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雑文(95)「ゾン後ひとつ ~ゾンビになった後にしたいたったひとつのこと~」

「つーか、北よ。お前えのしてえことって、それだけかよっ。もっと、なんだ。世界征服とか、国家転覆に奔走した幕末の志士に恥じない、彼等が仰天するようなことをだな、考えて、実行に移せやっ」
 って、ゾンビになった蓬莱泉(ほうらいいずみ)が、向かいに座るゾンビになった北一(きたはじめ)に、声を荒げてそう言った。
「世界征服。泉ちゃんらしい」蓬莱泉の右側に座る、ゾンビになった吉野桜(よしのさくら)が声を上げて笑った。
「泉、ひどいよ。泉が、ゾンビになったら何がしたいって訊いたから、僕はただ書いただけで、笑うなんてひどいよ」って、北一は、半笑いの蓬莱泉にそう訴えた。
「ゾンビなってもお前えは変わらんねえ。なっ、桜?」
「吉野さんは関係ないだろ」って、蓬莱泉に眉をひそめる北一を意に介さず、蓬莱泉は吉野桜に続ける。「こいつは昔っからこんなでさ、私がいなけりゃきっと、どこか辺境の地で野垂れ死んでいたろうな」
「一ちゃんらしい」
「吉野さんもっ」
「まっ。こいつに限らず私たちもゾンビになったところで、何か特別変わったってことはないから、私たちも不本意ではあるが、こいつと一緒ってわけだな」爽やかに、蓬莱泉は会話をしめた。
「爽やかなんかじゃ、ないからなっ」って、北一は抗議するものの、蓬莱泉と吉野桜は向かい合って笑っているだけだった。
 
 コインランドリーの出入り口には、蓬莱泉がどこからか持ってきた、担いできた自転車が不法投棄されてあり、それは、ゾンビたちの進入を防ぐ急ごしらえの、外と中を隔離する堅牢なバリケードだったが、今となってはそれは。あるいはコインランドリーを利用する客が誰かやって来るって思えないから、ただの障害物だ。
 障害物を乗り越えて行き乗り越えて来た蓬莱泉が、両手に何袋もレジ袋を提げて帰ってきた。
「お帰りっ」って、吉野桜が座ったまま蓬莱泉に笑って、吉野桜を慈しんだ表情を向けて蓬莱泉は、ただ今っ、って快活に笑って、吉野桜の左側に腰を下ろした。
「で、お前えのしてえこと、だがよ」
 北一は、蓬莱泉の不敵な笑みに、早々察した。「やるんだね」
「やってみようじゃねえか、北」
「さっすがあ。泉ちゃん仕事早いねっ」
「こいつが遅せえんだよ」
「遅せえ、遅せえ」
「吉野さんも、泉っ」って、北一は不機嫌げに吉野桜、蓬莱泉と見たが、二人は北一に意を介さず、やろう、やっちゃおう、の盛り上がりだ。
 ふんっ、北一は諦めた。「だからサークル辞めたんだよ」
「テニスやる所だろうがよ、サークルは」蓬莱泉は北一に言い、吉野桜は、「サークル、サークル」って、天然ぶりだ。
「だから馴染めなかったんだよ、僕は」
「軟弱な奴だよ、お前えは」
 反論したかったが北一は止めた。「泉と違って僕は弱いから。だから僕は何も言い返せない」
「だからだから、うるせえ奴だな」蓬莱泉は北一に言う。「そんなだから」
「なんだよ」
「いや、いい。今は、北、お前えのしてえこと、やろうぜっ」蓬莱泉は北一に笑った。北一は蓬莱泉に笑えなかった。吉野桜は笑っていた。
「それじゃあ、いっちょやってみるか」
「いっちょ、いっちょ」
「どうぞ、どうぞ」
 蓬莱泉、吉野桜、北一が、おのおの言った。
 蓬莱泉がポリバケツを掲げ、「乾杯っ」って言い、吉野桜が、「乾杯っ」、北一は渋々、「乾杯」、いや、北一は、期待に胸を膨らまして、が、膨らました胸の期待を顔に出さず冷ややかな表情をかたって、「乾杯」って、北一は故意に低めの口調で言ったのだ。
 名だたる銘柄の空き瓶が、蓬莱泉、吉野桜の座る周囲に転がってある。味わうっていうより流し込む、様相である。
 北一は呑んだ。
 どうだ? って、蓬莱泉、吉野桜が、北一の様子を窺う前に、北一は二人より早く、呑んでしまった。
「呑めるぞ」
 呑んで最初に口にした北一の言葉だった。
「空きっ腹だけど、酔わねえな、おいっ」蓬莱泉が上機嫌に叫んだっ。
「酔わねえ、酔わねえ」吉野桜は赤ら顔にならず、素面のように地が白いが、顔色は白く、平気だっていう具合だ。
「呑めるぞ、呑めるぞ」って台詞を吐いて北一はポリバケツを持ち上げ、ずぶずぶ、突き出した唇ですすって、目尻から涙粒が、気付けばぐずぐず泣いていた。北一の頭の中にはサークル活動の頃のほろ苦い、いや、痛々しい思い出を思い出し、それに始終おえおえっておえつをもらし、うっすら垂れるはなをすすって、潤んだ瞳で膜の張った不鮮明な視界の下、しかし北一はポリバケツの中に溜まってある上等な日本酒をあおるのだ。

 北一は大学ノートを開き、そこに書いてあった、日本酒を呑んで一切酔わない、の上に打消し線を引き、ノートを閉じた。

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