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自殺は悪なのか

 自殺。自分を殺めること。つまりは殺人なのだから、行為自体が悪いというのはわかる。そうは言っても、自殺を選んだ人のその選択は悪なのだろうか。
 僕にはどうしても自殺を悪いことだと、止めるべきものだと、思うことはできない。
 死にたいと思った、もしくは実行を決意した過程には、様々な解決策を講じたにもかかわらず、現状が改善できなかった、という一面があると考えている。策を講じ、失敗するを繰り返すうちに、精神、身体共に疲弊し、講じることのできる策は減っていく。その悪循環の中で最終的に何もできなくなり、最後の希望となるのが『自殺』だ。いのいちばんに自殺を実行しようと考える人はいないだろう。どうにもならなくなった末に、この苦しい人生から解放される方法として残るのだ。
 では、様々な過程を経て死にたいと思うようになった人に対して、自殺は悪いことだからやめなさいと告げることができるだろうか。最後の希望を無慈悲に取り上げることができるだろうか。
 確かに自殺というのは他者に迷惑をかける無責任な行為である。残された人々の悲しみや現状任されている仕事(もしくは勉学等)を全て放棄して、自分だけ楽になってしまうのだから。しかしながら当人はおそらくそういったことも理解していて、その上で自殺以外に道はないと感じたはずだ。無責任だと怒りや悲しみを覚える気持ちもわからないではないが、ならば死にたいと感じている人々の絶望は誰が癒すのだろう。最後の最後の希望さえ簡単に否定されてしまえば、いよいよ本人の逃げ場はなくなってしまう。
 たとえ死なないでという気持ちを善意から告げているにしても、結果としては同じだ。あなたに死んでほしくないという、自分自身の願望を押し付け、結局相手に死ぬほど苦しい思いをしたまま生きろと命令しているのである。少なくとも死にたいのに死ぬなと言われた人間はそう捉えるだろう。
 だからこそ、死にたいと思った人の気持ちを、否定しようとは思わない。死にたいほど辛いのだと、あなたのその感情は間違いではないと、肯定したい。肯定した上で、死にたい気持ちが消えるよう、寄り添いたい。結果として自殺を止めているのに変わりはないのかもしれないが、止めるに至る過程をよく考えたい。
 自殺という行為自体が悪くとも、自殺を選んだその人の選択自体は悪ではない。僕は常々そう思っている。

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