見出し画像

見えなくなった世界・見えるようになった世界

地理学の言葉にIntersectionality という言葉がある。個人の性別や年齢、経済力、宗教、人種によって個人が移動できる範囲は異なるという意味である。具体例を挙げるならば、街に住む女の子は学校に通えるけれども、学校がない貧困地域に住む女の子は学校に通えないみたいな話だ。街に住む女の子は学校に通えない女の子を認識しているのだろうか。

私の話をしよう。生まれは東京。育ちも東京。18年間同じ地域に住んできた。学校はすべて公立。言い換えれば基本的に特定の自治体の子だけが通う学校。

見えなくなったもの:障がいのある人

私が通っていた小学校と中学校には特別支援学級があった。普通学級の教室と特別支援学級の教室は一つの建物内にあって、校内、いわば日常の中に特別な支援を必要とする人がいることは日常であった。特別支援学級の児童、生徒がいても、あーいるなーくらいしか思わなかったし、このときのあーいるなーは校庭で遊ぶ友達を教室から見つけたときの感覚と何ら変わりはなかった。高校は都立高校に進学した。都会で、周りに学校は少なくて、企業と公的機関の建物しかないような場所に高校はあった。知的な方面で支援が必要な生徒はいなかったし、私が過ごした3年間は身体的な面でも特別な支援が必要な生徒はいなかった。大学受験が終わって、私は初めてX(当時はTwitter)のアカウントを作成して、タイムラインを覗いた。そのタイムラインでは線路に降りてしまった知的障害があるであろう子を母親と思われる人が必死になだめたことに関する投稿が山のように流れていた。そこでふと思ったのである。そういえば、小学校、中学校にもそういう子いたなと。そういえば、世の中にも障がいがある人っていたなと。見えなくなっていたもの。障がいがある人。

見えなくなったもの:学歴競争に参加しなくなった人

私が進学した高校は進学校であった。国内大学に絞るなら、大多数が旧帝大・医学部を目指す学校であった。最低限早慶みたいな雰囲気が漂っていた。大学進学者、それも世間ではエリートと呼ばれる人間に囲まれて、東大○○人!京大××人!医学部△△人!みたいな塾の広告に囲まれて、私は次第にその他に属する人を忘れていった。先日、中学の同級生のインスタを眺めていて、あーこの子就職したんだなと思った、高校の時、就職なんて一ミリも考えなかったけれども、就職する子も一定数いるんだもんなと思った。私は自分で稼いで、自活する人を一番尊敬しているから、シンプルにすごいなと思った。

見えるようになったもの。まだ見えないもの:地方

東京都以外を地方と表現するのが適切か否かはわからないけれども、地方と表現しよう。高校生になるまで私は血縁者を除いて地方で生きている人を見たことがなかった。先述したように、全て公立の学校で育つということは、台東区、文京区みたいな区立(市立)と都立の教育機関で教育を受けるということである。言い換えると、周りにいる生徒はみんな同じ区(市)に住む子か東京都民であった。日常で神奈川県民や千葉県民、埼玉県民を見ることはなかったのである。接点なんてない。高校で東京都外で暮らす同世代の人間に初めて会った。けれどもその人は埼玉の人だったし、そこまで差は感じなかった。「東京っていいね」と言われたことに「そうか?」と思っただけで他は特になんにも思わなかった。地方での少子化、高齢化の進行が著しいなんて考えたこともなかった。

マンションがどんどん建設され、子供の数に対して教室が足りないような地域で育ってきたから、中学受験、高校受験、大学受験と周りには大量にライバルと呼ばれる同世代がいたから、私の前には子供がいつも溢れかえっていた。人口ピラミッドの分析もできたし、少子高齢化という単語も、生産年齢人口という単語も知っていた。子供が数字の上では減っているという事実も知っていた。でも、「なんでこんなに上がいるんだい、少子高齢化なんて嘘ですよね」といつも思っていた。

高校を卒業して、長崎に旅行に行った。初めての一人旅。親の後ろを鴨の子のようについていっていただけの旅行とは異なって、全ての計画を自分でたてたし、自分で道を探して自分で歩いた。そこで一つ気づいたことがあった。こどもがいないな。高齢者ばかりだなと。日中だから子供は学校にいるだけだろうと考えていたけれども、午後3時過ぎになっても子供をほとんど見なかった。少子高齢化という言葉がテストで点を取る言葉から現実を表現する言葉に変わった瞬間だったと思う。少子高齢化は事実。

見えないもの:地域間、男女間格差

東京で女として生を受けた。東京に生まれたから、生活費は高いけれども、機会が制限されることはなかった。聴きたいなと思う講演は東京で開催されたし、観たいなと思うお芝居や展覧会が東京で開催されないことはなかった。参加したい課外活動はすべて東京で開催されていたし、類似の活動が東京でできた。幸運なことに女だからと言われて何かを制限されることも一回もなかったし、両親は理系に行ってみたらと私に勧めてきたほどだった。高校では理系に進む女子のほうが文系に進む女子よりも多かった。

大学に入って、都外から進学した子と会ったり、話したりした。「東京と地方だと課外活動の数の差ってすごいんだよ。」「東京だといつでも取りに行けるVISAだけど、地方だと泊りがけなんだよ。」「理系に進むことを反対された。女だから。」「県外にしか教育機関がない」「女だから、」「男だから、」そういう世界があるんだなと思った。高校卒業まで新聞とヤフーニュースしか読まなかった私は、高校卒業後に始めたTwitterで流れてくる地方間格差、男女間格差に関する情報のすべてが新鮮だった。見たことがない世界だった。

私は未だに地域間格差、男女間格差というものに現実味を感じない。いたるところで目にするけれども、そういうものもあるんだなという感じなのである。長崎に行く前の少子高齢化に対する気持ちと同じである。多分、こういうものは実際に経験することがないと実感は湧かないし、2泊3日の長崎旅行は地域間格差を実感するには短すぎたのだと思う。

見えるもの・見えないもの

世界は無限大です、なんだって挑戦できます。あなたたちの夢はみんな平等です。これらの言葉をかけられたことがある人は多いだろう。でも、世界は無限大じゃない。個人が持てる夢の数は同じじゃない。性別、学歴、出身地などいろいろな要素で私たちの見ている世界は、持つことができる夢の数は違ってきている。見ている世界の、夢の数のIntersectionalityは日本にも実在する。大学生になってそんなこと知らなかったのかよと言われれば、そうです。というしかないけれども、大学生のうちに、モラトリアム人間でいられるうちに知ることができてよかったなとも思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?