神様がたくさん宿った絵本たち
ちいさい頃、母親にたくさんの本を読み聞かせてもらった記憶がある。
本の内容については、正直なところ、ほとんど覚えていない。
でも、母親と兄と三人で座って、たくさんの本を読んでいたこと、その時間が楽しかったことだけは、とても温かな温度で覚えている。
そういう記憶があるからか、
息子が生まれてから、たくさんの絵本を読んできた。
カメラロールを見返すと、生後半年をすぎる頃にはボードブックを歯固めにしている息子が出てくる。
息子はよく絵本に反応する子で、私自身が本に目がないこともあり、絵本についてはかなり財布の紐がゆるゆるだった自覚がある。図書館にもたくさんお世話になった。
最初にお世話になったのは、親戚からもらった「ごぶごぶ ごぼごぼ」。
初めて読んだ時には正直めんくらった。
なんせ最初から最後まで、「ぷーん」「ぷくぷくぷく」「ごぼ」「ごぶごぶごぼごぼ」といった擬音語ばかりで進んでいくのだ。
誰も登場しない。もちろんストーリーもない。ただ大小の、原色の丸だけが現れては消えていく。
赤ちゃんの絵本ってこんな感じなんだな、なんて、初見ではあなどっていた記憶がある。
息子はそれを喜んで何度も持ってきた。
何度も読んでいるうちに、その丸たちがなんだか生き物のように思えてきた。
小さな声、大きな声と抑揚をつけていくと、壮大な物語のようにも感じられた。
小さな原色の丸たちの、かわいらしい大冒険。
息子はいつも食い入るように見入ってくれた。
育休中の息子との日々を思い返すとき、何よりも一番に、息子を膝の上に乗せてたくさんの絵本を読んだことを思い出す。
その多くが「ごぶごぶ ごぼごぼ」をはじめとした、福音館書店の「0.1.2.えほん」シリーズだった。
本当に、よくもまあこんなにと思うほど、赤ちゃんが好きな世界が詰まっているシリーズである。
言葉も出なかった頃は、「てんてんてん」「かんかんかん」「きたきたうずまき」など、音や見ているだけで楽しい絵本が好きだった。
「けんけん ぱっ」なんて大ハマりして、喋れない息子が声を出してゲラゲラ笑った。
10回以上もリクエストされては、もうやめて〜と笑いながら読み続けた。
1歳半をすぎた頃からは、踏み切りが大好きになって「かんかんかん」、何度も絵本から取り出して食べた「まるくて おいしいよ」、「もう おきるかな?」で息子は初めて動物の存在を知ったと思う。
「ぽんちんぱん」という絵本がかわいいなと思って見ていたら、同じ頃急に息子がパン大好き星人になり驚いたこともあった。
もちろん「ぱん だいすき」も何度も読んだ。
半分こ、という概念を息子が知ったのも「はんぶんこ」から。
繰り返し読み、ドーナツも、にくまんも、ピザトーストも、全部はんぶんこにして一緒に食べた。
ニコニコ笑顔の息子から、何度もはんぶんこにした美味しそうな食べ物をもらい、幸せだなあって思いながら食べた。
そのうち、福音館書店にはこのシリーズを含めて6つのシリーズがあることを知った。
また、ハードカーバーとして売られているのはそのうちごく一部の本たちで、月刊誌だけで終わっていくものの中にも隠れた名作がたくさんあることもわかってきた。
1歳半くらいから「こどものとも年少版」と、そこから派生した「幼児絵本」シリーズを読むようになった。
このあたりから著者名で指名買いすることを、親も覚えてくる。
うっとりするほど美しく、美味しそうな「やさい」「くだもの」「おにぎり」といった平山和子さんのシリーズ。
乗り物は山本忠敬さんなら間違いない。迫力あふれる「かじだ、しゅつどう!」「しゅっぱつしんこう!」は100回以上は軽く読んだ。
たまにシリーズものが登場するのも見逃せないポイントだ。
たとえば息子の大好きな「ふみきりくん」の続編「トラックくん」は、月刊誌の「こどものとも年少版」で出ている。
ネタバレになるので詳しくは言わないが、トラックくんの後にもおそらく続編が登場すると思われる。
「わにわに」も、「もりの」シリーズも。
親しみのあるキャラクターたちに違う話で出会えるのは、読んでいてもとても楽しい。
そんなこんなでどっぷり「こどものとも」につかり、導かれながら息子が2歳半になった頃。
理解力がぐんと上がり、楽しめる物語の幅も広がったことから、他社の絵本にも手を伸ばし始めた。
新しいお気に入りと出会うことももちろん多々あるけれど、読んでいて引っ掛かりを感じる絵本があることにも気づきだした。
文字は少なくて一見幼児用に見えるけれど、文章だけでは内容が理解できず、根本的な部分で子への説明が必要なもの。
擬音語のリズムがページによって微妙に異なり、読んでいて調子がでないもの。
改行場所がおかしくて、ゆったりと読み聞かせしているとトラップのように引っかかるもの。
そういった細部の「気になるところ」が重なるごとに、「こどものとも」の完成度の高さ、細部のこだわりに気づかされた。
ターゲットの年齢層が明確になっていること。
月刊誌発ということもあるけれど、そこが明確ゆえに、内容と文字数の兼ね合いがしっかりと取られていること。
たとえば「おおきい ちいさい」。
タイトルの通り、ほとんど「おおきい」「ちいさい」の言葉だけで構成されたこの絵本に、息子は大小の概念を教えてもらった。
繰り返しが多く、リズムのいい文章。
特に月齢が低い頃はリズムの悪さは致命的だし、文章のリズムが悪いと親のほうも読んでいて苦痛だ。
一方で「こどものとも」は、絵本に手を引き、導かれるような調子の良さがある。
有名な「ぐるんぱのようちえん」にある一節では、しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり、しょんぼり、と何度も音を繰り返すうちに、読み手は本当にしょんぼりしたぐるんぱの気持ちを自然に声に乗せていける。
心地いい絵本のリズムに乗りながら、息子はたくさんの言葉を覚えていった。
そして何より、うつくしいイラスト。
親のほうがうっとりしたり、迫力にのまれたり、読んでいて楽しくてうつくしい絵本たち。
最近目を見張ったのはケッソクヒデキさんの「おでかけ」シリーズ。書き込みの量と精度が写真よりすごい。
そうだ。「こどものとも」の絵本には、本当にはずれがない。
はずれがないということは、これは作家の力量だけでできているのではないと思う。
「神は細部に宿る」というけれど、作家、編集部、ときにデザイナー。
チーム全体で産み出される、作為に満ちたクオリティの高い絵本たちには、たくさんの神が宿っている。
そこでは親はゆったりと、絵本の文章に任せて読んでいくだけでいい。
作り手の配慮に満ちたその本を、登場人物たちと一緒に楽しみ、悲しみ、よろこべばいい。
心地よい言葉の音を楽しみ、細部の書き込みに発見をし、何度でも読みたい、読んであげたいと思える。その時間を楽しめる。
福音館書店のホームページには、こう書いてある。
人間の中心にあるのは、心だと思う。
その心を豊かに育ててくれる絵本を、そして私の大切な、大好きな読み聞かせの時間を守ってくれている福音館書店を、私はいま、全力で推している。
私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。