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長浜市議会議員 村山 さおり 氏 今、地域につながりをつくるために必要なものは何か ~ 「一人の母親」から出発し、議員に至った道のり・思いとは ~ (December 2022 Vol.004)

はじめに

インタビューコンセプト

今回は村山さおりさんから、自身の経験や市民活動、議員活動についてお話しいただき、「今、地域につながりをつくるために必要なものは何か」という問いについて考えました。重要なのは、必要とする人と必要とされる人をつなぐことであることが見えてきました。

インタビュイー紹介

村山さおり氏
「一人の母親」から出発し、子ども食堂やフードバンクなどの市民活動を経て、現在は長浜市議会議員を務める

記事本文

5人目の出産で経験したつながりの大切さが原点

遠藤: 村山さんは異色の経歴をお持ちですが、はじめに、どういったきっかけで子ども食堂などを始められたのか教えていただけますか。
 
村山: きっかけとなったのは、5人目の子どもを出産したときの経験です。5人目を出産するときは医療が介入しないお産にしたいと思っていました。器具につながれたりせず、好きな体勢で産みたかったんです。当初かかっていた病院ではそのような対応はできなかったので、東近江市にある朝比奈助産院というところを見つけ、転院することになりました。そこでは最初に2時間ほどかけて家系から生い立ちまで様々なことをお話ししました。普通の病院では診察時間より待ち時間が長く、なかなか相談もできない状況ですが、そこでは毎回時間をとってじっくりと私の話を聞き、体調を気遣ってくれました。その関係がとても心地よかったです。朝比奈助産院は医療器具がないので逆子や病気の対応はできませんが、いざ出産の際には助産師さんの部屋で2人の助産師さんと子どもたちに囲まれ3日間を過ごし、出産しました。ずっと肯定的な言葉や励ましの言葉をかけ続けてくれてとても安心でき、その安心感がすごく幸せでした。家に帰ってからも、何かあると相談できる関係が得られました。親よりも頼りにしていましたね。
 長女は20歳になる前に出産したので、周りが遊んで楽しく過ごしている間の育児はつらいことばかりで孤独でしたし、長女が1歳になってすぐ会社員になったので、家と会社の往復しか知りませんでした。でも5人目の出産体験のあと、食・命・お産のことを学びたくて、講座や集まりに参加するようになりました。これらの経験から、同じように孤独な育児に悩む人の力になれないかと考えるようになりました。
 
遠藤: つらい孤独を経験し、大切なつながりを得て、それを広げたいと感じられたんですね。
 
村山: それから子ども食堂の立ち上げに至るまでですが、長女が幼稚園に上がる年齢になったとき、家庭と仕事の事情から今住んでいる地域に引っ越しました。地域性や言葉遣いの違いなどから長女は元の家に帰りたいと泣いて帰ってきましたし、私自身も子育てをしていくのが不安でした。そんななかで12年前に、地域で虐待事件が起こったんですが、その事件に対する学校と地域の反応がとても薄く、「おや?」となりました。同時に私自身、同じ地域に住んでいたはずのその子の顔も名前も知らないことに違和感を覚えました。
 それがきっかけで事件の次の日から、会社に行く前に立ち当番をすることにしました。地域で決められた立ち当番は形骸化していてほとんど誰もやっていませんでしたが、自主的に立ち当番をするようになってから地域の子どもの顔と名前を覚えるようになりました。中には夜に自転車でうろうろする子もいたので、なにかできないかと思い始め、教育集会所(学習と生活改善の支援などを行う)の先生に相談しました。そうしたら、「まずは仲間をつくること」だと言われました。
 そこで、学区内で同じような考えを持っていそうな3人に声をかけ、4人で2015年11月に子ども食堂の団体を立ち上げました。滋賀県は県社協も熱心で補助もありますし、子ども食堂ネットワークという全国規模の団体に登録すればいろんな企業から食料や寄付をもらえました。大量の支援物資をほかの困っている人にも渡せたらいいなと思い、 2018年2月には「フードバンクながはま」を立ち上げました。この時はまだ市内で初めての取組みで、とりあえずやってみようということで細々と続けていたのですが、コロナが流行したことをきっかけに新聞にも取材していただき、取組みが広がっていきました。今では長浜市役所の全支所にボックスを置いてもらっています。
 そうやって活動するうちに、周りから議員に立候補しては、という声をいただくようになりました。私はそこまで政治家という職業に前向きではなかったのですが、子どもや若者に託せる未来を創りたいと思って活動していたものの、今の社会のまま次の世代に渡すのは申し訳ないという思いが強まっていました。有休休暇を活用するだけでは市民活動ができなくなってきていたこともあって、次第にこの目的を達成するために市議になるのもひとつの務めかなと考えるようになり、この道に進みました。


顔が見え、理解のあるつながりが安心を生む

遠藤: 朝比奈助産院で得たつながりのように、やはり「顔の見える関係」が重要なのでしょうか。

村山: やはり、顔が見えないと相談しにくいことは多く、顔が見える関係は安心です。上の子の時は出産した病院にわからないことを聞いたこともありましたが、電話に出る人もその時々で違 うし、向こうも忙しいだろうと思い、聞きたいことの半分も聞けませんでした。顔が見えている、自分のことをわかってくれている人とのつながりはとても大きいですね。また、自分の親や夫から言われることだと、正しくても受け入れにくいこともありますが、朝比奈助産院の助産師さんのようにナナメの関係からのアドバイスは素直に受け入れやすいです。
 
遠藤: 寄り添ってもらえると、少し足りていないところがあっても「これでいいんだ」と自己肯定できそうです。
 
村山: 私は自分でいろいろ調べてアプローチできたのですが、情報をキャッチできないお母さんもいますし、子育て支援センターに行っても、他のお母さん同士が仲良く話しているのを見て余計に傷ついてしまうお母さんもいます。そもそも外出できる気力と体力が乏しい方もいます。もっとアウトリーチが必要だと思いますね。兵庫県の明石市はおむつを宅配していますが、そういう制度やマ イ助産師制度のようなものが求められていると思います。


他人に「甘えられない」のはそもそもコミュニケーションが不足しているから

村山: 実は私たちが運営している子ども食堂には、中々親御さんが来てくれないんです。
 
遠藤: なぜですか。
 
村山: 理由は様々だと思いますが、遠慮していたり、親はこの場にはいるべきではないと思っていたり、迷惑をかけてはいけないと思っていたり……簡単に言えば、「甘えられない」とも言えます。私たちはつながりたいと思っています。ただ、つながりには必ず煩わしさがあるんです。この煩わしいけどつながりたい、という思いの触媒になるのが「おせっかい」とか「甘える」とか、そういうものだと思うんですけどね。

遠藤: 子ども食堂が、みんなが甘えられる場所になれば良いですね。
甘え下手…言い換えれば関係づくりが下手ということだと思うのですが、なぜ関係づくりが下手になっているのだと思われますか。

村山: そもそも、人と向き合うコミュニケーションをとる機会が減ったからだと思います。きちんと向き合って、思いを伝えあうようなコミュニケーションです。そういうコミュニケーションができないということは、自分の気持ちが言葉にできなくなったり、相手の思いを尊重できなくなったりすると思うんです。
 子育てや介護にしても、我が家の事情を知られたくない、周りに迷惑をかけたくないなど、「自分が周りにどう思われているか」を気にしすぎることで、結果的に自分の首を絞めているのが今の社会のような気がします。ありのままの自分でいられないと疲れちゃいますよね。育児に関しては、「ち ゃんとした母親として見られたい」という思いが良い方向に影響していない気がします。しんどいことや弱さを周りに伝えられるかどうかは、社会での生きやすさという面で重要ではないでしょうか。

遠藤: うまく伝えられないからどう思われているのか気にしてしまう…ということですね。たしかに、お互いが理解し合えていれば、お互いに甘えられるのかもしれません。


必要とされる人と必要とする人が出会えば、つながりは生まれる

村山: コミュニケーション量を増やすのと同じく、子どもが社会とのつながりを持てる大人に育つために大事なのが、子どもがどれだけ多くの大人に関われるかです。以前、長浜市神照町の神照学区で「名人地図」というものを見せていただきました。 学区内にいる鮒ずしづくりの名人や、ひょうたんづくりの名人、畑仕事の名人などを調べ、マッピングした地図でした。そして実際に子どもたちはその名人たちから名人の技を教えてもらいます。これは教えるほうも自身の経験や技を必要とされるから嬉しいですよね。必要とされる人と、必要とする人をつなげることで活力が生まれます。「何をすればよいかわからないけど、何かをしたいと思っている人」は地域に点在しているので、いろんな人の思いをつなげることができれば良いなと考えています。
 自分が大きくなってもその地域に住もうとか、また帰って来ようと思えるかどうかって、地域に対する思い入れがあるかどうかだと思うんですよね。思い出が愛着になるはずです。だからこそ、地域の中であこがれる人、尊敬する人に出会う機会がもっと必要だと思います。

遠藤: 尊敬できる人に出会えれば、子どもの人生は変わりますよね。

村山: 名人にもっと子ども食堂に来てもらえたらなあと思っています。必要とされるのは死ぬまで生きがいになりますし、人に喜んでもらえることが生きる喜びにつながります。核家族が常態化した現代で2世帯同居しろというのはもう無理なのだから、血縁に頼らないコミュニティを作り直すしかないと考えています。もっとなにかしたいと思っている人はいます。何かしたい人が活躍できる場があると、その人の心身の健康にもつながります。今はおじいちゃんおばあちゃんと暮らしたことない子どもも増えているので、おじいちゃん世代との交流は子どもの価値観も広げてくれます。


政治家となり、つくりたいのは次世代の「生きやすさ」

遠藤: 政治家になって、いかがですか。

村山: 自由も増えましたが、責任も増えました。例えばゴミ袋を無料にしてほしいと市民から言われたとき は、ゴミ処理にかかる費用や、なぜ無料にできないかなどを色々調べました。不案内な分野だと大変ですが、全部勉強ですね。匿名の方からクレームのようなものが議会事務局に入ったりもします。議員なので仕方ないのかなあと思いつつ、私はSNSを公開しているので直接私に意見することもできるのに、なぜ対話を放棄してしまうのかなと思ってしまいます。

遠藤: やっぱり議員ならではの悩みがあるんですね。

村山: でも選挙は楽しかったですね。私たちのチームはみんな素人でした。参謀も いないし、票読みもわかりませんでした(笑)。ただただ仲間との活動が楽しくて。結果として当選させていただけたのは仲間たちのおかげだと感謝しています。

遠藤: 得票された1300票は、きっとみんな「村山さんに」と素直に投じてくれた人たちなんでしょうね。今後はどうしていきたいですか。

村山: 選挙活動を始める際、「だれもが自分の思いを言葉や行動に移せて、それが他者に認められ、みんなが自分らしく活き活きと暮らせる街にしたい」と宣言しましたが、それは今も一緒です。
 目立った活動より、地域に根付く活動をしたいですね。子ども食堂や家事代行サービスのほか、「ミライミーティング」という名前でお話会を月に一度開催し、障がいがある方や、発達グレーゾーンの当事者の話を聞くこともしています。当事者の話を聞き続けることで、自分事にしたいと思っています。当選後挨拶活動をしていましたが、今は仲間とゴミ拾いをしており、そうすると自然に頭も下がりますよね。
 また、私は「どうせ言ってもムダや」をなくしたいです。長浜市内の学校で、生徒さんが納得できない決まりがある学校がありました。ある生徒がその決まりがなぜあるのか不思議で先生に尋ねたところ、「決まりやから」で済まされたそうです。そんな答えを返す大人ばかりだと、子どもは「どうせ言ってもムダや」になりますし、ゆくゆくは同じ答えをしてしまう大人になります。そうではなく、「言えば変わる」、「動けば良くなる」、そういう社会にしていきたいと思っています。
 子どもが大好きだからこの活動をしているというよりは、少しでも良い状態にして、「後お願いね」と言って次の世代に渡したいと思っているのが、自分の本質的なところだと思っています。

遠藤: 地域に根付く新たなつ ながりの青写真を示していただきました。本日は、貴重なお話ありがとうございました!


編集者あとがき

 村山さんはつながりを必要としていた人から、つながりを生む人になったと言えます。突き詰めると、人は誰しもまず与えられ、それから与えるようになる、ということだと思いました。であれば社会の基本は、まず自分が与えられるものを他者に与えることではないかと考えました。それなら誰にでもできるはずですし、一人ひとりが違うものを相互に与え合うことによって、社会はより豊かになっていくと思います。

 ここでの課題のひとつはお話にあったとおり、「甘えられない」、つまりそもそも「受け取れるかどうか」であり、これを乗り越えるカギはコミュニケーションであるとも言及されました。コミュニケーションと言えば、「聞く力」の重要性を述べている本を読んだことがあります。

 対話において多くの場合、注意力、時間、思いやりといったものを差し出している聞き手が「与える側」なのだということを思い出しました。じっくり丁寧に話を聞く。言うは易し…ですが、僕自身も改めて心がけていきたいと思います。今回もお読みくださり、ありがとうございました!


編集者紹介

編集者 遠藤 綜一
滋賀県職員。予算経理に6年間従事し、その後児童養護施設を担当。多い時は年200冊読む本の虫。好きな作家は中村文則。


私信のようなもの

今回は「母親」という側面にも触れました。
僕が母のことで忘れられないのは、自分が中学生の時、フルタイムで働きながら家事と3人の育児を一手に引き受け、かつ僅かな時間で資格取得のための勉強をしていた母の姿です。
あの姿を見ていたからこそ、僕も自分の時間が30分しかなくても今できることをしようと思うことができています。知らない間に親の影響は受けているものですね(笑)


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