昔の日記から〜【変態注意】ナナカオBL感想

※この日記は、SMをテーマとした漫画「ナナとカオル Black Label」1巻の感想その他です。
SMやエロの類の話題が苦手な方はブラウザの戻るボタンを押してください。
ちなみに「BL」は「Black Label」の略であり、ボーイズラブとは一切関係ありませんので、そっちの話題は出てきません。







さて、ナナとカオルは通常のやつも読んでるんだけど、面白いんだけど、BLの方はなんというか考えさせられる部分があって、ある種「SM」というものに関して、自分なりの結論というか解釈を獲得でき、「そうか、それなら理解できる!」と思ったので、ちょっと書いてみる。
「ナナとカオル」っていうのは冒頭に書いたとおり、一言でいうならSM漫画。詳しいことは検索するなり、読んでみるなりしてみてください。
とてもオススメの漫画です。性行為のオマケとしてのSMとかではないです。コミュニケーションの下手な思春期の二人が、自己表現・自己解放の手段としてSMに挑戦している感じでしょうか…
詳しくは長くなるので、本当にぜひとも読んで欲しい。


さて、本題。
まず、今まで私がSMに対して持っていたイメージは、

・SはMの無意識の要求を汲み取り、それを体現する
・Mは肉体的、精神的苦痛の中にありながら、それが自分が望んでいたのだと感じることで、Sに対して「自分の理解者」として敬意を抱く
・Sは行為を通じて相手を精神的に支配することに喜びを感じる
・Mは自分の理解者に支配され自由を奪われることにより安心し喜びを感じる

…という感じだったのね。
これはこれで、ある意味では真実かもしれないとは思うんだけど、どうにも理解できなかった。
なぜ、それが喜びにつながり、愛情表現の形になり得るのかっていうのが。
形として、ひどく歪なものであるのは言わずもがな。
私としては、支配されることに対する安心感というのはなんとなく理解できるんだけど、相手を支配する喜びはなんとなく理解しがたいというか…自分がSだとして、Mが望んでいるのはこういうことかな?と推測はできるけど確証はない状態で相手にそういうことをできるかといわれたら、私は遠慮しちゃってきっと無理。
だから、偏った特殊な人しか理解できないものなのかなと解釈していた。


でも、ナナカオBL1巻を読んだら「あぁ、そういうことか!それなら理解できる!」ってなった。
インスピレーションを言語化して説明すると、

『SMは対話であり、互いの普段見えない・意識さえしない自分自身を、見せ合い受容し合うもの』

だってことなのね。

Sは話し手、Mは聞き手。
嗜虐的な行為によりSはMに自分自身をさらけ出していく。
Mはそれを受容する。
勿論、会話と同様に、互いに相手の様子を窺いながら。

それと同時に、全く逆の対話も進行する。
SはカウンセラーでMはクライアント。
Sの投げかけに対するMの反応をみて、SはMの本質を暴いていく。
Mは引き出されるままに自分自身を解放していく。

この対話により、互いに『隠された自分自身の解放』と『その全てを相手に受容してもらえる』ことに喜びを感じるとともに、二人の絆・愛を生々しいほど直に感じることができるというわけ。


つまり、傍から見たときにやってることは全然違う二人だけど、根本的には「自分自身を解放し相手に受容されることに喜びを感じ、また開放された相手自身を受容することで絆を深めていく」という全く同じ事をしていることになる。
だから、ぶっちゃけ極論を言うと、どっちがどっち役をやったっていいわけだ!
なんか一方的でどっちかの負担だけ多くなりそう…という違和感があったんだけど、このインスピレーションにより、解決しました。そうか、そういうことかー…って。

ただ、まぁ人間誰しも得手不得手はあるし、向き不向きもあるから、大体はどっちがどっちの役を…っていうのは自然と決まってくるものなんだろうなとは思うけどね。
①話し上手で相手を楽しませながら本音を引き出す鋭い質問を投げかけたりできる人 と、②聞き上手で相槌や受け答えのタイミングがよく誰にでも気持ちよく話をさせられる人 がいたら、そりゃ①が話して、②が聞く側になるね~っていうのは自然な流れじゃん?
ただ、まぁどっちも上手とか、どっちも苦手とかって、役割がハッキリしてないグレーゾーンな人が大半だろうから、そういう場合には、どっちがどっちをとってもおかしくないな~と思ったりね。

なんか久しぶりにとってもスッキリしたぞ!
疑問が一つ、自分の中で結論を得たっていうか。
こういう瞬間っていいよね!
内容がアレだけどね!


てなわけで、今までは「Sとか無理くね?」と思っていた私ですが、どっちでもいけそうな気がしてきました!w←
…まぁ、押し付けがましいだけの独りよがりな相手とはSだろうがMだろうが無理だけどなぁ。
あと、ホントに日常の延長線上ではありながら、非日常でなければSMというものは成立し得ないと思う。(そういうニュアンスのことが書いてあって、「ホントにそうだ!」と思った)

そうそう、あと思ったのは、

A.普段から自然体で「隠している自分」とかないな~というタイプの人
B.実は誰にも見せられない自分というものがある不器用なタイプの人

だったら、絶対Bのタイプの人の方がSMやるのに向いてます。
自分自身をさらけ出して人に受け入れてもらうことに慣れていて、それを日常生活の中で普通にできる人は、別にわざわざSMやる必要ないっちゃないもん。
普段の普通の関わりの中では、どうしても自分自身の壁を壊しきれない、家族や親友、恋人でさえ、自分の全てをさらけ出すことはできていない気がする…っていう不器用な人だからこそ、新たなコミュニケーション手段というか、方法の一つとしてSMという選択肢が価値を持つのかなと思う。


以上

あー、長々と書いた!
満足した!

あ、誤解されるといけないので、念のために言っておきますが、私は別にSMしてませんwww
個人的に教養(?)として、SMだとか何だとか色々と調べたりその意味を考えたりするのは大好きですが、あくまで変態的趣味なだけで、日常生活ではないです。



…変態的趣味って開き直るのもどうだろうと思うけどね!


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読み返したくなったけど、手放しちゃったんだよねえ、ナナとカオルも、ナナとカオルblも。
しかも、一番最後の最後、ラストをちゃんと読んでいないという…
そのうち読もうと思いつつ。


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