千代の友

Xジェンダー 思ったことを、気ままに綴りたい。

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性別を捨てた、あの選択

 20歳の秋。性別を捨てた。  そもそも性別というのは、何によって決まるのだろう。  生まれたときの体によるのだろうか。心によるのだろうか。  これは非常に難しい問いだと思う。状況にもよるだろうし、個々人の考え方にもよるだろう。だからこそ、いくら自分自身の心は〇〇という性別なのだ! と主張したとて、理解しない人は少なくない。  20歳の秋、性別を捨てるという選択をしてから、『他者からの理解』との戦いは頻発していたように思う。  僕はXジェンダーであり、男でもなければ、女でも

    • そりゃあ可能ならば普通に生まれたかったという話。

       先日、狭い通路で道を譲られたときに「譲りますよ。レディーファーストですから」と言われた。その後、その人が今度は「ああいう言葉は今の時代ではよくないと反省しました。すみません」と謝ってきた。そして、一連のやり取りを聞いていた近くの人が「今は難しい時代だねぇ……」と呟いた。  その言葉を思い出すたびに、どうしようもない怒りや悲しみ、やるせなさに包まれてしまう。無論、その発言に悪意がないことはわかっているし、やれ配慮だ、やれ多様性だ、と何かにつけて押し付けられる現代が大変なのもわ

      • LGBTQ+が『自然』に生きること

         LGBTQ+の人々が自然に生きるには、どうすればよいのだろうと、時々考える。  自然に生きるというのは、特別扱いをして欲しいというわけではない。だから、少し前に流行ったジェンダーレストイレは、気遣いが変な方向に向かっているなぁと思ったものだ。  少なくとも僕は、そこに存在していて当たり前、と思って欲しいだけだ。女と男とXとトランスと……というように、この世には男と女しかいないと思わずに接してほしい。体と心の性別が一致していると勝手に思い込んで、色々な考えを押し付けたり、公共

        • 自殺は悪なのか

           自殺。自分を殺めること。つまりは殺人なのだから、行為自体が悪いというのはわかる。そうは言っても、自殺を選んだ人のその選択は悪なのだろうか。  僕にはどうしても自殺を悪いことだと、止めるべきものだと、思うことはできない。  死にたいと思った、もしくは実行を決意した過程には、様々な解決策を講じたにもかかわらず、現状が改善できなかった、という一面があると考えている。策を講じ、失敗するを繰り返すうちに、精神、身体共に疲弊し、講じることのできる策は減っていく。その悪循環の中で最終的に

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        性別を捨てた、あの選択

          配慮への感謝を忘れたくないなぁという話。

           僕にとって、容姿を褒められる場合、嬉しいのは「かっこいい」や「男らしい」である。見た目に関しては男性を目指しているのもあり、男性扱いをされたり、一般的には男性に向けられる言葉を言ってもらえたりするのは、至極嬉しいことである。  先日、そんな容姿に対する褒め言葉について、考えるきっかけになった出来事が起きた。  それはとある人に、立ち姿が男性みたいだった、と言われたことだ。会話の流れで、自然と言われていたら、僕も素直に喜ぶだけで何も思わなかっただろう。だがその人は、その言葉に

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          シスジェンダーを演じること

           Xジェンダーという性別で生きていると、シスジェンダーを演じなければならない場面に、度々遭遇する。Xジェンダーに限らず、シスジェンダー以外の人々であれば、心当たりはあるだろう。  性的マイノリティというのは、見た目ではわからないことも多い。加えて、体の性別は男か女しかないこともあり、諸々に登録されている性別と性自認が一致していないことも、往々にしてある。そうなれば、仕方ないことではあるが、他者からはシスジェンダーと思われ、そういうものとして扱われてしまうのである。  それら全

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          女性らしい魅力とそれに縛られること

           学生時代、酔うと女性の肩を抱いたり、腕を掴んだりする男性が、友人の中にいた。毎回というわけでもなかったし、逃げる女性を追ってまで無理やり、というわけでもなかった。だからといって、その行為が許容されるわけではないのだけれども、今回はその問題点については置いておく。  僕はある時、友人のその悪癖について、酒の席で軽く指摘したことがある。すると友人は大きな声で「(筆者)にはするわけないじゃん!」と、慌てて否定した。その後もなんだかんだ色々な主張をしていた覚えがある。  そうやって

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          Xジェンダーが恋をすること

           Xジェンダー。  男でもなければ女でもない。男でもあるし女でもある。男の日もあれば女の日もある。男と女の中間である。  そういった性自認を表す言葉だ。そのXジェンダーが恋をするとなれば、どういった人間を好きになるのだろうか。無論、性自認に関係なく、人それぞれ好きになる性別も、雰囲気も、容姿も異なる。故にXジェンダーはこういう人間を好きになる、と一概には言えない。ただ、(周りから求められる)一定の傾向があるような気はするのだ。僕が勝手にそういう圧力を感じているだけかもしれない

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          「人と共に運動」への恐怖心

           人と共に運動をする。  この言葉を聞いて、あなたはどう思うだろうか。  何も思わない。すごく楽しそう。暑そう。怠そう。  おそらく人の数だけ、答えは考えられる。  そして僕の場合、真っ先に思い浮かぶのは「怖い」だ。  人と運動をする、と考えれば、自然と恐怖が浮かんでくる。それはまるで紐で結びつけられているかのように、片方を引けば、もう片方もついてくる。疑問に思う間もなく、否定する間もなく、真っ先に浮かんできてしまう。  ではなぜ「怖い」のか。  それは体育教育の記憶と、運動

          「人と共に運動」への恐怖心