係性の本質に迫るお話が聞けたのは非常な幸運でした。今回もお読みくださった方に得られるものがあれば幸いです。次号もどうぞよろしくお願いします。

編集者あとがき(村田)

 涵養とは「水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること」です。本文でも触れていますが、受容的であることを示そうとするあまり、過度に言葉を選んだり緊張感を抱いたりしていた時期がありました。

 真に受容することは難しいことですが、お話を通じ、「自身の弱みも開示しながら無理せず時間をかけて関わっていくことで自然と相手に寄り添えるようになるのでは」と考えられるようになりました。

 また、かける言葉が見つからずに傍にいることしかできないもどかしさに苛まれた経験を寮先生にお話ししたら、ある受刑者の言葉を教えていただきました。「僕が穴の底に落ち込んでいるとき、ある先生は穴の上から手を持って引っ張り上げようとしてくれました。ある先生は穴の底に降りてきて僕のお尻を押し上げてくれました。でも先生は違いました。先生は穴の底に降りてきて僕の隣に黙って座ってくれました」。

 衝撃的でした。関わり方に正解はないですが、これから先、格好をつけずに自然体でいられたらと思いました。素敵な時間をありがとうございました

 編集者紹介

編集者 遠藤 綜一
滋賀県職員。予算経理に6年間従事し、その後児童養護施設を担当。ピーク時の年間読書量が200冊の本の虫。好きな作家は中村文則。
 
編集者 村田 初音
大学卒業後、児童福祉の現場で3年間従事する。事務は2年目。シャルル・ペローと誕生日が同じ。江國香織が好き。


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