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子どもが3歳になったら夫婦げんかをやめましょう

子どもって昔のことを覚えてるというか、自分や身の回りの人間に聞いてみると、最古の記憶は3歳か4歳って人が多いんですよ。思い返すと、おぼろげながらに浮かんでくる3,4歳まで住んでいた和歌山のアパート、近所の公園、親の漕ぐママチャリの風の感じ、阪神淡路大震災の早朝こと…など、確かに3,4歳からというか、自我が芽生えている=記憶の始まりなのだという幼児期の発達を追体験できるようなそんな錯覚にさえ襲われます。

なので、3歳になったらやめましょうって話です。少なくとも、子どもが自分の最古の記憶のある年齢になったら。うちかたやめ。やめやめ。だって覚えてるんですよ大人になっても。親が仲悪かったって。とにかく旧我が家に至っては、両親揃って久しぶりにキャンプ♪とか思ってBBQしてテントで寝て深夜にふと起きたら両親が離婚話をしていたとか、母親が電話で父親をド詰めしてブチギレてワイの部屋の壁を蹴り飛ばした結果足の形に穴が開いたとか、公園で友達にあったときにばっと涙が出てきて「ワイんとこ離婚するから苗字変わるかもしれへん仲良くしてくれる?」とかめそめそ泣いてみんなに励ましてもらうとかいろんな思い出がいっぱいであります。

そうして私の両親は不和の末に父親の略奪不倫で万事休すという万雷の拍手の中で無事にハッピーエンドを迎えましたので、もう筆舌に尽くしがたく思うわけです。そういう意味で、理想の父親像は持てなかったことも主夫になるという選択肢を得た一つの要因であるとは思いますが、経験は糧になったけど絶対にない方が良かったよねという経験でしかないので、一刻も早くやめようねというお話しであります。

開戦の理由などとっくに忘れられた夫婦げんか


で、いうて我が家も夫婦喧嘩は結構していたわけですよ。その発端なんか覚えてませんし正直どうでも良くて、仕事遅いのに言わないとか、出した飯にケチをつけるとか、畳んだ洗濯物の上に荷物を置くとか、帰ってきたらごろごろしてスマホ見てるだけとか、そういうことに「イライラして」「ぶちぎれる」か「やつあたる」だけなんですよね。けんかというよりかは吠えて泣いて発散してるだけみたいな。犬かな?

子どもが2歳くらいの頃まで、結構定期的に私がストレスをため込んである日突然ブチギレて泣く、みたいなのがあったわけなんですが、その時に子どもが「どうして泣いてるの?」って聞いてくるわけですよ。2歳児が。心配そうな顔で。こんなの見せちゃいけないわけじゃないですか。正当化なんかできませんよね。そりゃ相手が悪い、こっちは被害者、と思うかもしれないけど、実際それが北極のかなたまで行って爆発四散した我が両親のことを思うと、もちろんその後女手一つで兄弟を私立大に通わせるまで汗水たらして働いて育ててくれた母親には感謝しかないのですが、本件に関しては正直どっちもどっちだなって思うわけなんですよ。それはそれ、これはこれ。親が自分たち二人で何とかしようという気が無かったから心が離れて離婚したわけで、私もそれを見て苦しんで諦めて育って大人になったわけじゃないですか。そしたら子どもにそんな思いはさせられないし、この状況下でもなんとか折り合いをつけて、妥協をして前に進んでいくしかないんですよ。

3世代に及んで親の真似をする子どもの実像


それに、子どもは本当に親の真似をします。恐ろしいことに。学習塾で面談をしていた時もそうでしたが、子どもは本当に親と同じ話し方をします。言葉選び、姿勢、表情、間の取り方、声のトーン至るまで。その相関に、偏差値が高い、低いに関係はありません。きっとそのお母様のお母様もそのように話しておられ、そうして連綿と続く歴史の大河を面談の向こうに見るのであります。

同じように、私が舌打ちをしたり声を荒げたりしまくっていた時期は子どもも暴言を吐いたり舌打ちをすることがあって、こんな感情のコントロールの悪い仕方を学んでいくのが怖いと思ったものです。そう思った矢先、私も無意識で母親の真似をしていることに気づきます。ストレスをため込んである日突然ブチギレて泣く、舌打ちをしたり声を荒げたりするというのは私の母親が父親とのけんかでやっていたことです。それを思い出したときに血の気が引きました。そう、昔から見ていて学んでいるので、危機が来たら親から学んだそれを使うようになっているのでしょう。

この因果を断ち切るために工夫をしました。まず、子どもは親の鑑ですから、親もまた子どもの鑑です。子どもが暴言を吐いたら、それはやめようねと注意します。そしたら子どもは「でもパパも言ってたじゃん」というでしょうから、「そうだよね、ダメな言葉だからもう使わないね」と返すようにします。これを繰り返すことです。

子どもを通して自分を叩きなおしていく


また、そうした子どもの気づきに対して反論をしたり、嘘をつかない事です。これが最も重要です。「大人は良いんだよ」「私はそんなこと言ってないと思うなあ」など、曖昧な答えは現状を悪いまま保存するだけであり、良い意味を持ちません。子どもは親の鑑です。映った姿こそ真実なので、否定せず、すべて受け入れることが大事です。

ここで実践すべきトークスキルがあります。演劇では「エチュード」「即興芝居」という台本の無い芝居を作る際のテクニックですが、「原則として相手の提案や話題には知識がないことでもすべて乗っかる」ことです。先程の「でもパパも言ってたじゃん」に対する「そうだよね、ダメな言葉だからもう使わないね」が具体例であり、「やっぱダメじゃん!」と追い打ちが来ても「そうなんだよ、ダメだからもう使わないね。」ととにかく肯定する文脈で話をしていく癖を身につけた方が賢明です。

なお、これらは配偶者に対して、義実家に対してもそうであり、ひいては組織論やマネジメントの中でも役に立ちます。そも仕事と家庭で裏表がある=嘘をつく癖があることを人は直ぐ見抜きます。大人は敢えて言いませんが、子どもは気づいて一貫性の無さを言及してきます。その追及が来たとき、かわすのではなく受容し、自身の変容のタイミングが来たものと捉えた方が良いでしょう。

そんなこんなを実行できたのはちょうどコロナ禍だったのは私にとって幸運だったように思います。コロナで園が閉鎖されて子どもと丸一か月家で缶詰めになったりしましたが、ちょうどそのころから感情のコントロールがしやすくなった時期だったように思います。

なんでけんかになったんだっけ?


で、そもそもですが、なんで攻撃的になるのかと言えば「余裕がない」ことであり、その心理的な現象を引き起こしているのは「寝ていない」ことに尽きます。毎日7時間以上ぐっすり眠っている人で「余裕が無くてイライラしている」人は殆ど居ません。余裕があってイライラもしていないけど悪口を言う人間は性根が腐っているので無視でいいですが、健全な皆様は単純に寝さえすればイライラから解放される可能性が高いです。以前睡眠時間と自分の時間の使い方に言及したエントリもありますが、自分の時間と家庭の時間の折合い、受容、変容、そうしたライフスタイルの変化を受け入れることも、3年で夫婦げんかの蹴りをつけたほうがいいという時期的なものもあるでしょう。イライラを正当化する理由をわざわざXで探してヴァーチャルのの安心を得ようとするの、もういい加減3年も経ったんだからやめなよそれっていう。

画像はAIが考える「もはや開戦の理由など誰もわからないほど途方もない時間がたった戦争末期の荒廃した我が家で大事に育ちつつある希望」です

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