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【本の紹介あり】ナナメの夕暮れ/若林正恭。ぼーっとしている人は何も考えていないんじゃない。


昔からわたしは、
人から見たらわりとぼんやりして見えるらしい。
ぼーっとしてる、ぼんやりしてる、
と言われたことは数知れず。

でも、実はぼんやりするということが苦手だった。

何言ってるかわからない、
と思われるかもしれないけれど笑

"ぼーっとして何も考えず何もせず"
にいられますか?
これ、できる人とできない人に分かれると
真っ二つに分かれそうな気がするですよね。

「何にも考えず何もせずにただぼーっとしている」
それができなかった。(今も得意ではない)

頭の中ではせわしなく何かを考え、
何もせずただじっと座っているだけ
というようなことも何だか落ち着かなくて、
何かしたり、出来ることがなければ本を読んだり、
とにかく何もしないでいるのが
なんか落ち着かない、という気持ちが
昔からずっとあった。

じゃあなぜ人からぼーっとしてるとか
ぼんやりしてると言われていたのか、
それは、身体を動かさないでいるわたし、
頭の中だけを忙しなく動かしているわたし、を
はたから見たら"そう見える"だけなんですよ。

また何言ってるかわからないと
思われているかもしれませんが笑

それを言語化してくれたのがこれです。

「ぼーっとしている人は何も考えていないんじゃ
ない。猛烈に自分と会話しているのだ。」

「ナナメの夕暮れ」若林正恭


そうなんです。
頭の中では忙しなくあれやこれやと
色んなこと考えていたり、
自分自身とあーでもこーでもって、
喋りまくってるんです、常に。

でもそれって頭の中だけのことで、
その間身体は全く動いていなかったり
なんなら目線すら動いていなかったりして、
わたしの顔や身体は、ただぼーっと座って
どこを見るでもないような目で、
ぼんやり遠くを見つめてるだけ、
みたいに見えるんです、きっと。
あ、わたしの場合は、ぼーっと
空を見てることも多いらしいです。笑


なんていうか、頭の中を空っぽにできない。
頭の中を休ませる方法がわからなくて
いつも疲れ果ててしまっていたんです。
考えたいわけじゃないことも
誰かといる時も、何かをしていても、
あれやこれやと頭の中が忙しい。

もちろん人は完全に頭の中を
空っぽには出来ないものですが、
ほとんど何も考えずにぼーっとする
というのはできる人もいるはずなんですよね。
というか周りには結構いたんですよね。
せいぜい、夜ごはん何食べよっかなー
くらいのことしか考えずにいられる、
という意味で。

それが、最近できるようになってきたんですよ。
それこそアラフォーになってきたあたりから。

夜ごはん何食べよーくらいの、
本当に大したことのない、
疲れてしまわないようなことだけを
頭の中にぽわんと残して
ぼんやりただ猫を眺めている、
というようなことが
できるようになってきたんですよ。

わたしは去年読みました。



自分の話を長々書いてしまいましたが、
本の話に戻しますね。

もともと、この前に
「社会人大学人見知り学部卒業見込み」
という1冊があって、この「ナナメの夕暮れ」は
そのあとに出たものなのですが、
人見知り学部のほうはわたしは読んでいません。
順番に読む方がいいのかな?と思ったりしつつ、
単純に今のわたしが読んでも惹かれないかな?
と思ったからなのですが、あらすじ等を読んで、
ナナメの夕暮れは読んでみたい!と思って
読んでみたら…いやー面白かった!

違う感じも読んでみたい…とまんまと
キューバへ旅行したときの旅行記エッセイらしい
「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」
も購入してしまいました笑


こじらせてたことを卒業したり、
これまでとは違う視点から見ることが出来たり、
その結果自分なりの新たな解釈を手に入れたりして
アラフォーに突入してから、
おやおやなんだかちょっぴり成長したぞい!
という気持ちになっていたわたしは
首がもげるほど頷くことが沢山でした。笑

この本に共感して、自分と同じように
首がもげるほど頷きながら読む人が
この世の中に沢山いるのだと思うと、
自分と同じことを考えている人って
実際は沢山いるんだろうなって思えます。

駅に行って、電車に乗って、どこかへ行って、
その間駅ですれ違った人たち、
電車で同じ車両に乗り合わせていた人たち、
出かけた先ですれ違った人たち、
その関わらなかった、すれ違っただけの人たちの
中にも、実際は自分と同じことを考えていたり
話してみたら意気投合しちゃう人もいるんだろうな
と思えてくるんですよ。

会ったこともない著者の言葉に共感しすぎて。笑

というわけで、中の文章を
少し紹介してみようと思います。

他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを
続けると、自分の正解が分からなくなる。

一流のものに囲まれて生きることが幸福だと
一神教のように信じている人は、それを信じない
人間が信じられない。

人間はファンタジーを抜きに現実だけを直視しながら
生きられるような強い生き物だろうか?

真実はあまりにも残酷で、あまりにも美しくて、
まともに向き合うと疲れてしまうから、
真実はたまにぐらいが丁度いい。

経験に学ぶ。特に傷から学ぶ。傷からしか学ばない。

人は自分の欠点と向き合うことからはよく逃げるが、
他人の欠点はいとも簡単に指摘する。居酒屋で、
ネット上で、昼間のカフェで。他人の欠点を
あげつらって安心する。

冷笑主義者が、なぜ冷笑し続けるかというと
自分が冷笑されることに怯えているからだ。

絶望に対するセイフティネットとして、
趣味は必要である

他人に向かって剥いた牙が、ブーメランのように弧を
描いて自分に突き刺さっている状態なのである。

他人への否定的な視線は、時間差で必ず自分に
返ってきて、人生の楽しみを奪う。

"好きなことがある"ということは、
それだけで朝起きる理由になる。

世界の見え方は、どんな偉人であれ、悪人であれ、
思い込みに他ならない。肝心なのは、
"どう思い込むか"である。

悩むって体力なんだなということに気づいた。
ネガティヴは、あり余る体力だ。
その自意識過剰は、あり余る体力だよ。

ナナメの夕暮れ

メモしていた言葉はもっとあったんです。
これでも選び抜いた方です。
どうでしょう、ぐさっときた一文や言葉、
赤べこ並みに頷いてしまった方、
結構多いんじゃないでしょうか。

若い時は色々拗らせてたなーと思っている、
けど今はちょっとだけその"拗らせ"から
一歩足を踏み出したくらいの、
ちょうど著者と近い年齢、
(若林正恭さんは現在45歳、この本は
2015〜2018年に雑誌ダ・ヴィンチで
連載されていたもの+加筆ということなので
書いていたのは36〜39歳頃ですね)
30代40代とかその辺りの年齢だと、
男女問わずかなり共感できること
多いんじゃないかなと思います。

興味湧いた!と思われた方は
ぜひぜひ読んでみてください。


文中で、わたしはよく空を見ているらしい
と書いたのですが、それについて少し過去に
書いたことがあったのを思い出したので
その記事も載せておきます。よろしければ。

今日の記事を書いていて気づきました、
わたしが空を見てぼんやりする癖があるのは
忙しなくあれこれ考えて頭の中が騒がしいわたしが
少しでも頭や心を休めたい気持ちが
現れた結果の行動なのかもしれない。笑

と、そのほかの本の紹介記事などはこちらの
マガジンにまとめてありますので、よろしければ。



本の紹介に加えて色々書いてしまい
長くなってしまった(3000文字)

長々とお付き合いくださり
ありがとうございました。
もう夕方ですが、よい日曜日を。


それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。







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