馬場紀衣(iori baba)

文筆家。12歳で単身海外へ。University of Otagoを経て筑波大学人文学…

馬場紀衣(iori baba)

文筆家。12歳で単身海外へ。University of Otagoを経て筑波大学人文学類卒。古今東西の物語、幻想的、身体的、エロティックなものを中心に執筆。『光文社新書note』に書評、『Tabistory.jp』にエッセイ連載。『和樂web』『トーキングヘッズ叢書』などに寄稿。

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  • そこにある本

    読書ノート。これまでに読んだ本についての覚書。

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    偏愛するテーマを取りあげながら、おもむくままに綴ったエッセイ。

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インターネットの海に散らばった過去記事を集めました。 テーマ別に分けてあります。お好きなジャンルをお楽しみください。 参考文献を載せている記事もあります。より詳しく学びたい方は、ご参照ください。 連載中ウェブメディア 「身体」をテーマに小説、ノンフィクションの書籍を紹介しています。 本好きな人たちと繋がる。本の楽しさに気づいてもらえるサイトです。 自分をさまよい、世界を彷徨う、コアジャーニーマガジン『Tabistory.jp』(旅と思索社) 文筆家 ・研究者・編集

    • 『街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する』ローマン・マーズ、カート・コールステッド

      著/ローマン・マーズ、カート・コールステッド 訳/小坂恵理『街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する』、光文社、2023年 世界は驚きに満ちている。それは街角だって例外じゃない。わざわざ電車や飛行機を乗りついで大きな荷物を苦労してひきずらなくても、たとえば洗剤を買いに行く道のりにだって、薬局へ向かうひと時にだって驚きは転がっている。もし歩き慣れた通りに閃きを見いだせたなら。 これは、つまるところ、そういう本だ。 身のまわりにある、あることには気づいているけれ

      • 糸を愛でる

        糸が好きで、たくさんもっている。 手先が不器用なせいか、それともミシンとの相性が悪いのか、私自身はなにかを縫うということはしないのだけれど、糸や布やボタンを見に手芸店へよく出かける。きれいな色、蜘蛛の糸みたい、葉脈みたい、と集めていたら、使い道のない糸だけが何メートルも何十メートルも集まってしまって、鈍く光る縫い針と一緒に長いこと裁縫箱(という名のがらくた箱)のなかで転がっている。 私自身は縫いものと縁がないのに、私の周りではいつも誰かが縫ものをしていた。まず、祖母が刺繍の

        • カルタフィルスかもしれない人たち

          「さまよえるユダヤ人」は作家たちの創作意欲をかきたてる題材のようで、彼の伝説を耳にした作り手は作品にせずにはいられないらしい。 シュレーゲーもシャミッソーもウージューヌ・シューもE・キネも、さまよえるユダヤ人を題材に作品の構想を練ったし、フランスの挿絵画家ギュスターヌ・ヴ・ドレは木版画に靴屋のアハスエールスを描いた。ボルヘスの『不死の人』にはカルタフィルスなる人物が登場するし、マチューソンの『放浪者メルモス』の基底にはさまよえるユダヤ人の存在がある。ゲーテは『詩と真実』の

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        • そこにある本
          9本
        • 世のなかの、美しいもの、醜いもの
          17本

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          カルタフィルスの目撃情報

          カルタフィルスは実在する(と信じるには創作じみている)目撃情報をいくつか紹介しようと思う。 記録を信じるなら、シュレースヴィッヒの司教パウロ・エッツェンなる人物が1542年にハンブルクでアハスエールス(仏語ならアースヴェリス)なる人物に出合い、身の上話を聞いている。この8ページほどの小冊子がフランスで翻訳されるやいなや、私も見た、じつは自分も、と、ヨーロッパ各地で謎の男の目撃話が流れるようになった。 それから、1547年にハンブルクの教会でユダヤ人を目にしたという司教パ

          カルタフィルスの目撃情報

          カルタフィルスの話

          カルタフィルスの話をしようと思う。 もしも老いることなく、死ぬことなく、何千年ものあいだ地上をさまよい続けているのだと語る人に出会ったとして。おそらく、たいていの人は気が狂ったと疑うか、笑い飛ばすか、呆れるだろうけれど、きっと、私なら信じてしまうと思う。 もともと呑気な性格だから、というのもあるけれど、そういう「たち」なのだからしょうがない。いつも目で見ていることと空想が入り混じっていて、現実を上手くとらえきれずにいるのだ。でも、現実なんて靴下の裏表みたいに簡単にひっくり返

          カルタフィルスの話

          プエラ・エテルナ(少女論4)

          マリと森茉莉とアナイス・ニン。ここに私はシルヴィア・プラスも並べたい。ドラマティックな死を遂げたアメリカの美しい現代作家、シルヴィア。 彼女たちの少女性について考えるとき、浮かび上がるのが「父の娘」という概念だ。シルヴィアのたぐいまれなる詩的霊感もまた、父親との関係を通して得られたといえるだろう。 ユング派の女流分析家レナードは、大人になった女性たちの化粧顔の下の、傷ついた自己や隠れた絶望感、孤独感の原因を娘と父親の関係と結びつけて説いている。父親への複雑で神秘的な想い

          プエラ・エテルナ(少女論4)

          アナイス・ニンのこと(少女論3)

          周囲の讃嘆の眼差しを我物にしてきたモイラのような美少女を現実に知っている。奇しくも森茉莉とおなじ年に生を享けたアナイス・ニンだ。 ニンは、悪夢のような美しさをもちながらも長いあいだ自分の醜さに苦しんでいた。はじめて人から容姿を褒められたときには「ばかみたい、ちゃんちゃらおかしい」と日記にうち明けている。 物語でなく現実を生きるニンの抱えていた容貌コンプレックスの理由ははっきりしていて、音楽家で審美家の父が幼い娘の病み上がりの顔を見てこぼした「なんてみっともないんだ」と

          アナイス・ニンのこと(少女論3)

          モイラのこと(少女論2)

          アナトール・フランスの『マリ』ついでに、もう一人のマリについても書く。 文豪・森鷗外に砂糖菓子のように甘やかに育てられ、薔薇と菫の花びらを砂糖でからめた菓子を愛していた、森茉莉について。まったくべつの二人の少女なのに、私の中で二人のマリはいつもぴったりと重なりあってしまう。 還暦を過ぎた森茉莉が十年もの月日をかけて書き上げた長編小説『甘い蜜の部屋』には、糖蜜のように甘やかされた森茉莉の幼少期の記憶があますことなく影をおとしている。 作者いわく「父と娘の深い愛情を描いた

          モイラのこと(少女論2)

          マリのこと(少女論1)

          アナトール・フランスの『マリ』は、1886年にパリのアシェットという本屋から出版された『我々の子供たち(Nos Enfants)』のなかの一編で、ほんの3ページ足らずの短い物語なのだけれど、じつに長閑で気持ちよさそうな雰囲気なのがいい。 少女が花と同じほどにのびのびしているところとか、そこに咲いていることを心から楽しんでいる感じとか。体の芯から嬉しそうなのが伝わってくる。 矢川澄子がおもしろいことを書いていた。 少女が少女そのものとして作品に結晶するためには、「少女自身が

          マリのこと(少女論1)

          この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(3)

          とフランスの啓蒙思想家ルソーは書いている。 ここで近代思潮全体に影響を及ぼしたその教育論に触れるつもりはないけれど、もしルソーの言うとおりなら、私は正しい時期に正しい本を手にとり、きちんとお別れをいうことができたのかもしれない。ただ、彼自身は、児童文学に必ずしも好意的ではなかったようだけれど。 造物主の手から出てくるときはすべてが善でも、人間の手に渡るとすべてが堕落すると考えたルソーには共感できるところがある。私たちは生まれながらの良心が(そんなものがあるとして)いかに頼り

          この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(3)

          この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(2)

          マルグリット・オードゥー(Marguerite Audoux)というのがその本の作者の名前だと知ったのは、ほんの数日前のことだ。 それも、見つけてやろうと意気込んで近づいたのではなくて、あるとき、いつもの古本屋で、見るともなしに店内を巡っていたときに、私のもとへ飛びこんできたのだった。いつもの、というのは、駅からの帰り道にある古本屋で、なにも荷物を持っていないときにだけ寄る場所である。荷物がないときに限定的しているのは、いつも持ちきれないほど本を買ってしまうからで、そうなる

          この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(2)

          この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(1)

          この世でもっとも美しい本を知っている。 夢さながらの美しい舞台で、詩のように意味深い言葉が綴られた、作者の深い愛憐が文章の隅々まであまねく行き渡っている、人間の善良さと正しさを信じていたくなる、そういう本を知っている。          〈少女〉は、(というのはこの本の主人公ことだけれど)あまり我慢強いとはいえない性格で、優等生というよりはお転婆で、思いこみが強く、つねになにかに困り果てていて、野を駆けたり、鳥と話したり、水に足を浸したりしては、やたらとため息をつく。どうして

          この世でもっとも美しく、残酷な本のこと(1)

          『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』Alison Matthews David

          著/Alison Matthews David、訳/安部恵子『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』化学同人、2019年 星の数ほどあるファッションについて書かれた本のなかでも異形を放つ一冊。街角スナップとか有名人の鞄の中にまるで興味のない私にとって、実際、ここ最近読んだ服飾関係の本のなかでもっともおもしろかった。おもしろくて、息をのむ。華やかで、邪悪な、服飾の死の歴史を記した本。 まず目に飛びこんでくるのは骸骨の半身、それから洒落た服を着た半身の男女の

          『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』Alison Matthews David

          『パウラ・モーダーゾーン=ベッカー 初めて裸体の自画像を描いた女性画家』(バルバラ・ボイス)

          著/バルバラ・ボイス  訳/藤川 芳朗『パウラ・モーダーゾーン=ベッカー 初めて裸体の自画像を描いた女性画家』みすず書房、2020年   ヨーロッパの現代絵画(モデルネ)の先駆者であるパウラ・モーダーゾーン=ベッカーが31歳で生涯を終えたとき、この若きドイツ人女性画家はおよそ750枚の油彩画と1400枚の素描を遺していた。死の直前まで描いて、描いて、描きつくして、パウラにとって描くことは、そのまま生きることでもあった。 ヨーロッパ美術史上、女性の画家がはじめて描いた裸の

          『パウラ・モーダーゾーン=ベッカー 初めて裸体の自画像を描いた女性画家』(バルバラ・ボイス)

          リナ・ボ・バルディと悠久のイス

          休日で、天気がよくて、そんな日は時代も時間も飛び越えてうしろから知らない人に呼び止められることがしばしばある。そうして私は、彼女に出合ったのだ。 建築家で家具デザイナー、ジャーナリストでもあるリナは32歳のときに美術評論家のピエトロ・マリア・バルディと結婚してブラジルへ渡った。そして1992年に亡くなるまでブラジルで活動した。日本へは二度、1973年と78年に来日したことがある。1回目は京都へ、2回目は東京を中心に鎌倉と日光をまわった。なんて建築家らしい旅の日程だろう。その

          リナ・ボ・バルディと悠久のイス