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Xジェンダーが恋をすること

 Xジェンダー。
 男でもなければ女でもない。男でもあるし女でもある。男の日もあれば女の日もある。男と女の中間である。
 そういった性自認を表す言葉だ。そのXジェンダーが恋をするとなれば、どういった人間を好きになるのだろうか。無論、性自認に関係なく、人それぞれ好きになる性別も、雰囲気も、容姿も異なる。故にXジェンダーはこういう人間を好きになる、と一概には言えない。ただ、(周りから求められる)一定の傾向があるような気はするのだ。僕が勝手にそういう圧力を感じているだけかもしれないが……。
 生まれた時の性別は女性で、性自認はXジェンダー、服装や髪型など見た目の雰囲気は男性、という人間を念頭に置いてみる。僕自身もそうであるし、周りのXジェンダーもそのタイプが多い感覚である。
 こういったXジェンダーの人間は女性を好きになる、もしくは女性と付き合っていることが多い印象だ。本来であれば性自認と性的指向と見た目はそれぞれ別物で、心がX(または見た目が男性)だからといって、女性を好きになる必要はない。しかしながらXジェンダーであるならば、体の性別と同じ性別の人間を好きにならなければならない、というような圧力をなんとなく感じている。おそらくはXジェンダーの人が、偶然レズビアンであり、好きな人を振り向かせるために男性らしい見た目になった、という事例を多く見かけてしまっているだけなのだろう(そう信じたい)。だがただでさえ性別による様々な偏見の押し付けに悩まされている身としては、上記のように認識してしまいがちなのだ。
 ここまでつらつらと書いてきたが、とどのつまり何が言いたいかというと、男性を好きになっても許しておくれ、ということだ。誰を好きになるかなど個人の問題でしかなく、好きにしてくれ、知ったこっちゃないと感じるかもしれないが、これは自分自身に言い聞かせているものでもある。女性を好きになっても特に何も感じないが、男性を好きになるとなぜか後ろめたさを感じてしまう。それは先に述べた、見た目と好きになる性別の乖離のせいであろう。この根本に存在しているのは、男性は女性を好きになり、女性は男性を好きになるという感覚であろうから、その点は深く反省している。しかしながら頭での理解と無意識の感覚というのは、とことん仲が悪いものである。全然一緒に歩いてくれなくて困ってしまう。
 だからこそ見た目が男性でも、心がXでも、男性を好きになっていいのだと、悩むたびに立ち止まり、言い聞かせたいと思っている。そしていつか、ご縁があれば、心も体も男性と見た目だけ男性が、想いを通じ合わせる、そんな状況になってみたいものだ。無論、その前に女性のパートナーを見つけ、そのような可能性はなくなるかもしれないが。
 (まず出会いを見つけるところから、というのはまた別の話)

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