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通学路

小学生の頃、家と学校を行き来する道である通学路は厳格に決められていたものの、帰り道は行きとは違う道を通りたくなる性格だった。そしてクラスメイトが先生にチクるのだった。わたしは近所の犬すべてに挨拶できる道(犬巡りロード)を友だちと作って、日々犬巡りをしていたので、しょっちゅうクラスメイトに注意された。ある日、二人の女の子に帰り際、こう言われた。

「つ」「う」「が」「く」「ろ」「や」「ぶ」「り」「は」「だ」「め」「だ」「よ!」

(通学路通りに帰らないことは「通学路破り」と呼ばれてた)

二人がひともじずつ交互に言うので、今思いだすと激しく愉快だけど、当時はわたしの帰る道くらいでいちいちうるさいなと思っていた。通学路でなく犬巡りロードを通って帰ることは、動物のお医者さんを愛読し犬が大好きだった自分にとって最重要科目というか、譲れんポイントだった。

犬といえば小学生の頃、近所には「しんのすけ」というキャバリアがいて、いつもしっぽをふって吠えていた。そこんちのおじさんともよく喋っていたけれど、引っ越してすっかり縁遠くなった。去年、久しぶりにしんのすけの家の前を通ったらおじさんを見かけた。おじさんの名前を知らないから、とっくに亡くなってると思いながら「こんにちは、しんのすけのおじさん?」と声をかけると、「しいちゃんね?!」とおじさんも思い出してくれた。もし我々に犬巡りロードがなかったら、絶対に生まれなかった再会。しんのすけが亡くなったことを聞き、しゅんとして、でもなんだか嬉しかった。しんのすけはいかにも西洋の犬っぽい犬くささで、口元の黒いびろびろがよだれで光ってて、総じてとてもかわいかった。

大人になって、通学路が通勤路になった。毎日通る家の庭にカメが住んでいた。それは大きなリクガメだった。雨の日は見かけないなと思っていたら、庭の端にある犬小屋に入っていた。ある日、今日のカメはやけに小さく見えるなと思ったら家族が増えていた。今年、自宅に庭ができた。庭でカメを飼うのは最高だろうなと思ってカメについて調べたら、寿命の長さにひるんだ。カメのいる庭をもつのは残念だけど諦めた。その代わり、庭に隣接する山からたぬきファミリーが遊びにくるので全然さびしくないし、家の中には元気なねこが3匹いるので騒がしい。

(こんなことを書いているけれど実は書かねばならない原稿がある。書けてないのにこんな気軽なものを書いている。せっかく書きませんかといただいた機会をどぶに捨てている気がするけど書けない。悲しいのでnoteを書いている。)

通る道の選び方に人間性が出るかもしれない。小学生の頃のわたしは今のわたしよりずっと楽しい道を研究していた。今のわたしは最短で職場から保育園に行ける道をただ通っている。ときどき、ほんとにときどき、どうしよもなく切なくなって、そんで海の見える道を通ったりするくらいで。干潟で魚かなにかを探るゴイサギやアオサギを見て、犬巡りロードのことを思い出す。BUMPOFCHICKENを聴いて歌って号泣したりする。32歳になったけれど22歳の頃に号泣していた歌でまだまだ泣ける。誰かにとっての犬巡りロードの話を聞きたい。ここは自分だけの道、と思える道が誰しもあるはずなのです。

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