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僕の途方もないこの夢を、君が信じてくれたから。


こんにちは。

もふもふエレポップを作ってショルキーを弾きながら歌っている、シンガーソングライターのイロハマイです。

楽しそうなアー写


2022.7.24

昨年、YUKIさんのソロデビュー20周年を記念したライブツアー『YUKI concert tour “SOUNDS OF TWENTY” 2022』を見に、私の故郷の仙台にあるサンプラザホールに行ってきました。

サンプラザホールの入り口のポスター
金テープ拾えました


20周年という事で代表曲がたくさん入ったセットリストで、何百回と聞いてきた大好きな楽曲や懐かしい楽曲もまた生で聴けて本当に嬉しかったです。


仙台サンプラザホールは、私にとって特別な思い入れがある場所で、音楽活動を半年間休んでいて6月に復帰したばかりのタイミングでどうしても行きたかったので、なんとか予定を合わせて行くことができてよかったです。

あまりに良かったので、冬に同じツアーの千秋楽の武道館も行きました。最高でした。



YUKIさんのライブを見て
雷に打たれた話



私が音楽活動をしたいと思った一番のきっかけが、高校2年生の時に仙台サンプラザホールで開催されたYUKIさんのライブを初めて見に行った事です。

そろそろ自分の人生の進路を決めなければいけなくて、大学に進学するのか、将来何になりたいのか、いろいろ迷っていた時期でした。

ライブは、同じくYUKIさんが好きだった友達にチケットを2枚とったから一緒に行こうと誘われて、チケット代も高校生にとっては高い値段だったし正直あまり気乗りしていなかったけど断りきれずにという感じで行ったのですが、私はその時に「絶対に楽しいから行こうよ!」と何度も誘ってくれた友達に本当に感謝しています。


そのライブの当日は大学受験の模試があって、スタートには間に合わなそうだったので先に友達に会場に向かってもらっていて、私は模試を受けた後に走って向かうほどのモチベもなくのんびりと会場に向かい、まあまあ遅れて到着しました。

そんな、軽い気持ちで行ったこの日のライブが、私の人生を変えました。

今、その時の自分を神の視点から見ていたら、「全力で走って向かって最初から見ろ!!!!!!」と怒鳴りつけたいです。


その日のライブが終わった後、私はあまりに感動して呆然としてしまいました。2時間半くらいのライブでしたが体感は2〜3分くらいでした。
まさに、雷に打たれたようでした。


テレビやネットの画面の向こう側の人だと思っていたYUKIさんが、肉眼で見える位置で信じられないくらい楽しそうに歌って踊っている。それを何千人もの人が同じ空間で見ている。みんなが幸せそうで、一つの音楽、同じ瞬間を一緒に楽しんでいる。

息の合ったバックバンドの演奏。どこまでも響きわたるような楽しい感情が溢れたYUKIさんの歌とパフォーマンス。夢の国のようなステージのセットと眩いスポットライト。

全てが体験したことのないもので、溢れんばかりのキラキラを全身に浴びて私は一生解けない魔法にかかってしまいました。

こんな素敵な世界が、私が生きている世界と地続きのところにあったんだと知ってしまいました。

たった数時間で、人の心を動かし、人生まで変えてしまうような音楽の力に震えました。

そして、もしかして、同じ世界なら、私だってあのステージ側からの景色を見られる可能性があるのだろうか…?

仙台サンプラザホールのステージ側からの景色を見たら、どんな気持ちになるんだろう。

数時間が数分に感じてしまうような最高のステージを、自分で作りあげる事ができたらどんなに幸せだろう…


そんな野望が小さく芽生えました…



自分語り その1

私のことを少しだけ書かせてください。
(※書いている内に長くなり、少しじゃなくなりました。)

私は、二両編成の電車が1〜2時間に一本止まる駅のそばの町、線路の向こうに田んぼがどこまでも広がって地平線が見えるような田舎で育ったので、テレビの向こうの世界は広い宇宙の別な星の話くらい自分にとって遠いものでした。

音楽番組のキラキラしたセットで歌う歌手の人たちは、私とは違う別な世界の人たち。

CDだって、雑誌だって、自分とは違う世界の遠い遠い東京という街で作られたものだと思っていました。

その頃は、同級生が「将来は声優になりたい」とか、「東京に行って路上ライブをして売れてミュージシャンになる」とか言ってるのを、夢があるのってすごいけどそりゃ無理でしょ〜と思っていて、普通の人はみんな会社員とかになって堅実な生活を送っていくんだと思っていました。

(自分が将来、東京の真ん中で路上ライブをする事になるとは全く思っていませんでした。)

私の家族は真面目で謙虚さを大切にする人達で、私は子供の頃は結構な目立ちたがりだった為にその事で何度も怒られてきたので、自分自身もそういう考えになっていたのです。

そんな私が、あの日のライブを見て、一晩で変わってしまいました。
変わったというか、子供の頃の目立ちたがり屋な自分に戻っただけだったのかもしれませんが。


ライブの日から寝ても覚めても音楽の事ばかり考えていて、YUKIさんの曲を毎日歌って、YUKIさんのアーティスト写真やジャケットの画像を何百枚も携帯電話に保存して毎日眺めて暮らしました。

一人でカラオケにたくさん通って、何時間もYUKIさんの歌だけを歌って練習し続けました。


そのうち、YUKIさんの楽曲を多く作っていた作曲家の蔦谷好位置さんにも興味を持ち、ネットで調べてフリーソフトで簡単なDTMをやってみたりもするようになりました。



自分語り その2


高校3年生の時には、学校の文化祭で友人達とバンドを組んで初めてステージで歌いました。


以前、中学の部活の打ち上げの時に人前で熱唱して、家族全員に「なんて恥ずかしい事をしたんだ!」と厳しく説教された経験から人前で歌うのは悪!という意識が刷り込まれて軽音部に入ることもできずにいたけど、それ以上にやっぱり音楽がやりたい気持ちが強くなって、軽音部の友達とカラオケに行った時にバンドをやってみたいという話をし、文化祭限定のバンドを組みました。

両親や妹は文化祭当日まで「本当に歌う気なの?」「恥ずかしいから見に行かないよ。」などと言っていました。

でも、結局当日は見に来てくれました。


私の人生初のステージは、受験生の友達と組んでいたのであまりみんなで練習できていなかったし、なかなかめちゃくちゃな演奏だった気がしますが、思ったより沢山のお客さんもいて見ず知らずの人たちもサビで飛び跳ねて聞いてくれて、最高に楽しかったです。

出番が終わった後にステージのある体育館の入り口でクラスの友達と話していたら、知らない女の子が駆け寄ってきて「さっきステージで歌ってた人ですよね!あの、すごくカッコよかったです…握手してください…!」と声をかけてくれて、

こんなことってあるんだ…漫画かよ…!?
と思いつつ死ぬほど嬉しかったです。

本当の話です。きっと私の初めてのファンです。初めてのライブで自分の歌を好きと言ってくれる人がいた事、私の心の支えになっていました。名前を聞いておけばよかったなぁ…


そして、その日の夜、寝る前に妹が「今日ライブを見に行って、沢山の人がマイちゃんの歌を楽しそうに聴いているのを見て、感動して泣いちゃった。今まで恥ずかしいって言ってごめんね。」と言ってくれました。

窓から月の光が差し込んでいて、私は東京に続いている空を見ながら「無謀かもしれないけど、本当は将来歌手になりたいって思っていて、人生は一回だけだから好きなことを頑張りたいと思う」と話しました。

妹は「応援する」と言ってくれました。

その時のことを、後にソロ活動の2ndシングルで「fly the  nest」という歌にしています。巣立ち、という意味の楽曲です。

その後、宮城にいるうちに震災もあって電気も水もない被災生活を送ったりして、人生はいつ突然終わるか分からないし一度きりなんだから、やっぱり1番好きなことに挑戦したいという思いがより一層強くなりました。

長くなりました。


自分語り ラスト


その後も両親は音楽をやる事には反対で、一度は親が勧めてくれたちょっとだけピアノとか音楽が学べる普通の大学に通ったりもしました。

でも、幼少期からピアノを10年以上習っていた私には、その大学の授業は少々退屈でした。

学外でバンドでも組めば良かったのかもしれませんが、私は体力もなく時間を使うのが器用でも無いので、大学の授業をフルで受けながら音楽活動をやるという事ができず、やっぱり今の大学をやめて音楽を勉強したいと毎晩親に電話して懇願しました。

私は専門学校に通いたいと頼みましたが、親は「絶対に4年制の大学を卒業して欲しい。そうじゃなければ地元に帰って来なさい。」と言い、「じゃあ東京の音大に入れば良いってこと?」と言い返し、「音大になんていきなり入れるわけがないでしょ。」と何度も言われましたが、最後には「そんなに言うなら音大に受かってみてから話しなさい。」と言われました。

そして私は独学でDTMを改めて勉強し始め、バイトで溜めたお金を握りしめて楽器屋さんに走って「オーディオインターフェイスって何ですか?」などと店員に聞きながら音楽制作の機材を購入し、一人暮らしの狭い家に引きこもって何日もパソコンと向き合い、試行錯誤の末に「金の雨」という初作品を完成させて音楽大学の作曲学部を受験しました。

1stアルバムの一曲目に入っている曲です。

結果は無事に音楽大学に合格する事ができて、奨学金を借りてアルバイトをしながら大学に通いました。

音大に入って一年目に、カラオケで応募したオーディションで優勝してメジャーデビューも経験し、大学に通いながらレコーディングをしたりライブに出演したりテレビに少しだけ出たり、めちゃくちゃ忙しかったけど楽しい学生生活でした。


学外での音楽活動ばかり頑張っていたので、単位はギリギリだったし卒業ライブには寝坊して、なかなか危なかったけどなんとか卒業できました。


今になれば、親の心配も分かります。
私は生まれつき心臓病で幼少期はずっと病院で生活していた虚弱な人間なので、親は音楽で生きてくようなリスクの高い人生ではなく無理のない安全な人生を送って欲しかったのだと思います。


実際、ライブ活動を始めてからの私は毎月のように風邪をひいたり体を壊して寝込んでおり、行きつけの病院で「いつものやつ」みたいな感じで薬が出てくるほどでした。

しかし、私は身体は虚弱でも、生まれたからには全力で好きな事に生きたいというタイプの心を持ち合わせていたので、結局ここまで音楽を続けてきてしまいました。


今までの
音楽活動について


こんなに色々あって始めた音楽活動だけど、デビューしてからの方が大変な事ばかりで、CDは全然売れなくて、残念ながら最初にお世話になった事務所との方針も合わず、結局フリーになりインディーズで活動を続けています。

最初に居た事務所では「オーディションでは優勝したけど、こんなに実力も経験もなくお客さんもいないとは思わなかったよ!そんな状態で売り出すことは出来ないから、路上ライブをして一人でもお客さんを集めてきな!」と言われました。

私は「路上ライブなんて許可取れないし怖いし無理です!やりたくないです!」と言いましたが、

次に事務所に行った時には10キロくらいの重さのバカでかい路上ライブ用のアンプ(スピーカー)が用意されており、「これイロハマイのために買っておいたから!プレゼントするから頑張ってきな!」と言われて路上ライブせざるを得ない状況に追い込まれ、見張りのスタッフも付いてくるので逃げられず、泣きそうになりながら新宿駅の道端で歌いました。

誰も立ち止まらない中、当時のオリジナル曲数曲をピアノ弾き語りで永遠に繰り返して何時間も歌い続けていました。
(鳥かご、曖昧モコ、止まり木、など)

路上ライブ用のアンプは自宅まで持ち帰って毎回自分で持ってくることになり、当時はエレベーターのないアパートの上の階に住んでいたので、いつも半泣きで10キロのアンプとキーボードをかかえて階段を登り降りしてました。

嫌だったし辛かったけど、徐々に見に来てくれる人も増えて、路上ライブから応援してくれたお客さんも多いので、やって良かったのかな、、、と今では思っています。

路上ライブを始めて数年目にすごく嫌な目に遭って今はやめてしまったんだけど、その話はまた今度。

事務所には、自分としてはあまりやりたくない事をやらされたりして嫌だった部分もあったけど、音楽を始めたばかりで実力も経験も社会性も礼儀も全くなっていなかった小娘を、ボイトレに通わせてくれたりCDやMVを作ってくれたりライブに出してくれたり、面倒を見てくださって感謝しています…!


フリーになってからは、何日も連続で路上ライブをしたり、2日に1回くらいのペースで沢山のライブに出演してみたり、無謀なキャパの大きなライブハウスを借りてワンマンに挑戦したり、バンドを組んでみたり、とにかくがむしゃらに活動してきました。


色々と大変な思いもしたけど、おかげでだいぶ強くなった気がします。



これからの
音楽活動について


だけど、今も私の夢にはまだまだ遠いです。



コロナも流行って、世界は更にめちゃくちゃになりました。

一時期は出演が決まっていたライブが全て中止になり、音楽しかやって来なかった私は同じく活動している友人とどうしよう!?と色々と頭を悩ませながら配信ライブをしてみたり、通販サイトを作ったりして試行錯誤していました。


ライブに来てくれる人も減り、ライブの在り方も変わって、未来が不安でいっぱいでした。


それから、ファンだった人に執拗なネットストーキング行為や嫌がらせを受けて、音楽をやろうとするとアレルギー反応のように咳や冷や汗が止まらなくなってしまったり、手が震えてキーボードもうまく弾けなくなってしまったので、去年の夏までしばらく音楽活動も休みました。

物が近くにあるのに遠く感じて掴めなくなり、食器を落として割ってしまうことが続いたり、何日も眠れなかったり、完全に精神がおかしくなってしまい病院にもかかりました。


だけど、活動を休んで音楽から離れていた間の私はそれはそれで苦しく、地に足がついていないままなんとか生きている感じで、結局は音楽を辞める事以上に辛いことはないと思い知りました。

そして、自分にとっては夢を叶えずに死ぬ事より悔しいことはないとも思えたので、この年になって改めてオーディションにもたくさん応募するようになりました。

オーディションで敗退する事なんて、夢半ばで死ぬよりは格段にマシなのです。

2022年は、ワンマンライブで復帰し、オーディションで準決勝まで進んでテレビに出たり、自作のMVを応募したコンテストで入賞して表彰されたり、代官山UNITで歌ったりしました。

アイドルに曲提供したり(解散してしまった…)、ラジオに出たり、友達と配信ライブしたり、オーディションで出会った人とユニットを組んで曲を作ったりライブしたりもしました。

活動復帰してから、少しでも新しい事にチャレンジできて良かったです。

2023年も、様々な事に挑戦していきたいと思います。


最後に



わたしは、これから何があっても、
音楽を愛することをやめたくない。


売れない下積み時代がまだまだ続いたり
世間に白い目で見られたり
周りにいつまでやってんのと言われたり
演者より客が少ないステージに立ったり
変なライブに出たり変な人と仕事したり
自分に失望したり
主催失敗で大赤字を背負ったり
貯金残高3桁で明日の食べ物に困る様な経験を繰り返しても。

この世界に「絶対」が存在するのかは分からないから、どれだけ頑張ったって夢には届かないかもしれない。


でも、やめない、諦めない事だけが夢に繋がる道なんです。今も、あのステージからの景色を見たいという気持ちが心の奥で燃え続けているのです。

辛い、痛い、事ばかりが剥き出しで待ち構えていても、バカのひとつ覚えみたいにステージで歌い続けたい。自分をあと少しだけ信じてどこまでも走りたい。

僕の途方もないこの夢を
君が信じてくれたから。



上記の突然のポエムは、私のオリジナル曲の歌詞の一部です。
これまでも、これからも、自分の心の声を大切に、真っ直ぐに歌って生きていきたいです。



いつも本当にありがとう。
2/26には9周年を迎えます。

ライブもするのでぜひ聴きにきてください。

10周年を目指して、今年もイロハは走ります。今後とも、何卒よろしくお願いします。


イロハマイ



★「イロハマイ 9th anniversary Opening Party!!」

2023.2.26(日)に、主催ライブを開催します!

▼チケット発売中!配信もあります!




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ぜひ聴いてください!

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