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手に入れたのはゆるいフィーリング。

noteを始める前や始めたばかりの頃、
誰かに読んでもらえるんだろうか…
読んでもらえるようなちゃんとした文章を
書かねば…とか、ちょっとそんなふうに
一瞬、気負いそうになっていた気がしますが笑

むしろ始めてからのほうが、
想いや好きなことを書き続けていたら
いつか誰かが読んでくれるかもしれないなぁ
いつかその時必要としてくれた誰かに
届くかもしれないなぁ、
なんていうゆるりとした気持ちで書けています。

でもこのゆるりとした気持ち、
ゆるい気分、ゆるいフィーリングというか、
気負わない気持ちは、今の自分だから
あるものかもしれないなぁと、
ふと思ったのです。

例えば5年前や10年前の自分なら、
このゆるいフィーリングで毎日何かしらの
文章を書き続けるなんていうこと
できなかっただろうな、と。

昔は今と違って、
ただ生きているだけで
毎日余計な力が入っていた。

なんていうか、
いつも歯を食いしばっているような、
そんな力の入り方で生きていました。

色んな苦しい辛い気持ちに蓋をして
平気じゃないのに平気なフリして
本当に言いたいことが言えなかったり
弱音を吐いたり助けを求めることが
出来なかったりしていた。

年齢を重ねて色んなことを経験し悟ったり
物の見方や受け止め方を変えていったり
達観した、とまではいかなくても
昔であれば酷くうろたえたかもしれないことにも
あまり動じなくなってきたり、
たくさんの時間を重ねて重ねて、
ここ数年はうちの猫の力も借りて、
今の少しゆるいフィーリング
というものを得たのだろうと思います。

もしかしたら、少しゆるいフィーリングは
猫のフィーリングなのかもしれないですね笑

その結果として、以前よりずっと
穏やかに、優しくなっただろうと思うし、
実際周りもそう思っているだろうと思います。

生きていると、周りの全ても自分自身も
本当に諸行無常なのだと感じます。
変わらないことなどないのです。

昔のわたしはきっともういないけれど、
昔のわたしの悪いところは少し改善されて、
そして昔からある数少ない良いところは
今のわたしにもちゃんと受け継がれていて
それは新しい今のわたしの、
最も美しい部分の支えとなってくれている、
自分自身の礎となってくれているのだろう、
そんなふうに思うのです。


見出し画は、猫以外でゆるそうな写真…
ゆるそうな写真…と探していて見つけた
にっこりアザラシさんです笑
ゆるい気持ちになるかな、と思って。
ちなみにこれは海遊館です。


それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。



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