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合意の下なら多人数と同時に付き合っても良くない!?と思っていたが、そうはいかないという話。

かなりパンチのあるタイトルになってしまいましたが。。

みなさんは、何人かの人を同時に好きになったことがありますか?
また、自分の恋人には、自分のことだけ好きでいてほしいと思いますか?

これはフラミンゴの画像です。もともとアカウント名にしようかと思っていたために、フリー素材サイトで見つけてきたもの。

私は、複数人を同時に好きでいることが割とよくありました。また、自分の恋人に対して、「自分のこと"も"好きなら、ほかに好きな人(または恋人)がいてもいい」と思っていました。

ほかの多くの人がそう感じない中で、私がこのように感じた理由としては、私の独占欲や嫉妬心が生まれながらに弱く、またあまり育たなかったことが挙げられると思います。

このような感じ方をしていたため、私は、小学生くらいの頃から頻繁にこう考えていました。「なぜ一般的な人々は1対1でしか恋愛しないのだろう?」と。

普通はこんなこと考えないらしいじゃないですか。私は常識を疑う心が強すぎたのかもしれません。。

その思いを抱えたまま、高校の時まではとりあえず世間に迎合し、常識に従いながら生きてきました。

しかし、この思いは大学に進み、加速します。

大学に進み、都会に出てきた私は多くの素敵な人から想いを寄せられるようになります。そして私もその人たちの誰のことも素敵に思え、好きになれたので、その気持ちに応えたいと強く思うようになりました。

また、ちょうどその時、躁鬱の躁がやってきてしまいました。(※躁鬱の躁・・・私が受験期の2月頃から本格的に発症していた双極性障害(通称:躁鬱)という、異常に活動的な躁状態と、意欲の全く湧かない鬱状態を繰り返す病気 の、躁状態のこと)

さらに、高校時代までの恋愛において、相手の嫉妬心や独占欲に共感することができず、分かり合えないことがお互いにとってストレスになったことが致命傷となり、2度大きな恋愛を失敗していました。

その3つが重なった私は思いました。「メンバー各位から、ほかの人とも付き合うことへの合意が得られるなら、全員と付き合うのがベストでは?(全員幸せにしたい!!!)」

こうして実現した私の1対多恋愛ですが、
結論としては大失敗に終わりました。

もう少し詳しく話すと、交際相手のうち1人が、「扱いに差がある、自分が1番ではない」と感じて不満に思ったことから、交際コミュニティの事情を外部に暴露し、裁かせたのです。結果、交際は崩壊してしまいました。

失敗の原因を詳しく分析すると、以下の二点にまとめられると思います。

第一に、「各位からの合意」が真の意味では得られてなかったことが挙げられます。
つまり、口の上では1対多の交際を認めたけれども、本当は不満があり、自分1人と付き合ってほしい、しかし自分は相手に選択権を委ねた弱い立場にあるために、その気持ちを隠している という状態の人が、実はほとんどでした。

やはり、独占欲や嫉妬心が多少なりともある人が多数派の中で、また選択権が私に託されている中で、本当にそれが ない/抑えられる 人なのかどうかを見極めるのが難しかったです。

第二に、このような交際形態は社会的に広く賛同を得られていないことが挙げられます。私の場合も、結局は内情が大っぴらになった結果、この形の交際をやめたいと思うほどまで不満に思っていたメンバーは1人しかいなかったにも関わらず、外部の人により制裁を加えられてしまいました。このように、多方面から咎められる可能性がある限り、崩壊を免れるためには「こそこそやる」しかないように思えます。

では、逆に、どのような条件下では1対多(または多対多)の恋愛が上手くいく可能性があるのか?

失敗の原因となった二点を回避しなければならないことと、その他私が気がついたことを踏まえると、以下のような条件になるのではないかと思います。

①メンバー全員が、独占欲や嫉妬心が薄いまたは我慢できる体質である

②交際グループが、メンバー相互によく情報共有がされている1つのコミュニティとなっており、自分以外との交際に対しての不安が少ない または 相手同士がそれぞれのことを全く知らない状態にあり、全く干渉が起こらない

③(世間常識が変わらない条件下では、)世間に大っぴらにせずに、こそこそやる

これらの条件を現実においてすべて満たすのは、かなり難しいのではないかと思われます。

以上を踏まえると、結論:
合意の下なら多人数と同時に付き合っても良くない!?と思っていたが、そうもいかない。

ということに落ち着きました。もう次はやりません。。。

✼ 余談(いや、本題かも) ✼

ところで、「そうもいかない」の部分について、理論で説明を加えることもできます。

今、私たちの社会には「恋愛は1対1でやるもの」「複数人と恋愛するのは浮気であり、咎められるべきものだ」といった社会通念があります。

そして、私が昔から疑っていたその社会通念を多くの人は信じています。つまり、複数人と恋愛する人の大多数が、普段はこの通念に乗っかりながらも、何らかの原因により一時的に逸脱している状態だと言えることになります。

しかし、社会通念とは、長い間人類が社会を築いていく中で構築された、言わば「上手く生きるためのノウハウ」であり、その有効性は歴史をもって説明付けられています。それを疑う人は、人類の総経験に対抗できるほどの理論を持って武装しないといけないし、それをせず無闇に逆らう人は、集団の安定や和を壊しかねないとも言えるわけです。

つまり、常識は疑ったものの、きちんと理論武装する前に実行に移してしまった私も、また、欲や利害に流れて社会通念を信じつつも逸脱してしまった人も、社会から見たら「反社会的危険人物」だったわけですね。

社会の構成員である人々は、意識しているか否かに関わらず、そのような人物を見つけたら「危ない人、関わるべきでない人」のレッテルを貼ります。私の体験談を聞いて、「キモい」と感じた人は、この分野においてこの反応が体に染み付いているのだと思います。

こうして人々はリスクのある人を避け、うまくやれる人と絡むようにしているのです。では私などのように、常識をすぐに疑ってしまう人は、危険人物のレッテルを貼られず、また、危険人物にならないようにするために何を気をつけたらいいのか?

それは、「実行に移さない」か「実行に移す前に人類の歴史に対抗できるだけの理論武装をする」そして、「理論を現実に適用する際の条件についてよく考える」ことだと思います。

また、補足として、場合によりますが、理論を他者に説明して、理解される努力をすることも大切ではないかと思います。

長くなりましたが、今日はここら辺にしておこうかと思います。拙い記事ですが、お読みいただきありがとうございました。m(_ _)m

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