見出し画像

「飲み放題」の言葉から考える、食事をしたい店選び

コロナが5類になった春から季節が巡り、身の回りで飲み会なる行事が復活してきた今日この頃。先日、近所のママ友たちと飲んで食べてのおしゃべり会が開催された。
開催までの流れとして、まずママ友グループLINEで候補日と各自予定の調整があり、奇跡的に一日だけ存在した全員参加可能日に開催しようと決定。その後、店の候補を各自で出し合う中で、ママ友Aちゃんが
「このお店なら飲み放題付きで○○○円だし」
とのメッセージをLINEに投稿していて、「飲み放題」の言葉を久しぶりに聞いた衝撃があった。

2020年春から5類認定されるまでの丸3年の間、私とて一度も誰とも食事やお酒を愉しまなかったわけではない。
勤務先の部署をあげた忘年会などはなかったものの、少人数での飲み会は感染者数の増減をにらみつつこっそり開催してきた。感染者数が多い時期であっても、大切な仲間がストレスで苦しんでいる時には感染症対策がされている店で会って食事をした。
そんな私がこの3年間、誰かと外食する際に選んできたのは、飲み放題プランのない店ばかりだった。小ぢんまりとした個人経営の、おいしい食事とお酒を出してくれる、静かで落ち着いた雰囲気の店に予約を入れた。賑やかな店では感染が心配だったから、という理由もあるにはある。が、一番の理由は、コロナの逆境で店をたたんで欲しくないとの思い。微力ながら応援のために、応援したい店だけを選んできた。

応援したいなあ、と私が思う店の食事は一皿一皿が丁寧に作られた料理で美しく盛られ、扱うお酒もこだわっていたりする。設えにも心が配られている。当然ながら一品あたりの単価がチェーン居酒屋より高くなり、客層はやや高めの年齢がメインとなり、程よいボリュームの話し声が心地よいBGMとなっているような店。誰かとリラックスしながら食事やお酒や会話を愉しむに、最高の居場所を提供してくれる。
そんな店のメニューに飲み放題プランは存在しないが、値段を気にせず好きなように食べて飲んでも結局一人5000円ほどだったりする。今の私はお腹と心を満たすのに、そんなにたくさんのご飯もお酒もいらない。心身ともに成熟(加齢とは敢えて言わずにおこう)した大人になったものだ。
と、ここで改めて思うのは、自分が5000円支払って受け取る価値のことである。居酒屋で飲み放題付きの5000円コースを頼んだ時との差たるや、料理お酒の内容も、満足度も、全く違うのに支払う金額は同じという事実にハッとする。

過去、勤務先忘年会の会場で「ちょっと、ひどすぎる」と悪い記憶に残っている店が「飲み放題」の言葉と結びつき、私はママ友との飲み会に気乗りしなくなってしまった。
冷凍食品を温めただけと思われる料理、ビール以外のサワーや梅酒等はどれもこれも薄く、刺身はぬるく、店内の喧噪で目の前の人の話し声さえ聞こえず、大声を張り上げながら、聞き返しながらの会話。店員を呼んでも全然来ない。何一つ満足感のなかったその店に支払った5000円は、何への対価だったのだろう。

もちろん、飲み放題プランを掲げる全ての店がそうではない。中には、激うま料理とちゃんと味のするお酒を驚きの低価格で提供してくれる良店もある。店員たちに活気があり、元気をもらえる雰囲気も持ち合わせていたりするので、行くと心もお腹も満たされる。飲み放題があってもなくても、そんな店には喜んで行きたい。
実際、ママ友たちとの飲み会会場に決まった韓国料理屋は飲み放題プランを掲げていたが、料理はおいしかった。(お酒は薄かった)
個室で予約したので、会話も楽しめた。それなりに満足できた。
今回はママ友Aちゃんが幹事を引き受けて企画を進めてくれ、私が提案した推しの店は全て不採用となった。Aちゃん以外のママ友が提案してくれた店たちもかなり魅力的に見えたが、不採用となった。Aちゃんの店選びの基準と私の基準が違うのだろうと思った。

誰かと時を共有して食事とお酒と会話を愉しみたい時、その「誰か」と一緒に過ごせることさえできれば、究極のところ店はどこでもいいのかもしれない。
ただ、私が主催するときはやっぱり、料理もお酒も雰囲気も大事にしたい。応援している店で大切な人と会って話をしたいなあ、と思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?