『学問のすすめ』を読んで。

 ところで、あなたは『学問のすすめ』を読んだことがあるであろうか。

 私はなかったの読んでみた。最初はKindleで無料で読める原書を。そしてやっぱ現代語訳のほうがいいなと思って図書館で現代語訳版を借りてきて、先ほど最後まで読んだという状況だ。

 アメリカやイギリスに呑まれ、彼らの植民地になるか。独立してやっていけるのか。その判断はどっちに転ぼうと間違いなく20、30年後に明らかになり、「日本が独立してやっていくのはまず無理だろう」という声もあった。なぜなら、日本には独立には必要不可欠な「学術」「経済」「法律」、そのどれをとっても体をなしているものが無かったからである。そんな中、日本の未来のために、福沢諭吉が同士、学者、学生(3編までは小学生を対象)、に説いたのが『学問のすすめ』である。日本が独立できない原因は、官にいる人物が力を尽くさなかったわけではなく、その原因とは、すなわち国民の無知無学であると説き、そして「なぜ学問が必要なのか」を彼らに説いたのだ。(明治5年から9年)

 2017年を生きる私達は、先祖たちによる努力によって、今日まで日本が独立に成功していることを知っている。ただ、彼の期待にほんとうに私達は答えられたのだろうか。もちろん答えている人もたくさんいる。ただ、あなたはどうだろうか。福沢諭吉の期待に応えているだろうか。私は答えていない。学問はしているし、日本を誇りにも思っている。でもじゃあ、その学問はなんの意味があるのか、実用に役立たないただ金がかかるだけのものではないか、高い品格を持っているのか、無知ではないか、、、正直当時の19歳よりも劣っていると感じる。

 今こそ、今一度この本を取るべきときなのだと強く思う。アメリカに好き勝手されて、国民は何となく欧米に憧れを持つようになり、日本の明るい将来がどんどん見えずらくなっている。まさしく、福沢諭吉がこの本を書いたときの状況そのものではいかと私は思うからだ。
そんな中彼は私たちに何を期待し、何をしろと強い思いでいったのか、なぜこの本が日本で最も有名な本のうちの一つなのか(初版の発行以来9年間で70万冊売れた)、なぜ1万円の肖像として今もなお彼がいるのかを、今一度教わるべきなのではないだろうか。これは本当にふるい本なのか。それを知るべきではないのかと私は思う。

ここでは、本書を読んでいる最中特にこころに来たものを断片的に取り扱う。

1、周りの国に置いてかれる日本を誰が誇りに思うか。
 福沢諭吉は日本人として独立しろと言うが、悪いが私だって今の日本を誇りに思えるかと言われればノーと皮肉に英語で答える。
ただし、福沢諭吉はこう言う。「国民の気風が国を作る」すなわち愚民の上にはしょうもない政府ができ国としてもしょうもなくなる。そして、そういう国には政府はあるものの「国民」がいない。なぜなら彼らは自分たちのことを政府のお客としか思っていないからだ。税金で社会保障を政府から買うが、政府が困っていようと助けようとはせず、戦争を起こせばたちまち彼らは国のために戦おうとはせず自分のために逃げるだろう。と。
 まさしく、今わたしは自分のことを「日本政府のお客」ぐらいにしか思っていなかったことに気付かされた。そして、そんな政府を生み出したのは我々側にあるということにも気づかれた。今国民の気風はどうだろうか。そんな自分たちの気風を棚に上げて置いて政府の気風に文句を言う奴らばっかではないだろうか。

2、衣食住を得るだけでは蟻と同じ。動物以下ではないということだけ。
 世間では、自分で働き、それによって得たお金で自分を生活を支えている人のことを「独立した人」として一定以上の評価をする。しかし、それは蟻となにも変わらないのではないか。人間としての働きはその程度ではなく、個人として「独立」は当たり前、自分が「生きる意味」を真剣に考え、日本の「文明」を進め、自分の果たした日本への影響をできるだけ長く後世に残すことではないか。と福沢諭吉は言う。
 そしてこう別で付け足している。「事の軽重は金額や人数の多い少ないで論じてはならない。世の中の文明に貢献したかどうかでその重要性を決めるべきである。」
 考えさせらる。「個人として独立」しただけで終わっていないか。しかも自分一人では何もできない、全てを養ってもらっている、学生の自分なんかを見ると情けなくなってくる。「個人として独立」すらできてないからだ。

3、実際にいかせない学問は、学問でないのに等しい
 彼は冒頭から一貫してこの考えをしつこく繰り返す。役に立たない漢学者や、朱子学を学んだある書生の話や、「俺の学問は東京に置いて来た」と言いかねない学者。これは現在進行形で勉強をしている自分に強く突き刺さった。
 過去の学問はどうだっただろうか。実際にいかせているだろうか。悪いがこれもほとんどがノーだ。
 私にとって勉強はそこそこ楽しかったし、知的好奇心を向上させてくれたというおおざっぱな意味は確かにあったが、彼の言う実用的とは「米の測り方とか」「洋書を翻訳する能力とか」「新しい薬を開発するための知識とか」「ビジネスのノウハウ」とかそう言うものだ。もしろ、そう言うものしか意味がないと断言している。
 この意見に関しては反論したい人も多くいると思われるが、私は福沢諭吉の意見に賛成する側である。そして現在は実際に、彼の言う「学問」を学んでいる最中と言える。(まあ、それだけではもちろんないが。)
 また、学問に対して彼はこうとも言っている。
「観察し、推理し、読書をして知見を持ち、議論をすることで知見を交換し、本を書き演説することで、その知見を広める手段とする。これらの方法を使い尽くして、はじめて学問をやっている人と言える。」
「日本は議論や演説を実行する者がいない。そのため国民の知見が低い」
 これは、Morganの言っているscholarの定義と完全に一致している。

 14編からは日本や学問といったテーマから離れ、「人生設計の技術」「判断力の鍛え方」「正しい実行力をつける」「人望と付き合い」といったテーマについて書かれる。

4、人生というものは、思いのほかに悪事をなし、思いのほかに愚かなことをやり、思いのほかにことをなさないものなのである。
 彼は人間が大した生き物でもないことを知っている。愚かなことをするし、志や知性だけが高く、実行しないで文句ばかり言うものが多くいることも知っている。そんな私へのアドバイスがこうだ。
「事業の成否、損得について、ときどき自分の心の中でプラスマイナスの差し引き計算をしてみて、取捨選択をその場でするべきである。優れた商人でも何が利益になるかは案外わからないし、人生という商売はもっと普段から知性や人格、事業の帳簿を精密につけて、損失が出ないように心がけていなければならない。」
「過去10年間は、何を損して何を得たのか。今はなんの商売をやって、その繁盛の様子はどうか。今は何を仕入れて、いつどこでこれを売りさばくのか。ここ数年、心の店の取り締まりは行き届いていて、遊び癖や怠け癖などという店員のために、損失を出したことはないか。来年も同じ商売を、続けていて大丈夫か。他にさらに知性や人格を磨く工夫はないか」とあれこれの帳簿を点検して、決算をすることがあれば、過去現在の自身の状態について、きっと不都合なところも見つかるだろう。」
 自分が今どういう商売をしているのかをはっきりさせていないことに気がついた。今自分は勉強に時間やお金を使っているが、ここで得たものはどのように売りさばいていく予定なのか、それでちゃんと自分にとって利益が出るのか、何か意味のないことはやっていないか等、人生を一つの商売として考えるという方法には驚いた。

5、人望について
 「人望や栄誉は、知性や人間性の樹に咲く花のようなもの」
だと彼は言う。そして、同時に、「弁舌のすすめ」や、「見た目の印象も重要」とも人望のためには必要と言っている。ここまでくると、まるっきしビジネス書である。
 「表情や見た目が快活で愉快なのは、人間にとって徳の一つであって、人付き合いの上で最も大切なことである。」
 「交際の範囲を広くするコツは、関心を様々に持ち、あれこれをやってひとところに偏らず、多方面で人と接することにある。」
 いま世間的には、「周りにどう思われるとか気にするよりも自分を大切にしろ」ろいう意見が闇雲に乱用されているような気がする。また、シリコンバレーでは、スティーブ・ジョブズ伝説に影響を受けて態度や礼儀がめちゃめちゃな起業家が増えていて困っていると言う。なんだろう。「常識や礼儀がないやつは革新的で実はデキるやつ!」みたいな安易な考えがすごい漂っている気がするのだ。今一度立ち止まる必要があると思う。礼儀が悪ければ相手側からの評価が下がるだけではないか?見た目や表情というものは家の玄関のようなもので、近寄りたくないような、入りたくないような玄関の家に人々は集まって来てくれるだろうか?それはただ出会いの可能性を低めているだけではないのか?など。安易な行動は全体の幸福を下げるだけになったりする。


 皆様は、『学問のすすめ』の冒頭のフレーズ「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は知っているだろう。では、最後の文には何が書かれているか気になったりはしないだろうか?今日まで、知らないということは気ならなかったということになるが、どうだろう。気になってくれると私としてはすごく嬉しい。私はぜひもっと多くの人にこの本の最後のフレーズだけでも読んでもらって、少しでも関心を寄せてほしいからだ。
未来の自分に期待をするな。気になったのなら、今すぐにネットで調べるか(出てくるかはわからない)、Kindleで無料で買える『学問のすすめ』をダウンロードして最後のページを開くか、図書館に行って、検索して、本棚まで行ってそこでパッと最後のページを開くか。スマホがあるなら今から30秒以内でできることだらけだ。
 こんな意地悪な私を毛嫌いしないでほしい。






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