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#163 「学び」とは何かを捉えること

先日ネットニュースで、中高一貫の進学校で勤めた布村先生が退職し開いた塾の特集記事を読みました。

なるほどなと思う部分もあれば、そうなのかな?と思う部分両方あるもの

様々な人の意見や思考に触れることが大切だなと思います。

この記事の中で布村先生は

学校が「勉強は大切だ」と教えていない。学力も付けていない。子どもに学力を付けることが人生を豊かにするという認識が学校の現場で薄れてきているのではないでしょうか。勉強をしなければいけない、勉強は大切だと思っていない子に、勉強をさせるのはものすごく大変なことです。

勉強が大切だと思っていないから、結果に対する執着がない。そのことをものすごく強く感じています。子どもを自立させたいと親は言いますが、自己肯定感が少ない子どもはなかなか自分から勉強しません。

と仰っています。

私は「学び」と「勉強」を意図的に区別するようにしています。

概念的にその区別をすることで、「勉強」によって「学び」が阻害されていることに気づくことができると思っているからです。

人は何かを「学ぶ」ことで生きていきます。学びとはこの世にある全てを対象にした知的活動です。「学校での学びなんか社会に出て意味がない」と言う人がいますが、それは結果論的です。人が学ぶのは自分の人生の可能性を広げるためであり、必ず人生を豊かにします。「学び」に対する価値が学校や家庭の中で低下しているのであるならば、それは深刻な問題です。

一方、「勉強を大切だと思っていないから結果に対する執着がない」という彼の表現は、勉強が受験や点数に直結するという動機に依存しているように感じます。前述した通り、学びは人生を彩り豊かにするためにあります。人は学びを通じて、他者に寛容になり、自身の特性を把握し、好きなことややりたいことを発見し、世界が思っているよりも広く、また狭いことを知っていきます。私たちは決して「結果」のために学ぶのではありません。また、その結果は長い人生の中で学び続ける途中経過にすぎないのです。

学びの価値を理解し、努力することの重要性を児童・生徒に伝え続けると同時に、社会から強制されるテスト、受験、学歴に依存する勉強の価値があるのかを問い続けることが家庭や学校、そして塾にも求められるでしょう。


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