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機能とデザイン、スキルと外見

ある会社社長の講演を聞く機会があって考えたこと。
その会社では機能性商品を主軸にビジネス展開していたが、機能を全面にアピールする長年の宣伝戦略を変更し、商品デザインに力を入れて見た目の魅力を高め、機能アピールは控えるようにした、とのこと。
なぜかというと、見た目の良さというのは人の感情に「良い!」と訴える要素のため、ビジュアルが気に入れば人は直感的に購入する。対して機能アピールの場合、一度頭で機能を理解し「これは良い、便利」という判断を挟んで買うことになる。感情でなく判断(論理)で買う・買わないが決まる、つまり冷静に「買わない」結論に至ることも往々にしてあるわけだ。
顧客に迷いなく「これ、好き!買う!」と思って購入してもらうためには、デザインの力を使う方が効果があるから、という話だった。

一消費者として、ものすごく身に覚えがあるなあと思った。私は特に服飾品について一目惚れのような買い物をすることが多く、見た目が好みであれば多少の不便は我慢する覚悟で買うこともあるくらいである。
そしてこの話はそのまま、人そのものの魅力についても同じことが言えると思った。

新卒採用試験のような場面で考えるとイメージしやすいが、例えスキル(機能)を軸に採否を決めるシーンであっても、実際に人物たちと対面した時ルックスのインパクトは無視できない。美醜に限った話ではなく、清潔感、服装、表情、姿勢といった総合的な外見の印象が、結果にも必ず影響する。
稀に、見た目に全くかまわない天才も存在するが、いくらその人のIQの高さを知ったとて、その人の天才っぷりを目撃し納得するまでは「変わった人」の評価をしてしまうだろう。また、その天才の内面やコミュニケーション面などが独特である場合は「すごい人なんだろうけど・・・」と言葉を濁す感じの人物評になってしまう。
これはモノに関しても同様で、いくら機能に優れていても重いとかデカいとかダサいといった場合は「あれば便利なんだろうけど・・・」と買うのをためらうことになる。

私の父は外見よりも内面重視の価値観を持っていた。内面偏重、と言ってよいレベルだった。だから父の前で他人の美醜を評価することはもちろん、身長の高い低いといった個体差に関する発言すらも叱られる対象となった。外見を気にかけ磨く努力は、父には軽蔑された。そのため私も長らく「外見より内面の方が尊い」と信じてきた。
しかし冒頭の論が正しいとすれば、出会った人の情緒を揺さぶる要素は外見ということ。豊かな人生のための重要ファクターが人間関係だと考えるなら、人間関係を結ぶ導入部分で効果を発揮する外見への尽力は、決しておろそかにできない。内面を磨く努力は無論大事である。それと同様に外見を磨く努力も大事ではないか、と改めて思うのだった。

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