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モイラのこと(少女論2)

アナトール・フランスの『マリ』ついでに、もう一人のマリについても書く。

文豪・森鷗外に砂糖菓子のように甘やかに育てられ、薔薇と菫の花びらを砂糖でからめた菓子を愛していた、森茉莉について。まったくべつの二人の少女なのに、私の中で二人のマリはいつもぴったりと重なりあってしまう。
 
還暦を過ぎた森茉莉が十年もの月日をかけて書き上げた長編小説『甘い蜜の部屋』には、糖蜜のように甘やかされた森茉莉の幼少期の記憶があますことなく影をおとしている。

作者いわく「父と娘の深い愛情を描いた、一種の恋愛小説であるとはいいながら、モイラというものすごく魅力のある若い女を描くことも主なテエマになっている」だそうで、三島由紀夫に「官能的傑作」と唸らせた九百枚にもわたるこの大作の主人公モイラは、ほかの少女小説ではそうお目にかかれない曲者だ。

Eileen Alice Soper, ”Swinging” . 1927, The Art Institute of Chicag


神にも似た絶大な権能をもつ父親の庇護のもとでまるで肉食獣のように周囲の愛と讃嘆のまなざしを食い物にしながら育ったモイラ。父からの汲めども枯れることのない、痺れるような愛情だけが歓びだというモイラ。
 
モイラと茉莉はよく似ているけれど、まるきり同じというわけではない。
モイラは天成の美少女(という設定)だし、悪魔めいた肉欲と色情の持ち主でもある(森茉莉がどんな色情を持ちあわせていたか知るすべはない)。このおそるべき少女は思春期にさしかかると男たちの渇仰の対象となり、挙句の果てには自らの夫を自殺に追いこみさえするのだ。
 
6歳の茉莉はといえば、肩まで垂らしたきれいな髪に銘仙の着物に紫の袴をはき、椅子に腰をかけてピアノを習っていた。広いお家に山と積まれた外国から来た洋服と靴。鴎外の娘への溺愛ぶりがそうさせたのか、あるいは生まれながらの気質のためか、この少女は装身具や宝石や花といった美しいものに貪婪だった。

貪婪な心は、愛情というきれいなものを欲しがった。イヴが失われたエデンの園を夢見たように、森茉莉は小説のなかで幼少時代を夢見たのかもしれない。潔癖なまでの少女性を忠実に模した魂のない少女モイラは、そうした茉莉の少女時代の濃密な記憶から産み落とされたといえる。
 
ところで、矢川澄子が小説執筆の直前に親しくなった室生犀星が娘へと向ける眼差しのなかに、森茉莉は父のそれと同質のものを感じたと書いているのを読んだことがある。

室生犀星の『密のあはれ』と『甘い蜜の部屋』がおなじ「密」の字を共有しているのは単なる偶然の一致? それとも何か理由があったりするのかしら。なんてことまで考えてしまう。

(つづく)  
     


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