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「残業しない」にまとわりつく罪悪感

私は学生の頃からビジネス書が好きで、タイトルに惹かれたものを読んでいました。そして「日本では残業して長く働くことが努力ややる気の証とみなす風潮があるが、欧米では違う。短時間で効率よく成果を上げる方が優秀とされる」といった文章に出合い、大いに感銘を受けました。
そりゃそうだ。同じ成果を上げるなら、時間がかからない方がいいに決まっている。会社としても、人件費として支払う残業代は少ない方がうれしいだろう。
「私はメリハリをつけて仕事をして、残業せずにサッと帰る働き方をするんだ」と、10代の頃から理想の「デキる会社員」をイメージしていました。今から25年ほど前の話です。

時は流れ、今。
私はイメージしていた通り、月当たりの残業ゼロで働き、期待通りの成果を上げていると会社から評価されています。ただし10代の時のイメージと違うのは、残業ゼロをやすやすとクリアできているわけではない、という部分です。「緊急で重要な案件が月末に起これば喜んで残業して解決のために尽力する。それくらいの事がなければ、よっぽどの場合以外は月間残業ゼロにする」と固い決意のもと業務の調整をしたり、業務が落ち着いている日は4~5時間の短時間労働で仕事を切り上げ「マイナス残業」で月間労働時間を管理したりしてなんとか実現している、というのが実態です。
もはや自分に残業を許して時間を気にせず働く方がラクなのでは、と思うこともあるくらいですが、私の場合は体力がなさ過ぎて、残業を自分で規制してリフレッシュに努めなければコンディションがどんどん悪化し、生産性もどんどん下がります。残業ゼロで働けば自分の健やかさが保たれ成果も出せるとわかっているからこそ残業ゼロを目指しているのです。
自分の疲れ具合を数値化できるものは、身近にはありません。研究機関などで専門の機械を使った計測をすれば、脳疲労や身体的疲労、ストレスなどは数値化できるでしょう。しかし、日常の中で自分の疲労度をさぐろうとすると「感覚」だけが頼りになります。そして感覚というのは、心身のコンディションによって鈍ります。絶対的ではないものです。身体は疲れていても気分がハイになり全く疲れを感じない時もありますし、その逆もあります。
だから私は「時間」という、絶対的な基準を使って疲労を溜めすぎないように調整しています。自分のコンディションが良かろうが悪かろうが1分は絶対に60秒。「残業時間ゼロ」は自分のコンディションに関係なく残業時間ゼロという事実であって、絶対的なものです。
残業はしない。その代わり仕事中は効率よく成果を出せるようにする。時間でしっかり区切り、管理しながら会社員を務めています。

このように、自分の体質も考慮して「残業ゼロ」を決め、実現するために強い信念を持ち努力しているというのに、いまだに「周りのメンバーから、みんな残業しているんだからお前も残業しろよって思われているんじゃなかろうか」という不安がつきまといます。
冒頭に紹介した「日本では残業して長く働くことが努力ややる気の証という風潮がある」という内容の文章は25年以上前の本に書かれていたわけですが、残念ながら今でも根強く残っていると言わざるを得ない、と感じます。
当然、薄れてきているとは思います。25年前はもっと色濃かったのでしょう。定時に仕事を終えるメンバーへの風当たりは非常に強かったと聞いたこともあります。
実際、月間残業ゼロで働く私に「この取り組みが全然進んでないんだから、残業してやったら?」なんて言う上司や同僚はいません。残業せずに働きたいという、私の意思を尊重してもらっています。
ではなぜ「残業しろよと思われているんじゃないか」と不安になるかというと、やっぱり自分の中に「自分だけ残業していない後ろめたさ」があるからなのでしょう。「残業して働く=努力、意欲」という考え方が、自分の中で消しきれない。「本当にやる気があるなら残業するんじゃないの?」という心の声が、常に私にささやいてきます。
月間残業ゼロで働いている、と誰かに言わざるを得ないシチュエーションの時、とても申し訳ない調子の言い方になってしまいます。何か悪いことをしているような気分になります。「私、体力なさすぎて、残業すると却って生産性落ちるんですよ」と言い訳を添えてしまいます。

思えば育児の時短勤務で働いていた時も、ずっと申し訳ない気持ちがありました。周囲は当然のように残業している中、私だけすみません、と思っていました。会社の勤務ルール違反をしているわけではないし、堂々としていいはずなのに。しかも、育児で忙しいから時短勤務にしていたわけで、終業後は育児と家事で休む間もなく立ち働き、何なら会社勤務のPC仕事の方がラクと思えるくらいのハードな時間を過ごしていました。にもかかわらず、時短勤務が後ろめたい。
誰にも何も言われていないのに「いや、時短勤務だからって終業後にボーッと休んでいるわけではないんです!家事育児で激務状態なんです!」と言い訳したい気持ちがずっとありました。

時短勤務にしろ残業ゼロにしろ、同じ働き方をするメンバーが周りにいない、つまり自分がマイノリティであることが、やはり私の心をゆさぶるのでしょう。残業ゼロについては信念を持って選択しているけれど、マイノリティというだけで常に不安感にさらされます。

だからといって、残業ゼロの働き方をやめるつもりはありません。周りには月間何十時間も残業している人がたくさんいますが、だから私も何十時間も残業する、というのは絶対に違うと思っています。何から何まで違うと思っています。
私は私の価値観で働き方を選ぶ。自分の価値観に背いた行動は違和感にしかなりません。それは、やりたくない。自分の心に沿った選択をしたい。
私の価値観を「いいな」と思ってくれる人、賛同してくれる人、同じように残業ゼロを選んでみようと思ってくれる人もきっといるはず。
そうやって自分を鼓舞して、不安に対抗しています。

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