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#241 「当たり前ではないこと」が「当たり前」になり、そしてそれが「当たり前でない」ことに気づかない だからこそ 「当たり前」を目指しつつも、「当たり前でないこと」に感謝し続けること

『メガネをかけている人についてどう思いますか?』

そのような問いは今はほとんど聞かれないでしょう。

視力を補う医療器具としての「メガネ」は、今やファッション性も帯びていて、伊達メガネをかけるほど、その市民権を得ています。

メガネをかけている人
というのが「当たり前」となっているのです。

多様性についてどう思いますか?と問われた柔道男子100キロ級・東京オリンピック(五輪)金メダリストのウルフ・アロン氏は

「多様性を気にしてる時点で、多様性じゃない。そう思いません?」

と語っています。

多様性とは何かを考えていること自体が、その価値観が定着していないことを示します。同氏が記事の中で述べているのように、国籍・宗教・人種・容姿ではなく、「自分自身」として自然と生きていくことができれば、そこには必然的に多様性が生まれるのかもしれません。

一方、社会が「一人ひとり違う」という普遍的事実に価値を見い出したのは、実はそんなに前の話ではありません。

その価値の歴史は赤子のようなもの。何かの思想が人々の中に受け入れられるには時間がかかるし、そのためには、それを象徴するスローガン(=多様性)が必要なのかもしれません。

多様性の価値が広がる過程の中で、様々な権利や価値が獲得された経緯に思いを馳せます。

今私たちが「当たり前」だと思っている権利や価値が、「当たり前ではなかった」時代があったのでしょう。

ウルフ氏が語るように、それらを「当たり前にしよう」と戦った名もなき多くの人々がいるのです。

しかし一度、「当たり前になってしまった権利や価値」を、その時代に生きる人々が「当たり前ではない」と思うことはとても難しく、あたかも「初めから存在していた」ような錯覚に陥るのです。

その結果、再びその価値を失ってしまうこともあります。
いつか「多様性が当たり前」の時代になった時、その時代に生きる人々が、多様性が当たり前でなかった時代に思いを馳せてくれることを願います。

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