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『春原さんのうた』を想って。


こんばんは。今回は1/29にシネヌーヴォで鑑賞した『春原さんのうた』について、書こうと思う。いや、この書き方は不透明な気がする。春原さんのうた、を見て、考えてしまったことを書こうと思う。

映画評だとか感想文とは少し異なるので、映画の出来不出来が気になる方には、特に参考にならないことを前書きする。

ただ、春原さんのうたを見て、何がしかを書きたくなったというのは、その映画の最も鮮明な感想ではないだろうか。


映画の外部


私は普段、映画を見て映画の外部の話をすることを嫌う。例えば、黒人差別を扱った映画で、「この世界は不条理だ!現実でも同じように差別が続いている」というのは、間違いではないけれど、不適格な気がするのだ。

映画はフィクションであって(もちろん現実世界にカメラをポジションしているから完全なフィクションとは言い切れないが)、作為が入った物語を見て現実を語るのは、恐ろしことだと感じるからだ。

偉人の伝記物を見たところでその偉人の全てを知れないし、無論そういうものには、尾ヒレがついていたり、あるいは不都合なものは隠されるものだ。

だから、映画を見たら映画の中を語るように心がけてきた。

けれど、春原さんのうたを見た時、どうにも映画の外部ばかりを思い出してしまう自分がいた。そして、作り手はそんな私を許してくれているような感覚さえ、感じてしまった。


だから、思い出したことを書こうと思う。


転居する日高さんを見て


この映画の冒頭で、サチという女性が日高さんという男性の家に転居するシーンがある。日高さんはどこか遠くへ行くようで、家具や家電もそのままサチが譲り受けるようだった。

「もし俺宛のが届いたら、そうね、捨てちゃって」

と語る日高さんに、大事なものも?と返すサチ。「じゃあ実家に送って」と、日高さんの故郷の話になって、「いいとこだよー」と語り始める。

私にも同様のことがあった。

大学に入って1年がすぎた頃、途中で退学して実家の神奈川に戻る友人の下宿先に、そのまま移り住む機会があった。その友人は、映画ではなく写真の道に進みたいと感じたらしい。

実家に戻るから家具も全部あげるよ、と半ば強引に置いてかれたことを思い出す。けれど、彼との別れ際に、なぜか強く抱擁しあって、

「あっちでも頑張れよ」
「そっちも映画頑張ってくれ、できたら見せてな」

と別れた。

あの子はどうなったのだろうか、今も写真は続けてるのだろうか、久しぶりに連絡でもしてみようか、でもそんなのは野暮だなぁ、なんてことを映画の最中に考えてしまった。

そうして、彼が去ったアパートで、主が変わったのを気にもしない部屋の家具たちと共に、のんびり眠ったのを思い出す。

あのアパートからは、コメリというホームセンターの騒々しい音が聞こえ、脇に流れるドブの音、それから近所の焼き鳥屋のいい匂いと、駐輪場でタバコを吸いながらたむろする学生たちのキャッキャという笑い声が混じっていて、私にはすごく心地が良かった。

きっと、映画の中のサチにとっても、あの中途の新居は、そんな場所だったのではなかろうか。


キノコヤという場所


幸がアルバイトをするお店「キノコヤ」も、私の記憶を柔らかく思い起こさせる場所だった。キノコヤが出てくるたびに、なんだか胸が締め付けられるような、少し寂しい感覚があって、それから、ジワ〜っと胸の奥から温かくなるような、安心感を感じた。一体私のどこの記憶とマッチしているのだろうか、と、映画の終盤まで考えてしまった。

私の祖母がやっていた「だるま食堂」という小さな食堂屋さんがあった。

もう10年以上前にお店を畳んでしまったのだけれど、私はそのお店が好きだった。常連のおじいさんたちが、朝から入り浸っていて、お昼時になると隣の病院のお医者さんたちから大量の注文が入って一気に慌ただしくなる。

厨房では、祖母とお手伝いに来た娘たち(母も時折参加していた)が慌ただしく調理をし、カウンターには所狭しと、弁当箱が並ぶ。

小学生の私も時折配達について行ったのだけれど、病院のお医者さんや看護師さんたちはいつも日替わり定食を頼むもので、「毎週同じものを食ってて飽きないんだろうか」と子供ながらに感じていた。

それから、配達にいくとお昼休憩の看護師さんたちがダラ〜とソファに寝そべっていたり、お医者さんたちもタバコを吸っていたり、そういう光景が見られて、面白かった。


お昼の配達が落ち着くと、次は夕食の仕込みが始まる。このタイミングで「何食べたい?」と、祖母が優しい口調で話しかけてくる。私は決まって「肉うどん!肉多め!ネギなし!」と注文した。「たまには野菜も食べなさい」と母が小言を言ってきて、祖母はそんな小言も気にせずに、私の注文通りに準備してくれた。

仕込みが落ち着くと、ごくまれに祖母が近所の駄菓子屋に連れて行ってくれた。馬鹿みたいにグミやらラムネを買って、祖母とお店に戻る時間がすごく楽しかった。今思えば、ほんの100mほどの距離だったけれど、その短い時間が楽しかったのだ。


無論カフェと食堂では、雰囲気も違うし、お客さんも違う。けれど、流れている空気や時間は似ていて、時折変なことを頼むお客さんや、昼だってのに毎日毎日酒を飲みにくる人がいたり、そういうところはキノコヤとだるま食堂は同じだった。

あぁ、また肉うどん食べたいな、なんて、今は無い食堂に想いを馳せた。


隠れる妻と、気付かぬ夫


春原さんのうたを見て、クスッと笑ってしまう瞬間は多分にあるのだけれど、このシーンはニヤニヤした。

サチを気遣って、毎週のように来訪する叔母と叔父の夫婦がいるのだが、このシーンでは、先に叔母が訪問し、たまたま叔父も来てしまって、なんだか気まずいから隠れようと、叔母が押し入れに隠れる。

あのシーンが好きだ。

テーブルに並んだ来訪者の影を見て「誰か来てたの?」と尋ねる叔父に、サチは「うん、今出てるけど」と答える。それが叔父には込み上げるものがあったらしい。

大事なものを失ったサチが、誰かと交流している事実に安堵したのだろうか。それともまた別の何かがあったのだろうか。とにかく叔父はワナワナと泣き始める。サチはオロオロと対処するのだが、そんな時間の中で、押し入れに隠れた叔母は何を想っていたのだろうか。

ふとリコーダーを吹き始める。

そうして、夫婦は対面を果たし、サチと3人でどら焼きを頬張る。


私はよく、あの叔母のようにイタズラを仕掛ける。わぁ!と驚かせることもあれば、単に隠れて様子を伺うこともある。なぜか、「隠れる」という行動に、言いようもない興奮を覚えるのだ。

別に相手は普通に手を洗ったり、タバコを吸ったり、そんな日常的なことをしているだけなのに、自分が隠れながら、それを覗いていると、とにかくニヤニヤしてしまい、笑い声があっちに伝わる前に何かしたい!と、いつも急に大声で叫んでみたり、小さな声で「助けて・・」と、霊の真似事をしてみたりする。

きっと、あのシーンの叔母も、そんな風に思ってリコーダーを吹いたんじゃないだろうか。私は、そう感じる。


その他にも


他にも、例えば道案内をした少女が何か建物(住居らしい)を見て、泣いてしまうところや、カメラを向けるときに、全然関係ないのにマスクを外しちゃうところ、ケーキを選ぶときに人数分だとあれだから、少し多めに買って選んでもらうだとか、そういうふとした所で、自分の人生と照らし合わせてしまったりする。

記憶とは、尊いものだ。

春原さんのうたでは、それに意識的なのか無意識的なのか、どちらにせよ、とにかく記憶をくすぐる、記憶を浚う、そんなシーンやショットがある。

特別な人を失った、何か大切なものを失った、そんな喪失感を抱えながら、それでも日々を生きていく登場人物たちが、何らかの行動をし、誰かの何かを思い起こさせ、感情を起こす。


少し長くなってしまったので、この辺りで終わる。


取り止めのない、私的な思い出話になってしまったが、そういう映画だったと私は思う。



最後に、原作の東直子さんがパンフレットの寄稿文の最後に書いていた短歌を紹介する。すごくいいなと思うし(短歌は門外漢ですが)、「春原さんのうた」だなぁと感じる歌です。今後全国で上映が続くであろう、「春原さんのうた」をぜひ劇場で見てみてください。

「夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした」



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