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#267 「魔物」飼う私たちの心は、その暴走を止めてくれる人を求めている

 指導とは何か。という問いについてしばしば考えます。指導とは罰を与えることが目的ではありません。罰は所詮、過程にすぎない。指導を通じて、彼らの悩みや葛藤、不満に寄り添い、彼らが二度と同じ過ちをせぬよう手助けすることです。

 2019年7月、京都アニメーションの第1スタジオ(京都市伏見区)が放火され36人が亡くなった事件で、殺人や殺人未遂、現住建造物等放火などの罪で起訴された青葉真司被告(45)の裁判員裁判が5日、京都地裁で始まりました。

 その中で被告の生い立ちが徐々に明らかになっていきます。青葉氏が犯した罪は、どんな理由があろうとも決して許されるものではありませんが、彼の過ごしてきた人生は決して恵まれたものではありません。

一方、青葉被告の重度の火傷を治療した医師である上田敬博氏の記事を読みました。

青葉被告は裁判によって自身に課される量刑を予想していたのかもしれない。懸命に治療し、リハビリを促す上田氏の意図は最初全く分からなかったでしょう。

「先がないから治療しても無駄」「なぜ、こんな自分を救ってくれるのか」。こう尋ねる青葉被告に「特別じゃない。他の人にも同じ献身度でやっている。これが普通なんや」と返し、「厳しい現実が待っているだろうけど、逃げずに向き合え」「法廷に立つためリハビリしなければ」と言い聞かせた。青葉被告は返事をせず、ただ目をじっと見詰めていたという。

青葉被告はリハビリを受けるようになり、11月中旬には元の病院に戻った。呼吸器を外してからのおよそ1カ月間、徹底的に向き合ってくれた上田医師に「先生はすごすぎる」と被告は繰り返したという。

約4カ月間の治療が区切りを迎え、11月に京都府内の病院に転院する時だ。「僕らと接して変わったか」と尋ねると、青葉被告が「変わらざるを得ない」とつぶやいた。何が変わったのか聞きそびれたが、その一言は最も印象に残った。

 青葉被告には自身の心の中に制御することのできない「魔物」を飼っていたのだと。その魔物は彼の人生の中で徐々に成長する。その魔物は多くの人を深い悲しみに陥れ、青葉被告そのものも破壊してしまった。

そしてふと思う。このニュースは決して他人事ではないと。自分も含めて人はみな、何かしら心に魔物を飼っているのだと。そして一歩間違えば、その魔物は簡単に暴走し、人の幸せや人生を破壊していく力になる。もし青葉被告がもっと早く上田氏にあっていたならば、、、、。そんな仮定法を考えてしまいます。

 法治国家である日本において、人は自分の行った犯罪行為に対する罪を背負わなければなりません。しかし、本質的な問題は、罪を犯す人を一人でも減らすこと。

上田氏は

「愛情に飢えていたんでしょう。彼のこれまでの人生で、悩みを相談できる相手がいなかったのではないか」

「孤独と絶望。そして最後は自暴自棄。そういう構図があるのなら、社会がそれを治したり予防したりできるのではないか」

と語っています。

 彼の犯した罪は非常に重い。彼が背負う罪は、社会復帰を可能とするものではないでしょう。彼は自分の人生をもって、その償いとすることとなる。ゴールが見える中、彼は裁判で何を語るのか。

 裁判を通じて、遺族の方の無念がほんの僅かでも晴らされることを切に願いつつ、青葉被告の「魔物」の正体を公にし、二度と同じような事件を起こさないよう社会全体で取り組むことが必要です。


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