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#516 「学び」は「償い」の一つのありかた

 人が何かの過ちを犯した時、その人がやらなければならないことは「罰を受けること」ではなく「償うこと」であると言える。

 その理由は「罰」は(終身刑および死刑以外は)時が過ぎれば終わってしまうし、罰はその人自身の「怒り」をさらに強化させ、結果同じかより思い過ちを犯すことに繋がるからです。
 償いとは、「自分が犯した罪の重さに一人の人間として向き合うこと」。自分を大切にすること、相手を大切にすることの本質に気づくまで、自分と向き合うことと同義であると言えるでしょう。

 そのために必要なのは「学び」です。刑事施設の目的が更生と社会復帰であるのであるならば彼らに適切な「学びの支援」をすることが大切であると言えます。

『「塀の中の学校」初めて女性受刑者が入学 誓いの言葉「学力不足から社会でつらい思いを」全国唯一“刑務所内中学校”』の記事を見つけました。

 自分自身と向き合い、自分を変化させることほど、大変なことはないし、それが本当の意味での「償い」として機能をする。その変化を行うには「今まで経験したことのないほどの量の学び」が必要なのです。

 

 

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