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人生で一番まずかったパスタ

子どもの頃から、わりと料理は得意なつもりだった。

台所に立ち始めたのは小学一年に上がったとき。
母がハンカチを縫うパートに行き始めたのをきっかけに、いわゆる「鍵っ子」としてお米をといでご飯を仕掛けておくのが私の役割になった。

母は古風な人だったのか、父と二歳年上の兄は台所に入れなかった。そして代わりに私には、あれこれと手伝うようにしむけていった。

私もうまいこと母に乗せられたのだろう。
私の「担当」は徐々に、でも確実に増やされていった。

たとえば食事前にテーブルを拭くこと。箸を並べ、ご飯をよそうこと。お好み焼きのときに、先に肉を焼き始めること。
休日の朝のホットケーキ、丸美屋を使った麻婆豆腐、日曜のお昼の家族分のラーメン。

小学五年の頃には一時期、ブリの照り焼きにハマったこともある。
新しく買った電子レンジの、付属レシピ本に載っていたそれを作ると、父がやたらと感心して褒めてくれたのだ。

「これはお母さんのより美味しいぞ」

母が一瞬、本気でむっとしたのを鮮明に覚えている。

今思えばなかなかの失言だと思うけれど、母はグッと堪え、一緒になって私を褒めた。
そしてまんまとその後、私にブリの照り焼きを任せることに成功した。

母がブリを買ってくるたびに、私は毎回、律儀にレシピ本を見ながら作った。
前日からブリにフォークで穴を開け、調味料を混ぜた中に漬け込み、時間を守って柔らかく焼く。

忙しない帰宅後、数品を並行するなかで魚を焦がしがちだった母に比べて、私のそれは一球入魂。上手く作れて当たり前だったのだろうけれど、母は料理に関しては、ちくりとした嫌味すら言わなかった。


私が中学生になった頃、母が勤めていたパート先の経営が傾き、五十歳も間近の母は急に介護職に転身した。

両親ともに高卒で、母には出産以降ハンカチを縫った以外の職歴もなかった。
兄と私、子ども二人の大学までの学費を考えても、田舎で正社員として働くには選択肢は限られていたのだと思う。

母には当然、夜勤もあった。その時の夕食は作り置かれたカレーか、何か買い置かれた丸美屋などのレトルトや魚などを私が簡単に調理するようになった。


ところで、母が夜勤に行き始めても、父も兄も、全く料理をしなかった。

家事もほとんどせず、洗濯物を入れて畳む、お風呂を洗う、食事の支度をする…細々とした負担は私に偏り、不満がふつふつと溜まっていた。
だけど派手な抵抗はできなくて、結局、ご飯をよそうときにこっそり父に冷やご飯をよそうな、地味な抵抗をしたりした。父は黙々とそれを食べた。


その日。家には新しく買った「ペペロンチーノの素」という瓶詰めがあった。
パッケージにしっかり作り方が書いていて、問題なく作れるに違いないと母が買ってきたものだった。

パスタを茹でて、瓶に書いているように、大さじで計りながら素を入れた。

なんだか肌感覚で多いような気はしていた。
だけど何度作り方を見直しても、その量で合っているはずだった。

父と兄、三人で食卓について、一口目を食べた瞬間。

「辛い!!」

私は思わずそれを吐き出した。
やっぱり素の量が間違っていたのだ。
あり得ないくらい辛くて味が濃いそのペペロンチーノは、とてもじゃないけれど食べられた代物ではなかった。

「辛い、辛い!!」

私がそう言ってお茶を飲むあいだ、父と兄は、無言でそれを食べ続けた。

「え、食べなくていいよ」
「辛くない? まずくない?」
「やめなよ、捨てようよ」

そう言っても二人は頑として何も言わなかった。黙々と食べた。

困った私は自分の分のペペロンチーノを水洗いし、二人に釣られるようにしてなんとか食べた。それでもヒリヒリするくらい辛かった。

父と兄はそのまま食べ切り、「ごちそうさま」と手を合わせた。

私はすっかり呆気に取られた。
状況が飲み込めないまま食器を洗った。


そのパスタがそれ以降、誰かとの話題になることはなかった。

ただ、たとえば自分が作った料理があまり美味しくなかったときや、作り過ぎた煮物が冷蔵庫からなかなか無くならないとき。
ふいに二十年近く昔の、実家の光景を思い出すことがある。

父は娘に盛られた冷やご飯に、もちろん気づいていただろうということ。
あまり皆の箸が進まず、残った煮物を最後まで母と一緒に食べていた兄のこと。
そしてあの日の破壊的な味のペペロンチーノと、それを黙々と食べていた二人。

あれは「料理をしない男たち」ならではのけじめみたいなものだったろう。

食事を用意した末娘に、「美味しくない」とは口が裂けても言わないでおこうとした二人を思い出すたびに、こそばゆいような、反抗したくなるような、でもどうにも温かい気持ちになる。


私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。