【英語】ひろゆき「この時代に英語のコミュ力いらないっすよ」AI翻訳時代にどこまで必要?東進ハイスクールのカリスマ講師と議論 というyoutube動画を見て思ったこと


この動画を見てふと思った事が以下です。

新しい言語を学ぶと世界が拡がり、新しい経験ができて人生がより豊かになり、個人単位の視点ではいいことばかりのように見えるので別の側面を一点挙げてみます。

日本人の大半が英語を理解でき、外人とコミュニケーションがとれるようになると、今まで言語の壁によって守られてきた部分に外人が入れるようになり、その人たちと競争しなければならなくなるかもしれません。具体的に、工場や倉庫などの軽作業、単純作業は外人でも作業自体はこなすことができても、日本語が理解できないと外人は働けない場合があります。とある大手の物流倉庫のバイトの求人では、外国籍の人は日本語検定1級を要求されているのを見たことがあります。日本語検定1級は僕も含め、日本人でも簡単にはパスできないぐらい高度な語学力が必要とされます。実際の作業自体は難しい内容ではないですが、規律の維持や安全面を考慮して、そのレベルの日本語を要求しているのだと思います。結果として、その業界において、日本人は在日外国人と競争せずにすんでいます。ですが、言語の壁がなくなり、英語か日本語がわかればOKとなれば、そこに外人が入ってきて競争がより激しくなる可能性があります。 そう考えると、動画でも言われていたように、直接外人とやりとりが必要な一部の日本人だけが英語をやったほうが国全体の視点で見たときにはいいのかもしれないと思いました。 英語を10年しても使えない、とよく耳にしますが、それはそうだろうといつも感じています。

なぜなら「10年」の内容は「中学3年」+「高校3年」+「大学4年」を指しているからです。

つまり、全部国内の学校で習う期間です。あれは英語を使うためよりも、目的は試験に向いています。

試験は人を振り分けるためのもので、受験者はなるべく良いとされる所に振り分けてもらえるように、

試験で高い点数をとるように演練します。結果、点数は伸びますが、英語を使う練習はしていないので、使うことはできない、当然のことだと思います。ですが、試験の科目が「英語」ということで、英語を勉強しているのになぜしゃべれないのだと勘違いしてしまうのだと思います。「英語を勉強」といってもその目的、その内容がいつも同じとは限りませんし、一つの方法が全員にとって最適解であるとはかぎりません。むしろ人自体、個人個人でそれぞれ違うのだから、それらに合う学習方法もそれぞれ別にあると考えたほうが自然のように思います。それを一つの方法でやらせるから、我慢が必要になる。

もちろん、学校で英語を勉強することで、文法の理解や語彙が知識として増えるとは思います。ただ、繰り返しますが、どれだけ知識として蓄えられていても、使う練習をしていないのだからすぐには使えないのが実際だと思います。TOEICで高得点を取るために英語の知識を使いたいなら、その練習をすればよいし、会話をしたいならその練習をしたらいい、ただそれだけです。

自分の場合は、不良だったのでまわりに英語を使う人はいなかったですし、そもそも学校で英語を熱入れて勉強している人すらいなかったように思います。ただ、著名人や難関大学に通う人も難しそうにしているようだったので、英語とはそうとう難しいものなのだろうなと大人になっても長らく思っていました。しかし、その概念は崩されました。ひょんなことから東南アジア諸国を貧乏旅した時に、たくさんの現地の貧乏人とお互いにへたくそな英語で話しをしました。どうやって英語を勉強したの?と聞くと、テレビみたり、親兄弟友達がしゃべっているから真似した、という返事をたくさん聞きました。(貧乏なので教師をやとったり、本を買ったりできない)もちろん学校で勉強したという人もいましたが、そうでなくても最終学歴小学校卒の人でも、タクシードライバーとして立派にその職務を英語を使って果たされていました。 はなしたかったらとにかくたくさんはなす。やればやるほどうまくなる。ただそれだけです。(聞く、書く、読むも同様)それを続けたかったら自分が楽しいことをそれでやればいい。ゲームが好きなら英語でゲームしたらいい。どうしても好きと結びつけられないのなら、それは英語をやらないことが向いているのかもしれません。

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