ウツ婚!!出会い後半戦

〜戦場のガールズライフ開幕?〜

・”パーティーピーポー”に!俺はなる!!!

・狙うは、レインボーでもシルバー世代でもなく、銀色のキャップ

・逆ナンなんて難のその



”パーティーピーポー”に!俺はなる!!!

精神科で出会った彼との別れは私のネット嫌いに拍車を掛け「やっぱり出会い系サイトはやめておこう」とガラパゴスな結論を導き出し、更に婚活がアナログになっていく。一番手っ取り早そうなのは結婚相談所に登録することだけど、その費用がない。両親は私の八年にも及ぶ壮大な大学生活のせいで、65歳を超えた今でも働き続けているし、さすがにもう頼めない。もちろん私が小学生の時から細々と貯め続けたお年玉貯金も長年の過食で底は尽きていた。私は「医療費プラスα」という名目で親から与えられる月数万円のお小遣いをやりくりしながらおにぎりを頬張った。


アルバイトと出会いを毎日探していたら「お見合いパーティー」というものがあるのを知って(当時は街婚も相席居酒屋も無かった)、私は一回数百円で出席できるお見合いパーティーとアルバイトの面接に精を出すこととなった。オカネを払えばこんな私でも出会いの場に行く権利を得られるような気がした。しかし「やる気」は誰にも負けないつもり(マジで人生崖っぷちだし)なのにことごとく敗れた。なんでだろう。誠実さをアピールするためアルバイトの面接でも「鬱で通院中ですが頑張って働きます!」ってハキハキ答えたのに。お見合いパーティーでも同様に正直な私♪をアピールしたが結果は惨敗だった。断られるたびに「これでまた区役所に行く理由が「入籍」から「生活保護申請」になる」と私は震え、どうか福祉課ではなく戸籍課に届けられますようにと、寝る前に東京タワーに祈った。東京タワーは我関せず、深夜0時ちょうどにイルミネーションを消したり消さなかったりして、私がじたばたするのを嘲笑っているのではなんて被害妄想に陥ったりもした。


お見合いパーティーに行くこと自体が私には高いハードルだった。恋愛より福祉寄りだし、何度もお見合いパーティーじゃなくて「もやい」に連絡したくなった。でも「もやい」は年齢制限ないから後回し。親が実家に私を飼ってくれている間は頑張ろうと、携帯で無料お試しコミックを読んでいたのを、今度は「東京 お見合いパーティー 安い」とかで検索するように。いくつかヒットして参加申し込みを済ませ、当日は昼には起きてもぞもぞと支度をし夕方から出かけた。500円で行けるお見合いパーティーって実はそんなに多くなく、私は必死で探し、交通費とかも鑑みて、行けるパーティーにはほぼ全部出席するようにした。一つのパーティーに行くのにもやたら準備の時間が掛かる。なんせ毎日社会と触れ合っているOLさんとは違うのだから。こちとら人生の土俵にも上がっていない親の脛囓り虫なのだから。



スポイルってこういうこと。私のことを「まだ本気出してないだけ♪」って信じ続けてくれているママには申し訳ないけれど、本気も何も社会との接点すらこれから作るのだ。優しくて忙しいママはその愛情を持ってして、生まれてこのかた私の力を根こそぎ奪ってくれていた。私は自分で自分の世話を何一つしなくてもこの年まで生きてこられたし、何一つ出来ないまま「自分の好きなことを見つけなさい」と夢と希望と全共闘な捨て台詞で、社会に放置プレイされていた。そんなこんなで27ちゃい。社会と接する私を、まず作らなくては。



お見合いパーティー前日には当然、お風呂に入らなくてはならない。入浴後も、翌日顔が浮腫むから、過食が出来ない。眠剤を流し込み「パーティーが終わったら過食」と唱えて眠りに就く。昼間くらいに起きて顔を洗う。ここでも過食したくなる気持ちを堪えてママが用意してくれたご飯(ブランチディナーと名付けた謎時間の食事)を食べ化粧を始める。
というか、その前に顔の毛を剃らないと口の周りに髭が生えていたり眉毛が繋がっていたりする。ようやく化粧開始。引きこもる前に買った消費期限が切れている化粧品で丹念に顔を造る。流行のメイクとか知らないし毎日化粧をしている訳じゃないから図書館で借りてきた雑誌をみて一時間くらい掛けて完了する。
髪の毛は、美容院なんて怖すぎていけないから、伸び切った髪をとりあえず巻いてみる。ママの補正下着を借りてコルセットのように体を締め付けて姉のお下がりの服を着る。アメリカンサイズの黒のワンピースを着てから、また姉のお下がりのアクセサリーをじゃらじゃら付ける。バッグには化粧品にハンカチ・ティッシュと女子力担当グッズ。そして大切な耳栓にアロマ入りのハンドクリーム、ペットボトルの水にミルク飴といったメンヘラ担当グッズ。あとは財布に携帯にタバコを入れて出かけた。
数時間しかない外出のためにバッグはいつもぱんぱんだったけれど、その重みは私に「足りている」って感覚を与えてくれて少し安心した。歩ける程度のヒールを履いていざお見合いパーティーへ。


会場にはいつも三十分前には到着していた。壊滅的に方向音痴な私は、Googleマップを開いて、携帯を進行方向にぐるぐる回し、Googleも自分も混乱させて何とか辿り着く。会場に到着したらしたで、パニック発作が起きそうになったときに駆け込めるトイレの場所を確認しておかなければならなかった。トイレに入ったら完璧主義と不安が相乗して念入りに服の埃を払ったり「大丈夫。私ってカワイイ。一周回って超カワイイ」とぶつぶつ唱えてみたりしなければ着席できなかったので、どんなに早く付いても時間は足りなかった。


ようやく耳栓を外しハンドクリームをこってり塗って着席した私は、鬼気迫るものがあっただろうけれど実際に危機は迫っていたのだから仕方がない。お見合いパーティーの前半「自己紹介タイム」と呼ばれる男性側が回転寿司のようにぐるぐると回ってくるのに圧倒され後半の「フリートーク」と呼ばれる各自が自由にお話しできる時間で私は壁の花にさえなれなかった。トイレの神様だった。もちろん誰からも選ばれずに一人でぽつんと席に座るのが怖いという気持ちもあった。しかしそれより締め付けた補正下着で身体に限界が来ていたのである。「あぁ、これはあと少しでパニック発作が起きるな」と長年のメンヘラ経験値により判断した私は、トイレに籠もって補正下着を外し、水を飲んで耳栓を締め、飴をなめながらアロマの香りをかいだ。もちろん「平安の祈り」と呼ばれる「神様、私にお与え下さい。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。変えられるものは変えていく勇気を。その二つを見分ける賢さを」という自助グループでは鉄板の祈りを音読するのも忘れなかった。よく会場係に通報されなかったなと思うが、たまたまトイレに入った素敵女子は私の念仏を聞いて急いでドアを閉めるという非常に人道的な扱いをしてくれるに留まった。


変えられるものは変えていく勇気を持った私は次回から補正下着を止めた。どうせその後カップルになった人と一夜を❤︎なんて展開も見込めないので堂々とスポブラに臍上ババパンという英断をした。ごってりと化粧してぐりんぐりんに髪の毛を巻いた私はスポブラにババパンのオスカル様だった。ルネッサーンス!と勢い付けて果敢にお見合いパーティーに挑んだ。
英断とメンヘラ担当グッズのおかげで次第にパーティーの最後まで居られるようになった。すると途中退場していたときは知らなかったシステムが私を勇気づけることになる。それが「中間発表」だ。中間発表とは前半で「何番の方が気に入りました」というアンケート用紙を出すことによってパーティーの途中で係の人から紙を渡され、そこには「何番の人があなたを気に入っているらしいですよ」と記入されており、カップルのマッチング成功率を上げるインセンティブなシステムのことだ。今ならAKBみたいとはしゃげるが当時は国民総背番号制な無機質感があった。
でも私にはこれが凄く嬉しかったのだ。だってその紙をもらえたから。会場に何十人も居て全然人気者になれなくても、最終的に選ばれなくても、この中間発表は「日本のどこかに私を待っている人がいる」山口百恵よろしく私を強く勇気づけるものだった。たった一人でも良い。「やっぱりやーめた」と最後に選ばなくて良い。もしかしたら番号を間違えたのかも知れない。それでも私には貴重な清き一票で。アダルトチルドレンセラピーで「ありのままの自分を受け入れよう」とアフォアメーションを聴くよりずっと「誰かに必要とされている」「認められている」ってリアルにグッと実感できたのだ。私にはまだ女の市場価値とやらが残されているかもって思った。



思い込みが激しく歪んだ承認欲求に支配された私はパーティーに出続ける。「変えられるものを変えていく勇気」とやらで初対面の男性に「化粧濃いですね」と言われれば余計なお世話だと思ったけど次回から薄くした。周りを見渡す余裕も出てきて参加している女の子たちを見ると喪服みたいに真っ黒な服を着ているのは私だけだったので、膨張して見えるのが怖かったけど、勇気を出して白のワンピースを着るようにした。少しずつカスタマイズされた私は中間発表で一票だけじゃなく二票取れるようになり、次第に「メッセージカード」と呼ばれる男性のメールアドレスを書いた紙までもらえるようになった。
背水の陣で強迫的に出続けたパーティーだったが一度「認められたっぽい」甘美な体験をした私は依存症の性、パーティー中毒になった。番号を交換した相手に「お見パ女」と登録されていたけど。「過食引きこもり女」よりはマシだし。次第にもっともっとと刺激を求めるようになった。


狙うは、レインボーでもシルバー世代でもなく、銀色のキャップ

ダイエットも兼ねて通い出した芝公園プールは、老舗のハッテン場だったから女性はすごくピースフルに利用できるのだけれど、私はそんな平和は求めていなかったので、親にもう何度目か価値の無くなった土下座をして民間の会員制ジムのプールに通った。プールなら私の体重でも膝を壊さないで済む。平日の昼間はおじいちゃんおばあちゃんが水中歩行に勤しんでいてこれまたピースフルだったのだけど、早朝は違った。意識高い系ビジネスパーソンが「お前らは止まったら死ぬマグロかよ」ってくらいに勢いよく泳いでいた。週末になるとその数はグッと減るが就職経験のない私でもわかった。土日まで泳ぎに来ている男性は独身なのだと。意識高い系ビジネスパーソンだからこそ既婚者は週末を家族サービスにあてているのだと。

そこで私は週末には頑張って早起きしてプールに出かけた。お見合いパーティーと平安の祈りで、向こう見ずな勇気だけを身に付けた私は水の中でキョロキョロ見て何とかナンパしてもらおうと頑張った。「意識高いレーン」と呼びたくなるような一方通行の速い人専用レーンにのそのそと入水した。派手な(殆どの色がシルバーで目が眩む)SPEED社製のスイムキャップにゴーグル、例外なくブーメランパンツで泳ぐ彼らはマジで新種のマグロだろと思ったけれど邪魔にならないように一生懸命泳いだ。25mを泳ぐのが限界で彼らに「すいません。お先にどうぞ」と謝るときしか私と彼らの接触は無かった。平日昼間ならおじいちゃんが「おや。ダイエットかい?」と悪意はゼロで私を傷つける声を、頼まなくてもかけてくれるのに。


プールのおかげで少しはマシになってきた体型に気をよくした私は反旗を翻す。「すいません。お先にどうぞ」を英語で言うことにしたのである。英語は家でggった。どうやら「Sorry. After you please.」と言うらしかった。英語は間違っているかも知れないけれど、というか勇気の出し方は完全に間違えているのだけれど、その後に続ける文言は日本語で適切だった。「失礼!海外の方かと思いました」と二周目にレーンを譲るとき付け加えたのである。こんな奇行に気をよくするビジネスパーソンも数人いて、その中の更に数人はトレーニング後のお茶に誘ってくれた。私は意識高い系の白人コンプレックスぶりに感謝して、すぐさまプールから上がり身だしなみを整えた。明らかにトレーニングよりお茶目当てな格好で更衣室前に張り付く私に、彼らはしっかり引きつつもデカフェとかジュースクレンズとかを飲みに連れて行ってくれた。結果、彼らと私との間に共通言語なんて無く、そもそも「何をしている人ですか」という当然の問いに答えられない私は、きまずくジュースを啜り「じゃあ、またプールで」と番号の交換もなしに別れた。でもこのプール大作戦は私に「ナンパされた!」という無理矢理だけれど成功体験っぽい感覚とそれなりに引き締まった体を与えた。


逆ナンなんて難のその

どこまでも思い込みが激しく調子に乗った私は次に「逆ナン」を試みた。急に人と会いまくってエンドルフィンだかドーパミンだかよくわからない変な汁が脳から出まくっていた私は愚行だか奇行だかを繰り返しまくっていた。このまま一人っきりでお金もないまま実家から追い出されてしまうことがどうしようもなく怖く不安で、その焦りが私の強迫的婚活に拍車を掛けた。婚活になっていたかどうかすら怪しいけど。


逆ナンの場所はどこでも良かったし手当たり次第声を掛けてみて手当たり次第失敗した。でも多く人は罵声を浴びせたりするほど私と関わろうとせず、大体「なんだこの女」って表情をするだけでそそくさと逃げるから精神的ダメージはそんなでもなかった。
よく「ナンパなんて勇気が要る」とか「断られたらキツイ」とか聞くけど、そもそも私の場合、失敗したところで失う自尊心も持ち合わせていなかった。対人恐怖の病名は付いているが、対人恐怖って実は初対面に強い。相手と人間関係が出来ていないからだ。関係性が出来てくると、嫌われるのが怖かったり相手を失うのが怖かったりして、しがみついたり振られる前に振ったりする。逆ナンなんて人間関係を作らせて頂くお願いだけど、ほぼお断りされるので私は断られると少しホッとしたりもした。壺や絵画を売る女性ほどにスペックが高くなかった私は男性に声を掛けると大体無視されて、たまに宗教の勧誘と間違われていた。


でもなんか成功っぽかったときもある。それは駅のホームで電車を待っているときにイケてるTシャツを着たお兄さんに声を掛けたとき。そのTシャツにはでっかく「ZEN」って書いてあってパンダが組み手をしているイラストと「ZEN」とは何かについて英語で細かく書いてあったけれど英語は分からないから「パンダかわいいな」と思った。突然私に「素敵なTシャツですね」と声を掛けられたお兄さんは、これはどっかの古着屋で買ったのだけれどごにょごにょと言っていて、でもTシャツの出自がわかったのに離れようとしない私におぉ逆ナンか!とすぐに見抜いてくれたみたいで、とりあえず待っていた電車が来たから一緒に乗ろうと、ご親切なようで当たり前な提案をしてくれて電車の中で少し話した。お互いの目的駅が「新宿」でお兄さんは髪を切りに行くのだけれど美容室の予約まで時間があるから服を見るつもりだったけど良かったらお茶でも飲まないか、とまで仰ってくださった。私は高校時代の5年ぶりくらいに連絡が取れた女友達に(しかもFB経由)「どうか合コンを開催してください」と厚顔無恥なお願いをしに行くところで、例によって早めに向かっていたので「30分だけなら良いですよ」と答え新宿で30分お茶をした。


何を話したか忘れたし会計が割り勘だったことしか覚えてない。でもこの30分間のティーパーティーは私をボストンではなく新宿で革命に導いた。「逆ナンが成功した!しかも向こうからお茶に誘ってくれて!それで私は「30分だけなら良いですよ」だって!私ってば、イイ女みたい!!」と脳からどんどん変な汁が溢れ出た。どう考えてもお兄さんは好奇心旺盛な人でホームなんかで声を掛けてくる変な女に好奇の「奇」を検証するべくお茶に誘ってくれたのだろうけれど、当時の私には自分が「いっちょまえの女」しかも「イイ女」という漠然とした定義に当てはまった気がして脳から汁は出るわ鼻は天狗に伸びるわ状態だった。五年ぶりに会った女友達には日頃の不義理を怒られ「ちゃんとしなさい」という仰る通り過ぎる正しい説教をされて、それでもやっぱり優しい彼女は焼き鳥を奢ってくれた。合コンは開催されなかった。




私はトリッキーな行為を繰り返しながら人が集まるところに出続けた。東京タワーのお膝元にある実家からは六本木ヒルズが近くて、アリーナで開催される無料のイベントはしょっちゅう行った。今までは人が大勢いるところなんてピアサポ(自助グループンのコンベンション)くらいしか行かなかったし、ヒルズなんてリア充の巣窟だと思っていたけれどママが一緒に行ってくれた。

「六本木ヒルズ朝の太極拳」。要は朝イチに公園でやっているラジオ体操をヒルズでお洒落にアレンジしたもの。家族の中で誰よりも情報リテラの高いママはすぐにこのイベントをキャッチし、ついでに娘のメンタルヘルスも鍛えようと三島由紀夫みたいなことを企んだ。朝イチはきついけどママと一緒だし。二週間だけだしと思って参加してみたら、その夏はバテることがなかった。いつもは夏と言ったらアイスにジュースに冷やし中華でバテても食欲だけは衰えずむちむちになっていく私だが(冬は今でも冬眠するためむくむくになる)朝に太極拳をやった後はそれなりに引きこもらず動けた。

「やっぱ人間、体に良いことしなきゃダメだよね」と喫煙所でタバコを吸う言動不一致な私は集まった人の中でひときわ若かった。そもそも地域住民のためのサービスイベントだし早朝からヒルズで太極拳をするって、近くに住んでいる「もう体力無くて逆に三時とかに起きちゃう!」みたいなご老人しか居ないのだけれど。ここでは若者にカウントされているみたいだし、頑張って通った。きっとそんな健気な私を見て地主のおじいちゃんに「うちの孫と結婚してやってくれないか」と声を掛けられるはずだ。と毎朝フルメイクでヒルズに通ったけれど、たまにおばあちゃんが連れてきた犬に吠えられるくらいで、平穏無事にママと帰って運動後のおいしい朝食を食べた。食事がおいしいなんて感じたのは久々だったから、おじいちゃんに「老後の遺産を託したい」とか言われなかったけど、まぁいいやってことにした。


少しずつ少しずつ私は精神科以外の人と繋がるようになり、大いなる勘違いと向こう見ずな勇気のおかげで、色んな人の話を聞いたり色んな人と喋ったり出来るようになった。これが境界性人格障害の本領発揮というか、他人とのボーダーなんてぶっ壊れてた。(いつもご迷惑おかけしております。現在も工事中です)
そして人と会うハードルは少しずつ下がり、でも欲はどんどん膨らみ、ママが作ったご飯をサラダボールにぶち込んで頬張りながら、ようやく得た男性のメールアドレスには片っ端から連絡した。お見合いパーティーで奇跡的にもらえたメッセージカードはもちろん、太極拳で知り合った喜寿のおばあちゃんの家電にまで留守番電話にメッセージを吹き込んだ。ほとんどは無視され、たまに返信が来たらBOTのようにすぐさま返した。


おかげで「今度食事でもどうですか」という奇特な人も現れ、どっかの居酒屋のように「はい!喜んで!」と返し、ようやくデートの約束にこぎ着けた。私はここまで来るのに皆様にかけたご迷惑なんてすっかり忘れて「私!よく頑張った!」と自分で自分を懐かしの有森選手さながら褒めた。そして懐かしの千代の富士さながら「体力の限界」が来ないように、なるべくいっぱい寝た。お見合いパーティーにナンパに逆ナン。プールに太極拳と過活動だったせいで週に二日は完全に引きこもって過食した。でも前よりは眠れるようになっていて前よりはコンビニに行く回数も減っていた。周りには「また月美がおかしくなった」って笑われたけれど、笑われているのが実感できるくらいには周りに人が居てくれるようになっていた。



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