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《やさしさのすれ違い、切なくて》

テーマ/優しさ
書く習慣アプリ1月27日に投稿したものです。

過去を振り返ってみて、改め学びを得たような気がします。これからお話すること。それは……

〝本物の優しさって云うのは、
その優しさのために、そのことで自分がどんなに痛めつけられるとしても、それを成し遂げようとする覚悟があってこそ、与えられるものなのかもしれない〟


という私の本当にあった実話になります。以下、
長い話になるので、ここで読み終えても構いません。

まだNoteの仕組みがよく分かっていないので無料公開にしておきますが、もし公的関係者から秘匿事項に当たるとして連絡が来た場合には、有料にして非公開にする予定でいます。

もしお時間があってご興味のある方は、今のうちに是非目を通してみてはいかがでしょうか。
読んでもらえたら嬉しいですし、なにより、短い時間の友達づきあいだった彼女が、自身の遺した作品よりも本心の飾らない想い・言葉を伝えられることに心から喜んでいる笑顔が浮かびます……心の友として。


〈 ここから本編 〉


学生のとき、ちょっとした稼ぎのためにモデルの仕事をさせてもらっていたことがある。いわゆる読モではなくて、公共物のパンフだとか、電車等の中吊り広告に起用されるもので、ザックリ言ってしまえば〝素人感〟とか〝フツーの人っぽさ〟が演じられるモデル。
アルバイト感覚でやっている学生にとっては高額にも思える年間登録料のかかるタレント名鑑への登録まではしなかったので、基本的にはオーディションに合格した上で仕事をやらせてもらっていた。

そんなアルバイト的な仕事をしていたときに、同じくモデルの仕事をしている女性と知り合った。歳は2月の早生まれで学年的には私と同学年。私は一浪していたので、短大生の彼女と学生として重なる1年間だけ友達づきあいをさせてもらった。
小田急線で、私の大学は玉川学園前、彼女の短大は本厚木だったので、ときどき、町田駅の東急百貨店の中にあるアイスクリーム屋さんで、仕事の入ってない日の学校帰りに待ち合わせをした。
30分か小一時間おしゃべりをするだけのことだったけれど、油絵を描くなどの趣味が同じであったりとか、話が合って楽しかった。

その程度の友達づきあいでしかなかった彼女に、郷里の新潟にいる当時中学三年だった美樹の話をしてあげたことがあった。美樹は早生まれで2月6日が誕生日だということを話したら、彼女が驚いた。
実は彼女も美樹と同じ2月6日生まれだということをそのとき初めて教えてくれた。

不思議な縁だなあと思って、彼女に美樹の写真を見せてやったら、どことなく雰囲気が似ていると言って美樹に親近感を抱いたらしい。
そう言われてみれば、私は仕事上で表情を作っている彼女を見ていたせいか、それが彼女の素顔のように錯覚していたけれど、目の前でアイスを食べながら微笑んでいる彼女をよく見ていたら、確かに目元と口元が美樹と同じように思えた。前世で繋がってたりして?とかって言って彼女も不思議がっていた。


ーーー 《ここから有料記事にする予定》 ーーー


その後、松女短大を卒業した彼女はOLを経て本格的にモデル業に携わって、のちに歌手という仕事に転身した。
それ以来、彼女と連絡を取ることも、町田で会うこともなくなった。

1992年、美樹は玉女短大を卒業した後、何も理由の言葉ひとつも残さずに姿を消した。
実家のご両親に執拗いほど訊ねてみても本当のことを話してはくれなかった。のちに真実を知ることになるのだけれど、それはまた別のお話。
ショックが大きすぎてどうしようもなくなって、何が何だかさえも見えなくなって、歌手デビューしたばかりで多忙なはずの彼女に聞いてほしくなった。
美樹とのことを理解してくれるのは彼女だけだと思ったからだ。

仕事の環境がガラッと変わった彼女に果たして繋がるかどうかも分からない電話番号に、繋がってほしいと祈るように電話を掛けてみた……

「おと君、まだこの番号覚えていたんだね。ビックリした。社長から解約するように言われていたから、その前に繋がって良かったあ。でも……この電話に掛けてくるなんて、よほどのことがあったんじゃない?」

忙しいはずなのに、以前と変わらずにおっとりとした優しい声が返ってきた。
胸に溜まった苦しみがもう爆発しそうで、ダムが決壊したように美樹の失踪のことを彼女に打ち明けた。

「おと君。美樹ちゃんのことは写真も見せてもらったり、二人のそれまでの8年間の付き合いのことも話してもらったりしていたから、私なりによく分かっているつもり。だから言うね。美樹ちゃんはその理由を言ったら、きっとおと君がもっと苦しむと思ったから何も言えなかったんだと思うの。それは美樹ちゃんなりの自分で選んだ優しさだったんだよ、多分……」

「そんなの……いなくなるほうが、どんな優しさであっても俺には辛すぎるよ。もう美樹の隣を歩けないって……そこには俺はいないんだって、そんなことを思うだけでも呼吸が変になりそうで苦しいよ」

と、私は涙ぐみながら不安定な声で返事をした。
彼女は一緒に泣いてくれた。そして

「今は泣くしかないよね。息もできないくらい泣いて泣いて、もっと目が腫れるまで泣いたっていいから。ひとの優しさってさ、いろんなカタチがあるけど、ひとりの人間が持っている優しさでも時にはカタチを変えるものだと思うの。
美樹ちゃんの最後にみせた優しさはきっと、覚悟の優しさであって、おと君に優しくすることで自分を痛めつけるものだったんだよ。私にも高校生のときだったけど、そんな経験あるよ……その道しか選べなかったんだよ。おと君にそれを悟られたら嫌だったんじゃないかなあ。私だったら絶対に知られたくないもの。
なにかの理由でその選択が一番いいことだって、美樹ちゃんは判断したんじゃないかな……まだ二十歳になったばかりなのにオトナでも出来ないような決断をしたんだと思うの。だから、おと君?この先どんな結果になるとしても美樹ちゃんを恨まないでやってね」


それが、彼女から最後にもらった言葉で、最後にもらった優しさだった。その翌年、彼女は『君がいない』というタイトルで新しい曲をリリースした。
明るめの曲調で歌詞の最後に「切なく good-bye」と言って終わらせている。


その優しさ、ありがとう。
その曲を聴いて、自分の人生、気持ち切り替えていこうって思ったんだ。


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