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【連載】チェスの神様 第二章 #9 決闘

#9 決闘

 エリーの体を抱きしめ、互いの気持ちを確かめ合った幸福感に包まれる。なんて気持ちのいい目覚めだろう。なのに直後、母さんに対する不満が湧いてきて一気に気持ちがしぼんだ。
 はぁ……。いったい、僕が何をしたというのだろう? なんであんなふうに言われなきゃならないんだ? 釈然としない。
「彰博、起きたかぁ?」
 ちょうどその時、兄貴がドアの向こうから声を掛けてきた。昨日とは逆だ。
「入っていいよ」
 僕は返事をした。
「昨日はありがとう。おかげさまで、服は役に立ったよ」
 夜遅くに帰宅する兄貴だから、昨日のうちに礼が言えなかった。いけこまから聞いているんだろうけど、自分の口で報告するのが義務というものだろう。それを聞かずとも、兄貴は笑顔だった。
「聞いたぜ、おまえもやるじゃないか。しかも、母さんとケンカしたんだって?」
「そりゃあケンカにもなるっしょ」
 夕べ、帰宅するや否や、僕はすぐに謝った。何も言わずに朝一番で家を飛び出したきり、夕方まで連絡ひとつせずに出歩いていたのだから、心配させたに違いない、と思ったからだ。
 予想通り、叱られた。想定外に、こっぴどく。よくもまあ、こんなにもまくしたてられるもんだと感心するくらい、長い説教をされた。
 その場にいたいけこまも、僕も途中で口をはさむ隙はなかった。母さんは、自分が何度も同じことを口にしていると気づいてようやく、僕がなぜ、朝早くから家を出たのか、理由を尋ねた。
 僕は要点だけを簡潔に伝えた。そして母さんは一言、「あ、そう」と言ったきり口を閉ざしたのだった。
「話せばわかってくれると思ったんだけどね。今度ばかりは簡単じゃないらしい」
「そのことなんだけど……。実はさぁ、昨日の朝、おまえが出て行ったあとで母さんに、『彰博は恋に目覚めたから邪魔するな』って言っちゃったんだよなぁ。やっぱ、さっすがに言い方悪かったかなぁ?」
「うげぇ。なにそれ、最悪」
 どおりで、帰宅するなり母さんがものすごく不機嫌だったわけだ。
「あのさぁ、応援してくれるんならもうちょっとマシな言い方できなかったわけ?」
「だから悪かったって言ってんだろ。母さんにはおれからも謝っておくからさ。彰博は悪くないって」
「まぁ、別にいいんだけどさ」
 病院に行ったあとは正直、半日デートしていたし、告白までしてるんだから全く間違ってもいないのだ。
 兄貴は小さく息を吐いた。
「母さんはさ、おまえが急に男になったから戸惑ってるんだよ。だって、ずっとチェスにしか興味なかったお前が女の子と出かけたんだぜ?」
「そうなのかなぁ?」
「おれの時だって、はじめて『彼女出来たわぁ』って言ったら似たような反応されたもん。責任とれるまでは健全なお付き合いをしなさいって言われたっけ。それですっげぇ腹が立ったんだ。そんなの、おれの勝手だろって。だから言いたくなかったんだ。子供ができて、結婚しようって決めた時も、直前まで黙ってた。反対されるの、わかってたから」
「ふぅん……」
「母さんは寂しいだけなんだ。おれたちが離れてしまうのが。……だからっていうのも変だけど、おれは勝手に結婚決めた代わりに、一緒に暮らしてもいいかなって思ったんだ、一度は」
「でも、やめたんだよね?」
「ああ、やめた。今は母さんより駒っちゃんのほうが大事だ。だから彼女の気持ちを一番に考えたいし、一番の理解者でありたいとも思ってる。お前も、大事にしたい人ができたんなら、母さんが何を言っても抵抗しろよ? まぁ、さすがに高校生で子供作ったらマズいと思うけど、おまえに限ってそれはねぇよな?」
「ないね。僕は兄貴とは違うんだ」
「けっ、まだ言うか! ンなこと言ってると、本能むき出しのやつに負けるぜ?」
「なにそれ?」
「奪い取られるってこと。お前は優しすぎるからな。気をつけな」
 悔しまぎれの反論かと思ったが、奪い取られると聞いてあいつの顔が脳裏をよぎった。
「僕だって、やるときゃやるさ」
 自分にも言い聞かせるように言った。
 それを聞いてか、兄貴は嬉しそうに笑った。
「まぁ、人の恋愛、しかも初恋の行く末を見守ることほど面白いことはないからな。お前がどんなドラマを見せてくれるか、楽しみにしてらぁ」
 兄貴はそういって立ち上がった。
「朝飯、どうする? 母さんに顔合わせるの面倒だったら、ここに持って来てやろうか?」
「どういう風の吹き回し?」
「昨日、余計なことを言った罪滅ぼし」
「ああ、それなら今日は持ってきてもらおうか」
「OK。ただし、今日だけな」
「はいはい」
 兄貴が部屋を出るとドアの前でいけこまが待っていて、階下に降りながら二人で何やら話をしているのが聞こえる。
 ――どうだった?
 ――昨日朝のことは謝ったし、アドバイスもしといた。あいつ、優しいから心配でさ。
 ――ん? それって、お義母さんと同じじゃない?
 ――あー、そう言われればそうだな。いっけねぇ、またやらかしたかぁ?
 兄貴もいけこまも、そして母さんも、僕のことを気にしてくれているんだ。僕が傷つかないように、先輩として助言してくれる。そのことは本当にありがたいと思う。
 でも。
 今度のことは自分から傷を負う覚悟で前に進まなきゃいけないと思っている。傷つかないに越したことはないけど、きっと無傷では済まないだろう。
 怖い。そりゃあ怖い。
 でも僕は一人じゃない。
 エリーがいる。
 エリ―のためなら、傷つくことだってやってみせる。


 *


 土砂降りの雨だった。そんな中でも、僕の頭の中はエリーでいっぱいで、合羽で隠れない顔がびしょぬれになっていてもにこにこと、いや、にやにやしていた。傍から見たらキモイと思われるだろうなっていうくらいに、だ。
 学校に着いたら真っ先にエリーのところに行く。昨日のことを思い出しながら話をする。想像するだけでわくわくした。
 駐輪場に自転車を止めて合羽を脱ぎ、三階の教室まで一気に駆け上がった。
 エリーと僕とは三クラス離れている。荷物を置いたらエリ―のいる教室に行こう。ぼんやりと考えていた時、突然視界がぐらりと揺れた。
 一瞬、何が起きたかわからなかった。数秒して、殴られて倒れたんだとわかった。僕の前には鈴宮らしき人物が立っていた。
「ひっどい挨拶だなぁ……」
 顔がじんじんして熱い。吹っ飛んだ眼鏡をかけなおして立ち上がると、鈴宮は僕に詰め寄った。
「なんで殴られたか分かるか?」
 どうやらかなりご立腹のようだ。情報通の鈴宮だ、どこかから昨日のことをかぎつけたのかもしれない。
「さぁ」
「しらばっくれんなよ。……お前、映璃に何言った? おまえら、昨日学校休んだろ? 一緒にいたんだろ?」
「何って別に。チェスして、いつもと変わらないことしか言ってないよ」
「ならどうして映璃から別れ話が出る?」
 はっとした。
 エリーはついに言ったんだ。うれしくて飛び上がりそうになる。
 でもそれは胸の内にすぐしまって、いつもの僕らしく、冷静にかつ冷淡に返す。
「自分の胸に聞けばいいじゃん」
「なんだと?」
 今度は胸ぐらをつかまれた。
「前から思ってたが、やっぱりお前、映璃のことが好きだったんだな?」
「……だったら何?」
「気に入らねえって言ってんだよ。お前みたいな、不細工で運動音痴なやつが俺から映璃を奪い取ろうなんて。絶対に渡さねぇ。なにがなんでも」
「エリーは鈴宮のものじゃない」
「言い方が気に入らねえなら言い直そうか? 映璃は俺と付き合う契約をしている。つまり、俺が別れを切り出さない限り、俺たちはずっと恋人同士ってわけだ」
「エリーは別れたいって言ったんだろ? 引き留めようったって無駄だよ」
「引き留めてやる。必ず。そしてお前を、ここで、土下座させる」
 もはや自尊心を満たしたいがためにエリーを利用しているとしか思えなかった。彼にはもう愛はないはず。なのにそういうことを言う。許せなかった。
 戦いを挑まれた。受けて立つしかない。覚悟はできている。
 戦って敵を、キングをチェックメイトする。
 にらみつけると、鈴宮はひるんだ。
「な、何だよその眼は」
「じゃあこうしよう。次の学力テストで、全教科の得点が高かったほうがエリーと付き合う権利を得る。どう?」
「勉強で勝負? おまえ、本気で言ってんのか? 今まで底辺の成績でやってきてることくらい知ってるぜ?」
「だからやろうって言ってんじゃん。底辺の成績なのはそっちもだろ? それとも、チェスで勝負する?」
「いや……。わかった。テストの成績で勝負しようじゃねぇか。ただし、自分で言ったこと、後悔することになるかもしれないぜ?」
「やってみなけりゃわからない」
「けっ、野上のくせに言いやがる」
 くそっ!
 腹立たしげにドアを蹴飛ばし、教室に戻っていく鈴宮。
 あぁ、なんだってそのあとを追っかけるみたいに、僕も同じ教室に入らなきゃならないんだ。
 教室に入るなり、クラスメイトが一斉に僕を見た。明らかに、今までと違うまなざしを向けられているのが分かった。
 ――野上が鈴宮に決闘を申し込んだぞ!
 ――野上君、吉川さんのこと好きだったんだ。
 ――バカ対バカの対決、おもしろそうだな。
 ――吉川さんの趣味も変わってるね。鈴宮君を捨てるなんて持ったいないことするよね。
 いろんな声が聞こえてくる。
 あーあ、言っちゃったんだな、僕が。
 争いは嫌いだ。平和に、のんびり暮らしたいのに……。
 でも。
 ここで引いたらメッチャ格好悪い。これまでも格好悪いやつだったのに、エリーに告白までしたのに、今更引き下がれない。
 それに、兄貴の言葉が引っ掛かっているんだ。『お前は優しすぎるから。そんなんじゃ奪い取られるぞ』って言うあの言葉が。
 遠慮したら負ける。それがいま、はっきりと分かった。
 だからこっちから戦いを挑んだ。僕だって攻められる。チェスボードの上でできるんだ。できないはずがない。


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