多様性を受け入れる?

時代は変わった。

 

体罰・パワハラ・モラハラなど。

そんなニュースがある度に「昔はそんなの当たり前だったのに、最近の若い者は」という意見もあれば、それに対し「いつまで昭和な考えしてんだ。頭が固すぎる」という意見もある。

まぁ令和の時代においては後者の意見が支持されがちだ。

わからなくもないし、時代が変わったのだから当然だと思う。

でも、だからといって僕は後者こそが正義とも思わない。

というか後者の意見にいつも添えられがちな「今の時代は〜」といった言葉に違和感を覚える。

そう言っときゃどうにかなるとでも思っている風潮に違和感がある。

結局今も昔も結果を残している人は「根性」がある人なんだから、多少強く言われたからって騒ぎ立てるなよという思いもあるが、それについては難しいところだろうし、本題とはズレてくるのでまた改めて書くことにする。

 

「俳優と女優っていうのも時代遅れだよな。多様性の時代なんだから、みんな平等じゃないと」

こんな事を言っている人がいた。

おそらく、LGBTQやジェンダーレスの考え方が浸透してきた昨今において男女を区別するとはいかがなものかという意味が込められていると思う。

「いや、そこ?」

そんな事にまで意義を唱え始めたらキリがない。

いつだったかは、コンビニで売られている「お母さん食堂」というシリーズ商品について「そのネーミングは女性=料理という認識に囚われていて良くない」なんて事を言っている人もいた。

「多様性ってそういうこと?平等ってそういうこと?」

 

改めていうが、暴力やハラスメント・差別は行ってもOKと言っている訳ではない。

ただ、何でもかんでも「多様性」や「平等」という言葉を盾に、「今の時代は〜」と盲目的になるのはどうかと思う。

もちろんこれらの視点を持つことも大事だとは思うが、それだけが全てではない。

ちゃんと自らの頭で考えて、様々な価値観を理解した上で最善な選択肢を模索していく。

それこそが「多様性を受け入れる」ということなのではないだろうか。

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