雑文(53)「中毒みたいな恋をして」

 中毒みたいな恋をしたいと、彼氏に言ったことがある。
 彼氏は冗談だと思ったのか、軽く笑って頭をなで、「なんだよ、中毒みたいな恋って?」と言ってき、私は、「そのままよ。中毒みたいに、依存性の高い恋ってこと」と言った。
「そのまま」
「そのまま。そんな恋を私はいつかしてみたいなって思うわけよ。どう?」
「どう? って言われてもねえ」と、言葉を渋る彼氏が困った表情になった。「どんな恋なんだ」

 それからというもの私は、中毒みたいな恋について、図書館の文献で色々調べたわけなんだけど、そんなもの、どこにも書かれていない。中毒みたいな恋、依存性の高い恋、私は心の中で念じながら、その静謐な図書館で独り調べものをしていたが、わからない。
 激しい恋とか、我を忘れるほどの恋とかなんかは、過去の偉人たちが散々語ってあったが、肝心の「中毒みたいな恋」に関する記述はなかった。
 むろん中毒も、恋も、別々でそれ単独としての言葉は確立されてあるが、「中毒みたいな恋」になった途端、それは、まったく新しいなにか異形の生き物みたいに、私の目の前に姿を見せず、どこか彼方へ消えてしまう。
 中毒みたいな恋、言っとくけど、恋愛中毒とはちがうからね。
 そこんとこ、勘ちがいする人が必ずいるから警告するけど、それとこれとはまったくちがう。
 そんな、恋愛に溺れる中毒とは、私の言っている「中毒みたいな恋」とはちがうの。
 
 どこがどうちがうのか? それとこれとではなにがちがうのか? それがわからないから私は苦労し、こうやってこつこつ調べているわけで、それが知りたいがために、それを教えてくれるのなら、ぜひとも教授いただきたい。
 もっとロマンチックな恋、恋愛中毒者みたいな暗い恋模様ではなくて、いっかいハマってしまうと抜けられない、依存性の高い恋、微妙なニュアンスのちがいはたぶん私にしかわからないけど、多くの人々はそれとこれとをごっちゃにして語ろうとするけど、そのちがいを明確に言葉で説明できないけど、ともかく私はそんな、「中毒みたいな恋」をしたい。
 
 それはある日突然やってきた。
 気象衛星が捉え損ねた、海上低気圧で発達した今世紀最大の大型台風のように。
 まさに中毒だった。恋愛中毒みたいな生やさしいものではなく、文字どおり、「中毒みたいな恋」だった。
 いままで付き合ってきた彼氏と別れ、私を引き止める彼氏に説明もできずに、乗り換えた。
 契約しているプランが不要になって、格安の新たなプランを提供する他の携帯電話会社に機種ごと乗り換えるみたいに、簡単に。
「中毒みたいな恋だったのよ」と言っても、ぜったいに彼氏はわかってくれないだろう。
 いずれにせよ、私は出会ってしまったのだ。
 心身をすべて捧げられる恋に、出会ってしまったのだ。
 捧げられた。刺激が彼とはまったくちがった。その何十倍もの刺激を与えられ、与えた。
 
 心の底から私は叫んでいた。
 これだ、これだと、私はどろぬまに沈んでいく。
 
 ひとめぼれだった。
 そこですべて変わってしまったのだ。
 私が求めていた恋だった。
 恋は盲目というが、私はちゃんと自分の目で見て、恋をした。
 
 それは、私より二つ年上の「ミク」という女性だった。

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