環太平洋大学陸上競技部・中長距離ブロック

中四国学連(岡山), 2019日本学生個人800m:優勝,7位,9位,1500m:3位…

環太平洋大学陸上競技部・中長距離ブロック

中四国学連(岡山), 2019日本学生個人800m:優勝,7位,9位,1500m:3位,9位,2016&2020出雲駅伝,2019全日本大学駅伝,2016&2019全日本大学女子駅伝 https://www.facebook.com/ipuathletics.distance/

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最近の記事

監物稔浩の引退に寄せて

横山 茂嘉(おかやま山陽高校教) 東京マラソンという縁が千載一遇の巡り合わせとなった。 2007年に始まった第1回東京マラソンは、五輪2大会連続メダリスト有森裕子の現役選手ラストランであった。また、陸上界のホープ新谷仁美も初マラソンで、このレースを走り初代女王になっていた。新谷はそこから15年の歳月を経て10000mで五輪を2度経験し、今度は選手生活の集大成としてマラソンで2024パリ五輪の挑戦を表明。その出発点には当然のように東京マラソン2022を指名した。そして、岡山

    • IPUが「監物の大学」を卒業する日

      吉岡 利貢(環太平洋大学コーチ) 10年前、コーチとしてのスタートを切った春に出会ったのが、その年に4年生になる監物稔浩(NTT西日本)でした。3月末に初めて顔を合わせ、突然、1週間後の「金栗記念選抜中長距離熊本大会」に帯同しました。この大会、レース前後の記憶はあるものの、なぜかレースの記憶はまったくありません。写真や結果を見返すと、今年、源裕貴(体育4・美祢青嶺)の躍進を支えて下さった横田真人さん(TWOLAPS TC)や、先日IPUに来て下さった井野洋さん(富士通)と一

      • 初代中距離王者は誰だ!?100万円の行方をエネルギーから大胆予想!

        吉岡 利貢(環太平洋大学・陸上競技部コーチ) 日本インカレ、全日本実業団も終わり、ミドルディスタンスのビッグレースは残すところ1試合となりました。 その1試合とは、800mの元日本記録保持者である横田真人さんが代表を務めるTWOLAPSによる「MIDDLE DISTANCE CIRCUIT 東京大会」(以下、MDC東京大会)です。この大会のメインイベントである男子1000mの出場権は、ワイルドカードで日本選手権優勝の田母神一喜選手(阿見AC)と河村一輝選手(トーエネック)

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        • 悔しかった思いを糧にできるような生き方をしたい:波部倫大郎

          幼少期は柔道と野球私は、陸上競技ををするためにこの大学に入学しました。しかし、陸上とは全くの無縁だった自分が今でも競技を続けていることが不思議なくらいです。私は、幼稚園で柔道を始め、兄の影響で小3からは野球もやるようになりました。小学校卒業を機に柔道からは離れ、本格的に野球に打ち込むために硬式のクラブチームに入団しました。 中3の夏から陸上へ中学校では、必ず部活に入らなければならない決まりがあり、「野球のための陸上」という意味で陸上競技部に入部しました。それが陸上競技を始め

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        • 私が環太平洋大学で陸上競技をする理由
          19本

        記事

          陸上を自分の人生において大切なものに

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。宝塚高校から入学の石橋拓也は、高校で成し遂げられなかった全国大会出場と中学校教員になるという目標を4年間で実現します。 坊主が嫌で陸上を選択私は、小さい頃から野球をしたいと思ってました。しかし、私の通っていた中学校の野球部は坊主にしなければなりませんでした。それが嫌だったのと、走ることに少し自信があったため、陸上競技部に入りました。 コミュニケーション能力が鍛えら

          陸上を自分の人生において大切なものに

          全日本のアンカーを走りたい

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。神港学園高校から初めて入学の白玖侑也は、自分の特性を活かした目標を掲げています。 仲間に助けられた高校時代私は中学校入学時に、幼馴染に勧められて陸上競技を始めました。高校では仲間と経験を得ることができました。高校生になって練習量が一気に増え、練習についていけなかったり、怪我をすることがありましたが、そんな時には、後ろから支えてくれ、優しく声を掛けてくれる仲間がいまし

          過去の自分と向き合うことが陸上競技の本質

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。高知高校出身の吉川翔太は、一度は陸上競技から離れながらも、自分の限界を確かめたいとIPUを選びました。 肘の故障がきっかけで陸上へ私は中学2年の2学期まで野球部で活動していた。しかし、中学1年の終わりに肘を壊し、なかなか治らず「このまま続けても意味がない」と思い、野球部を退部した。退部後、何もすることがなくなり、今後何をするか悩んでいたところ、陸上競技部の顧問の先生

          過去の自分と向き合うことが陸上競技の本質

          ライバルの心を折る「一番きついシーンでのロングスパート」:竹安和也

          箱根への憧れを捨てIPUへ私は、高校入学前から箱根駅伝が好きで憧れていました。絶対に高校で力をつけて、関東の大学で箱根を目指すんだという気持ちで部活動に打ち込んできました。その思いから、どんどんベストを更新し、3年時には一つの目標だった鳥取県高校総体で優勝を果たし、関東の大学からも内定を頂きました。しかし、私はそれを断りました。箱根以外にも興味を持ち始め、トラックで記録を狙いたい気持ちになったこと、そして、地方の大学で出雲や全日本で関東に勝ちたいという思いに変わったことが理由

          ライバルの心を折る「一番きついシーンでのロングスパート」:竹安和也

          憧れの先輩を超えたい

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。鳥取城北高校出身の脇田 力は、憧れの先輩・中井啓太を追って環太平洋大学へ入学しました。あこがれだけではない、その思いをお読み下さい。 マラソン大会での負けがきっかけ私は、昔から走ることだけは得意で、学校の運動会やマラソン大会ではいつも1番を取っていました。しかし小学校5年生の時、6年生と走ったマラソン大会で初めて負けてしまいました。その6年生が地元の陸上クラブに入

          やると決めたからには本気でできる環境で

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。愛媛県の聖カタリナ学園高校から入学の乘松凛香、「本気」、「覚悟」といった言葉に4年間への強い決意を感じます。 もっと上を目指したい私が陸上競技をしたいと思ったのは小学校低学年のとき、学校のマラソン大会で走るのが楽しいと感じたことがきっかけです。50m走や運動会の徒競走などの短い距離では勝てない相手にも、マラソン大会では勝てたことがとても嬉しかったのを今でも覚えていま

          やると決めたからには本気でできる環境で

          日本のトップで戦いたい

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。滋賀県の甲西高校から入学の齋藤恵斗は、慎重な姿勢ながらも日本のトップで戦う自分の姿を確かに思い描いて4年間の競技生活に挑みます。 2人との出会いがきっかけ私が今でも陸上競技を続けているのは、2人との出会いがきっかけです。私は中学時代、3年間サッカー部に所属していました。3年間プレーしてきて「サッカーはもうやり切った」という気持ちで高校に入学、中学の頃から走ることが大

          何事にも挑戦する自分になりたい

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。兵庫県の赤穂高校から入学の濱本さくらは、高校時代の後悔と大学生活への強い決意を綴っています。 初めての駅伝で区間賞私は小学校1年生から3年生までバレーボールをしていました。陸上競技を始めたのは4年生の陸上大会からです。4年生・5年生は短距離やハードルをしていました。小学校のマラソン大会は人数が少なかったのでぎりぎり一桁の順位くらいでした。5年生の駅伝大会は、メンバー

          何事にも挑戦する自分になりたい

          普段の生活でどれだけ走ることと向き合えるかが大切

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。今回は、先輩の中井啓太と同じく、兵庫県の中学から鳥取城北高校に進んだ林本 涼。3000mSCで日本インカレ出場を目指す林本は、目標達成には練習以外の生活がカギだと語ります。 県駅伝出場がきっかけ中学校の時はバスケットボールをしていました。私の中学校は人数が少なく陸上競技部がなかったため、春のトラックシーズンや秋の駅伝シーズンになると、さまざまな部から生徒が召集され、

          普段の生活でどれだけ走ることと向き合えるかが大切

          失敗の数だけ失敗を恐れずに挑戦した自分がいる

          「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポート。今回は、昨年初の都大路出場を果たした水島工業高校から、兄を追って入学の土倉光貴。一つ一つの言葉に強い思いを感じます。 テニスのために始めた陸上競技小学3年生からテニスをしていて、テニスで少しでも強くなるために体力をつけようと思い、兄の影響もあって陸上競技を始めました。陸上競技を 始めたのは中学生でした。 さぼり癖が成長を妨げた高校での陸上競技生活では、努力の大切さ

          失敗の数だけ失敗を恐れずに挑戦した自分がいる

          考え方ひとつでモチベーションや競技に対する姿勢は変わる:西本航庸

          全国で戦える選手になりたい私は「全国の舞台を経験し、そこで戦える選手になる」という思いで環太平洋大学に入学しました。中学の頃に陸上競技を始めましたが、全国大会にはあと一歩のところで届きませんでした。その悔しさもあり、高校ではインターハイや都大路に出場するという目標を立てましたが、それも叶いませんでした。全国大会への思いは今も強く、あえて強いチームに身を置くことで、高い意識で練習に取り組む事ができ、目標を達成できると思っています。 継続した練習で飛躍目標を達成するのに最も大切

          考え方ひとつでモチベーションや競技に対する姿勢は変わる:西本航庸

          走れていない時に何をするかが自分の今後を決める:堀尾和帆

          高校での無念で競技継続を決意私は、憧れだった都大路に出場するために母校である鳥取中央育英高校に進学した。1年生時、チームは都大路に出場したが、私は6番目の選手で走ることができなかった。悔しかった。2年生では、県高校駅伝でアンカーを任されたが、襷をもらった時は1位と50秒差の2位。差をつめることはできたが、都大路出場は逃した。人生初の区間賞もまったく嬉しくなく、鳥取育英の都大路16年連続出場という伝統を途切らせてしまったのもあり、涙が止まらなかった。最後の県高校駅伝もアンカーを

          走れていない時に何をするかが自分の今後を決める:堀尾和帆