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#1 バリキャリな私が、なぜ副業を始めたのか

私は「ウルトラかんちゃんの人生戦略室」というオンラインサロン*1に入会していて、月に一度、オーナーのかんちゃんに副業についての壁打ちタイムをお願いしています。
数々の起業支援・経営支援経験を持つかんちゃんとの初めての壁打ちタイムで、かんちゃんから最初に言われたのが
「なぜ、副業を?」
という質問でした。

以下、かんちゃんのお言葉です。
「うるかさんは日本トップの大企業にいて、しかもS級というスーパーすごい立場でめちゃくちゃ評価されてますよね。すでにエリートサラリーマンとして他の人が行きたくても行けないところまで行っているのに、なぜ副業、しかも儲かるかもよくわからないようなスモールビジネスを?」

私の勤務先はかんちゃんの言う通り、世界屈指の自動車メーカーです。2024年現在、従業員は約7万人、うち約4500人が一般職で残りは総合職その他という構成です。
約4500人の一般職の中で100名ほどしか存在しない一般職の一番上の級、それがS級です。
S級という級自体の新設がほんの数年前だからS級のなり手がそもそも少ない、だけでなく、昇格試験突破が難関で、総合職含む他のどのクラスの昇格試験より厳しいのではと囁かれています。全社の中でS級は係長級の一つ下の位置づけのため管理職ではありませんが、とにかく新設されて間もないこともあり、人事部も慎重に合否を付けているように感じられます。
普段の業務中に自分がS級であると明言することはありません。ただ、時折人事部等が開催する、一般職のお悩み座談会の企画に参加し自分がS級だと明かすと、
「えぇす級!?(のけぞり)」
「S級の人って、本当に実在するんですね。初めて会いました。いると言われていながら実物を見た人は誰もいないという妖精みたいなもんかと思ってました。」
「都市伝説かと思ってました。信じるか信じないかは私次第なのかと。」
なんて言われます。従業員約7万人中約100人、つまり700人に1人という激レアな存在割合なので無理もありません。
そんな稀少で前例のない立場にいて、どう成果を出していくべきか苦悩しながら必死に働く日々を、幸い会社からは高く評価してもらえています。

こうして改めて考えると、確かにかんちゃんの言う通り、私という人間はマネジメント路線ではないもののいわゆるバリキャリ、エリートサラリーマンと見られるのでしょう。ホワイト企業で仕事ぶりを認められ、きちんと報酬も得ている私が、なんの不満があって副業を始めたのか、疑問が湧くのは自然なことかもしれません。

働く時間を、ポジティブな感情を伴うものにしたい

時は遡って2015年頃、自分の人生を幸せなものにしようと本気で自分に向き合い始めた私*2は「楽しい時間を増やしてヤダなと思う時間は減らそう」と考えました。
ここでいう「楽しい」とは言葉通り楽しいという意味と、その他のあらゆるポジティブな要素を象徴する言葉として使っています。
ポジティブとは例えば
・楽しい
・嬉しい
・ワクワクする
・自分が成長できている実感がある
・意義あることをしているんだと思える
・明るい未来につながっていると信じられる
といった感情、状態をイメージしています。
2015年頃にふと、いつも土日(会社の休業日)を楽しみに、平日を耐えるように過ごしている自分を認識し、変えたいと猛烈に思ったのです。
平日だって、仕事だって、楽しいものにできるんじゃないか。
せっかく日あたり8時間も働くのだから、どうせなら楽しい8時間にできないのか。
仕事の時間を楽しい時間にできれば、幸せな人生になるのではないか。
そんな出発点から、日々の自分を観察し始めました。
当時はS級より2階級下の立場で、期待される要件は「ルーチンワークをミスなく納期を守って遂行すること」。ある時チャレンジテーマとして企画系の仕事に参画した際、色んな部署の色んな人たちと関わり合う時の自分がいつもよりイキイキしていると、ふと自分で気づいたのです。
「ルーチンワークは得意だが、企画系の仕事をする方が楽しいと感じる。企画系の仕事をもっと増やすことができれば、仕事中に楽しく感じる時間も増えるに違いない」
どうすれば企画系の仕事を担当させてもらえるか、たくさん考え、試行錯誤を繰り返しました。
その結果上司や運にも恵まれ、私は会社として異例と言える2年連続昇格を果たしました。また、S級合格者の年齢層は50歳前後が大多数の中、私は41歳でS級に上がることができました。
つまり会社が「これからの一般職トップ」に求める像と、私が自分のために試行錯誤した方向性がたまたま一致し、運も味方に付けてS級に上がった流れが、2015年からありました。

副業も、働く時間をポジティブなものにするための手段

「働く時間をポジティブなものにしたい」、これは今も変わっていません。副業も、この思いから始めたのです。

企画系の仕事を担当したいとの願いは叶い、自業務の分野であれば「うるかさんに聞けば何でも知っている」「困った時のうるかさん」と関係者に言ってもらえるほど知見や経験を貯めてきました。
そんなある日、2023年の春、心の底からこんなつぶやきが湧いてきました。


あーなんか・・・・・・
車以外の仕事をしたいなぁ。


すみませんすみません、車の会社に勤めていながらホントにすみません。
ただ、前述の通り自業務に習熟してきた実感があり、関係各社や関係各部のキーパーソンとの人脈も構築できていて、今の業務範囲だけを続けていても、これ以上グングン成長していくような大きな伸び代は残っていないと感じていました。
もちろん、業務知識を匠のように極めるならゴールは遠いです。例えば社内で使っている内製システムの細かな仕組みについては、知らないこともまだまだあります。
とはいえそのようなシステム詳細は、システム開発とメンテナンスを請け負っているシステム会社の担当者が知っていればよい範囲なのだよなあ、とも思うわけです。
「車以外の仕事をしたい」という自分の心の声を無視せず、何かできないか、私は行動を起こしてみることにしました。

昨年2023年の試行錯誤と、転職ではなく副業を選んだ経緯などについて、次回に続きます。

*1

*2
自分の人生に本気で向き合い始めたきっかけについて書いた記事です↓


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